2016年3月31日木曜日

神様の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であると表現することも で きるのです。

天の父母様と真の父母様の導きと真の愛に感謝します。

心情とはで、私が気になった事とみ言を、はじめに、紹介します。
『愛には必ず対象が必要です。特に神様の愛は抑えがたい衝動であるため、その愛の対象が絶対的に必要だったのです。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかったのです。』
私たちも、対象が必要で、全てにおいて、対象を、無意識のうちに探しているのではと思います。
勿論、本然の姿ではないので、対象が見つかっても、葛藤があったりしますが、本然の姿に近い形での対象を求めていると思います。
意識する事は大切です。
無意識でなく、意識して対象圏をつくりましょう。
(私も、意識して、努力します。)

『神様は愛の対象として人間と万物を創造されたのです。人間は神様の直接的な愛の対象として、万物は神様の間接的な愛の対象として創造されたのです。万物が神様の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であることを意味します。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神様の愛の対象でありますが、結果から見るとき、人間と万物は神様の喜びの対象なのです。』
このみ言を読んで、神様の対象に人間と万物を創造した、対象の主体に人間、対象の対象に万物を創造しました。
神様は、天宙を創造しました。無形実体世界と有形実体世界主体と対象の関係ですよね。
(神様の創造の対象の主体の無形実体世界と対象の対象有形実体世界)
無形実体世界は、神様の直接主管圏であり、有形実体世界は、神様の間接主管圏(人間をとうして万物を主管するため)
喜びにも、直接的な喜びと間接的喜びがあります。
間接的喜びは、人が喜んでいるのを見て喜ぶことです。
私が感じた事です。
感謝します。

ここから、統一思想の内容です。
全てのみなさんに神様の真の愛と心情が伝わりますように祈ります。

 神様は心情である
 神様は心情すなわち愛を通して喜ぼうとする情的な衝動をもっておられますが、そのような神様の衝動は人間の衝動とは比較にならないほど抑えがたいものだったのです。
人間は相似の法則に従って、そのような神様の心情を受け継いだので、たとえ堕落して愛を喪失したとしても、喜ぼうとする衝動はそのまま残っているのです。ゆえに、情的な衝動を抑えるのは難しいのです。
 ところで神様において、喜ぼうとする情的な衝動は、愛そうとする衝動によって支えられています。真の喜びは真の愛を通じなければ得られないためです。
したがって、愛そうとする衝動は喜ぼうとする衝動よりも強いのです。愛の衝動は愛さずにはいられない欲望を意味します。そして愛さずにはいられないということは、愛の対象をもたずにはいられないということを意味します。
 そのような愛の衝動によって喜ぼうとする衝動が誘発されます。したがって愛の衝動が一次的なものであり、喜ぼうとする衝動は実は愛そうとする衝動が表面化したものにすぎないのです。
 ゆえに神様の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であると表現することもできるのです。
愛には必ず対象が必要です。特に神様の愛は抑えがたい衝動であるため、その愛の対象が絶対的に必要だったのです。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかったのです。

 宇宙創造と心情
 このように心情が動機となり、神様は愛の対象として人間と万物を創造されたのです。人間は神様の直接的な愛の対象として、万物は神様の間接的な愛の対象として創造されたのです。万物が神様の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であることを意味します。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神様の愛の対象でありますが、結果から見るとき、人間と万物は神様の喜びの対象なのです。
 このように心情を動機として宇宙創造の理論(心情動機説)は創造説が正しいか生成説が正しかという一つの現実問題を解決することになるのです。そして生成説(プロティノスの流出説、ヘーゲルの絶対精神の自己展開説、ガモフのビッグバン説、儒教の天生万物説など)では、現実への罪悪や混乱などの否定的側面までも自然発生によるものとされて、その解決の道がふさがれているのですが、正しい創造説では、そのような否定的側面を根本的に除去することができるのです。

