何故、葛藤するのか?
人間は、堕落したから…。
心と体の葛藤と共に他人との葛藤があると思います。
本心と邪心の関係です。
原理講論、総序には、「我々は、善の欲望を成就しようとする本心の指向性と、これに反する悪の欲望を達成させようとする邪心の指向性とが、同一の個体の中でそれぞれ相反する目的を指向して、互いに熾烈な闘争を展開するという、人間の矛盾性を発見するのである。
存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。
したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる。
……人間がもっているこのような矛盾性は、後天的に生じたものだと見なければなるまい。人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。」と書いてあります。
また、平和経のみ言には、「統一はどこから成し遂げられなければならないのでしょうか。この世界は結果の世界なので、原因となる個々人を中心として模索しなければならないという結論が出てきます。
私たち個人は、相反する二つの目的の方向をもった人間になっています。これは誰も否定できないことです。
心は善の所に行くことを願うのに、体はそれとは反対の方に行けと言うのです。
この二つが闘っています。そのような個人、すなわちそのような男性とそのような女性が合わさって家庭を形成します。
ところが、内なる人と外なる人がいるので、夫婦が会えば四タイプの人がいることになり、それぞれが異なる行動をするようになるのです。
このようにして一つの氏族ならば氏族、民族ならば民族、国家ならば国家、世界ならば世界がすべて分かれるのです。
有り難いことは、数百、数千に分かれるのでなく、大きく二つに分かれることです。これが不思議なのです。
もし神様がいらっしゃるならば、このような人間をそのまま放っておくことができないので、人間の知らない歴史の背後で活動してこざるを得ませんでした。
また、人間を悪へと追い込むサタンがいるとすれば、そのサタンも、神様が引っ張っていく方向とは反対の方向へと引っ張っていこうとするのです。
しかし、絶対的な神様のみ前にいくら反対するサタンがいたとしても、サタンには、絶対的な権限をもって立てた原則に反して進み出る権限がありません。
正しいことは神様が管理し、悪いことは、サタンが管理するのですが、そのような神様とサタンとの闘いの結果が、私たち個人から現れ始めるのです。
ですから、人間は、悪の母体にもなり、善の母体にもなることを知らなければなりません。
すなわち人というのは、善の出発地になると同時に、悪の出発地にもなるのです。」
平和経「神様と人間のための理想世界」より
心の内に本心と邪心があります。
このような状態から、邪心を無くすことが必要だと思います。
み言にも「私たち個人は、相反する二つの目的の方向をもった人間になっています。これは誰も否定できないことです。」
授受作用は、主体と対象とが、万有原力により相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのです。
存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ないために、心から邪心を無くすようにする。(邪心と相対基準を結ばない自分)
ここから、心と体の統一が始まると考えます。
次に、日々の生活での実践です。
私自身、日々の生活で(生活原理)の実践を努力します。
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
真のお母様のみ言に、真のお父様の聖和の後、お父様の願いに叶う勝利者がいるか、霊界に行った時に、お父様と共にいる人がいるか?
いないと言われ、天一国経典のみ言を学び、勝利者になって欲しいと真のお母様は、天一国経典をつくられた。
霊界に行った時、天一国経典のみ言で勝利者になりましたと、お父様に報告出来るように…
真のお父様と真のお母様に感謝します。
この道は、楽な道ではないので、この私も、最後まで、この道を歩めますように、導いて下さい。
私自身、傲慢に成りませんように祈ります。
私を導いて下さる神様と真の父母様に感謝します。
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全ての皆さんに感謝します。
神様と真の父母様の祝福がありますように
祈ります。
このブログは、私の考えで書いています。
み言の解釈、考え方などは、正確でないところがありますので、み言、統一原理などで確認する事を願います。
ブログ訪問ありがとうございます。
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