2016年3月30日水曜日

心情とは何か?「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。統一思想より

神様と真の父母様の真の愛と心情の導きに感謝します。

私たちが歩む道は、どこから、続いているのでしょうか?
私たちの、歩みの、出発点はどこか?何なのか?
 考えながら、あなたは、何を思いますか?

人それぞれの、人生ではありますが。…
少し考える時間も、良いと思います。

心情を考える事は大切だと思い、心情について二日間に分けて、統一思想の内容を書きます。

(1)心情
 心情とは何か
 心情は神様の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。心情のそのような概念を正しく理解する助けとなるように、人間の場合を例として説明してみます。
 人間は誰でも生まれながらにして喜びを追求するようになっています。喜ぼうとしない人は一人もいないでしょう。人間は誰でも幸福を求めていますが、それがまさにその証拠なのです。そのように人間はいつも、喜びを得ようとする衝動、喜びたいという衝動をもって生きています。それにもかかわらず、今日まで大部分の人々が真の喜び、永遠の喜びを得ることができないでいることも事実なのです。
 それは人間がたいてい、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするからなのです。それでは真の喜び、永遠の喜びはいかにして得られるのでしょうか。それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのです。愛の生活とは、他人のために生きる愛他的な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいいます。

 心情は情的衝動である
 ここで「情的な衝動」について説明します。情的な衝動とは内部からわきあがる抑えがたい願望または欲望を意味します。普通の願望や欲望は意志で抑えることができますが、情的な衝動は人間の意志では抑えられないのです。
 私たちは喜ぼうとする衝動(欲望)が抑えがたいということを、日常の体験を通じてよく知っています。人間が金をもうけよう、地位を得よう、学識を広めよう、権力を得ようとするのも喜ぼうとすると衝動のためであり、甚だしくは犯罪行為までも、方向が間違っているだけで、その動機はやはり喜ぼうとする衝動にあるのです。
 このように喜ぼうとする衝動(欲望)は抑えがたいものです。欲望は達成されてこそ満たされます。しかるに大部分の人間にとって、喜ぼうとする欲望が満たされないでいるのは、喜びは愛を通じてしか得られないということが分かっていないからなのです。そして喜びが愛を通じてしか得られないのは、その喜びの根拠が神様にあるためなのです。
 統一思想より
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。

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皆さんに、天の父母様と真の父母様の祝福がありますように。
天運・天福ありがとうございます。
神様の知恵を相続して、知情意、全てが喜びの内で感謝の生活が出来ますように。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。

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