 心情と文化
 次に、「心情は神様の性相の核心である」という命題から心情と文化の関係について説明します。神様の性相は内的性相と内的形状から成っていますが、内的性相は内的形状よりもより内的なのです。そして心情は内的性相よりもさらに内的なのです。このような関係は、創造本然の人間の性相においても同じです。
 これは心情が人間の知的活動、情的活動、意的活動の原動力となることを意味します。すなわち心情は情的な衝動力であり、その衝動力が知的機能、情的機能、意的機能を絶えず刺激することによって現れる活動がまさに知的活動、情的活動、意的活動なのです。
 人間の知的活動によって、哲学、科学をはじめとする様々な学問分野が発達するようになり、情的活動によって、絵画、音楽、彫刻、建築などの芸術分野が発達するようになり、意的活動によって、宗教、倫理、道徳、教育などの規範分野が発達するようになります。
 創造本然の人間によって構成される社会においては、知情意の活動の原動力が心情であり愛であるがゆえに、学問も芸術も規範も、すべて心情が動機となり、愛の実現がその目標となります。ところで学問分野、規範分野の総和、すなわち人間の知情意の活動の成果の総和が文化なのです。したがって創造本然の文化は心情を動機とし、愛の実現を目標として成立するのであり、そのような文化は永遠に続くようになります。そのような文化を統一思想では心情文化、愛の文化、または中和文化と呼びます。
 しかしながら人間始祖の堕落によって、人類の文化は様々な否定的な側面をもつ非原理的な文化となり、興亡を繰り返しながら今日に至っています。これは人間の性相の核心である心情が利己心によって遮られ、心情の衝動力が利己心のための衝動力になってしまったからです。
 そのように混乱を重ねる今日の文化を正す道は、利己心を追放し、性相の核心の位置に心情の衝動力を再び活性化させることによって、すべての文化の領域を心情を動機として、愛の実現を目標とするように転換させることなのです。すなわち心情文化、愛の文化を創建することなのです。このことは「心情は神様の性相の核心である」という命題が、今日の危機から文化をいかに救うかというまた一つの現実問題解決の基準になることを意味するのです。

 心情と原力
 最後に心情と原力について説明されています。宇宙万物はいったん創造されたのちにも、絶えず神様から一定の力を受けています。被造物はこの力を受けて個体間においても力を授受しています。前者は縦的な力であり、後者は横的な力です。統一思想では前者を原力といい、後者を万有原力といいます。
 ところでこの原力も、実は原相内の授受作用、すなわち性相と形状の授受作用によって形成された新生体なのです。具体的に言えば、性相内の心情の衝動力と形状内の前エネルギー(Pre-Energy)との授受作用によって形成された新しい力が原力(Prime Force)なのです。その力が、万物に作用して、横的な万有原力(Universal Prime Force)として現れて、万物相互間の授受作用を起こすのです。したがって万有原力は神様の原力の延長なのです。
 万有原力が心情の衝動力と前エネルギーによって形成された原力の延長であるということは、宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用していることを意味するのです。したがって人間が互いに愛し合うのは、そうしても、しんたくも良いというような、恣意的なものではなく、人間ならば誰でも従わなければならない天道なのです。
 このように「心情と原力の関係」に関する理論も、また一つの現実問題の解決の基準となることがお分かりになると思います。すなわち「人間は必ず他人を愛する必要があるのか」、「時によっては闘争(暴力)が必要な時もあるのではないか」、「敵を愛すべきか、打ち倒すべきか」というような現実問題に対する解答がこの理論の中にあることがお分かりでしょう。
統一思想より
ありがとうございます。
みなさんに神様の祝福がありますように。
感謝します。

2016年3月30日水曜日

心情とは何か?「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。統一思想より

神様と真の父母様の真の愛と心情の導きに感謝します。

私たちが歩む道は、どこから、続いているのでしょうか?
私たちの、歩みの、出発点はどこか?何なのか?
 考えながら、あなたは、何を思いますか?

