平和経P71~ 「私の気になったみ言を書きます。」
きょう、皆様と共に考えてみようと思うテーマは「人類の新しい未来」です。
「今、問題となるのは、人がいないことでも、物質がないことでもありません。
それは、神に対する明確な観が現れないことです。
明確な神観を通して、人生観や歴史観を新たに設定しなければ、人類世界の新しい未来は現れることはないと思います。
私たちがはっきりと神様を知るならば、中世に没落し始めた不明確な神観、現世の人本主義思潮、唯物主義思潮のすべての問題は解決すると思うのです。
ですから、神様は存在するかしないかということが問題にならざるを得ません。
人間は今まで、真で永遠不変な愛と理想と幸福と平和を期待しない時がありませんでした。
変わる人間を通しては、このような理想的な要件を成就させることはできません。これは、今日私たちが現時点において処している世界の状況を見つめてみれば、如実に証明される事実です。このような時に、絶対的で、永遠で、唯一で、不変であられる神様がいらっしゃるならば、そのような神様によって、新しい見地から、真の愛、真の理想、真の平和、真の幸福の起源を求めざるを得ないのです。
そのような立場から、神様御自身から見る神観、神様御自身から見る人生観、神様御自身から見 る物質観、これを明確にするところから、新しい平和と新しい幸福の世界を私たちは迎えることができると思うのです。」
「神様は、主体であり、人間は対象です。真の愛の王となることができる神様、真の理想の王となることができる神様、真の平和の王となることができるその神様のみ前に、対象である人間自体を見たときに、私たちは、無限の価値をもった存在であることを知らなければなりません。」
『自分の相対や自分の子女が優れていることを願うのは、人間本性の欲求です。
それは、人間が誰に似ているからでしょうか。人間はあくまでも原因的な存在ではなく、結果的な存在であることは否定できません。…原因であられる神様に似ているので、そのように求めざるを得ないということは当然の結論です。
今日、人間は、自分の価値を取るに足らないものと考えています。「私など無価値な存在だ」と動物のように自分を扱う人がたくさんいます。きょう、皆様に一つ覚えておいていただきたいことは、神様は、皆様自身が神様よりも立派であることを願われているという事実です。
このことを覚えてお帰りになれば、これは偉大な発見とならざるを得ないと思うのです。』
『私たちは今まで、天地創造の理想的起源をどこに設定するのか、という問題を考えもしませんでした。
創造というその言葉自体は、何を意味するのでしょうか。
すべてのものの投入を意味します。
思いを形にするためには、それに相当する自分自体の力を投入しなければなりなせん。
投入するところから存在が始まるのです。
主体と対象の関係について、神様が考えるならば、道は二つしかありません。一つは、神様を中心として対象が主体のために生きる道と、もう一つは、神様御自身がその対象である人間を造って、人間のために生きる道、この二つの道しかありません。
ここに神様の理想的根源地を設定しなければなりません。もし「主体となる神様に、対象的なすべての存在は絶対服従せよ。主体だけのために生きよ」と言う場合は、どうなるでしょうか。
神様が、男性的主体として存在されるように、男性と女性を中心として、男性が主体で、女性が対象であるならば、その男性が女性に「主体のために生きよ」と言えばどうなるでしょうか。ここには一つになる道が塞がってしまうのです。
しかし、知恵の王であられる神様が、「対象のために生きよ」という立場を設定するときは、すべてが一つになることができるのです。
ですから、天地創造の理想的根源は、「自分のために生きよ」というところに置くことはできず、「相対のために生きよ」というところに置かざるを得ないという事実を、今、私たちは知らなければなりません。
それでは、堕落とは何でしょうか。人間は神様のために存在するようになっており、また神様は人間のために存在するようになっています。お互いのために存在する原則を立てました。
しかし、このような原則から外れ、人間自体が自主的自我を自覚し始めたことが堕落です。
言い換えれば、自分を中心としてすべて「ために生きよ」というところに自分自身を立てようとしたのです。ここから堕落の起源が生じました。天理原則から外れ出たのです。
人間が神様を手本として、神様から教育を受け、神様のために存在していれば、そこから理想世界の実現が可能だったにもかかわらず、そうすることができず、人間自体を中心として主体性を強調したので、堕落が起きたのです。
このような事実は、聖書を通して如実に証されています。
ですから、ここに一つの公式的結論を下すならば、「すべての理想的創造物は、ために存在する」という原則が成立するというのです。』
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
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皆様に神様の祝福がありますように祈ります。
ありがとうございます。
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