人それぞれの、人生ではありますが。…
少し考える時間も、良いと思います。

心情を考える事は大切だと思い、心情について二日間に分けて、統一思想の内容を書きます。

(1)心情
 心情とは何か
 心情は神様の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。心情のそのような概念を正しく理解する助けとなるように、人間の場合を例として説明してみます。
 人間は誰でも生まれながらにして喜びを追求するようになっています。喜ぼうとしない人は一人もいないでしょう。人間は誰でも幸福を求めていますが、それがまさにその証拠なのです。そのように人間はいつも、喜びを得ようとする衝動、喜びたいという衝動をもって生きています。それにもかかわらず、今日まで大部分の人々が真の喜び、永遠の喜びを得ることができないでいることも事実なのです。
 それは人間がたいてい、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするからなのです。それでは真の喜び、永遠の喜びはいかにして得られるのでしょうか。それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのです。愛の生活とは、他人のために生きる愛他的な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいいます。

 心情は情的衝動である
 ここで「情的な衝動」について説明します。情的な衝動とは内部からわきあがる抑えがたい願望または欲望を意味します。普通の願望や欲望は意志で抑えることができますが、情的な衝動は人間の意志では抑えられないのです。
 私たちは喜ぼうとする衝動(欲望)が抑えがたいということを、日常の体験を通じてよく知っています。人間が金をもうけよう、地位を得よう、学識を広めよう、権力を得ようとするのも喜ぼうとすると衝動のためであり、甚だしくは犯罪行為までも、方向が間違っているだけで、その動機はやはり喜ぼうとする衝動にあるのです。
 このように喜ぼうとする衝動(欲望)は抑えがたいものです。欲望は達成されてこそ満たされます。しかるに大部分の人間にとって、喜ぼうとする欲望が満たされないでいるのは、喜びは愛を通じてしか得られないということが分かっていないからなのです。そして喜びが愛を通じてしか得られないのは、その喜びの根拠が神様にあるためなのです。
 統一思想より
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。

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皆さんに、天の父母様と真の父母様の祝福がありますように。
天運・天福ありがとうございます。
神様の知恵を相続して、知情意、全てが喜びの内で感謝の生活が出来ますように。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。

2016年3月29日火曜日

神様と二人だけの秘密 を持ってください。ブログタイトルは、「私は、自分人生を歩みながら、過去の人々の人生の一部分を歩んでいる。」

天の父母様と真の父母様に感謝します。
私の人生は、私が決めている!

その様に、思いたいのですが、よくよく考えてみれば、私に、協助している、先祖や私と同じような考えをしていた、霊界にいる人々が、私に、私の判断に、影響を与えています。
もちろん、最終的に判断しているのは、私自身です。

私は、霊界の協助を受けている事は、み言で聞いていましたが、生活の中でどれだけ意識しているのか…、意識していなかった事にきずき、今回ブログにしました。

私たちは、様々な思いがわいてきます。
良い思いだけでなく、悪い思いもわいてきます。
堕落性をなくす努力と堕落性をきずかせてくれた、自分の思いに、感謝します。

この感謝は、堕落性に感謝して堕落性のままに、生きて下さいと言う意味ではありません。

人生の目的は何か?
人それぞれにあると思います。

(人生の目的を詳しい知りたい方は、良い所を知っています。
様々な問題解決のヒントを詳しいく教えてくれる所です。それが、世界平和統一家庭連合・旧統一教会です。まずは、お電話を…。)

今回のブログは、人生の目的についてのブログではないので、そちらに、関心のある方は、家庭連合で、話を聞いて下さい。詳しいく理解出来ます。

ここから、ブログタイトルを意識しての内容を書いていきます。(よろしくお願いします。)

世の中、上手くいく人、上手くいかない人がいます。
先祖の功労があるとか、ないとか。
それだけでなく、過去の人々(私に協助している人)の人生が、影響しています。

神様が、創造した人間ですから、神様の創造目的があります。
簡単に言えば、神様の息子・娘に成り神様の国(天一国)をつくり生活する。

霊界にいる全ての人(霊人体)の目的も、神様の息子・娘となり、神様の国をつくり、そこで、生活をする事です。

霊界では、霊人体の成長と完成には、時間がかかります。(無限に近い時間かも知れないです。)
 霊人体は、早く霊人体の完成、霊人体のいる所より、少しでも、良いところに行きたいので、私たちに、協助しているのです。

私に、協助している人の越えられなかった、人間関係や仕事関係のことなどが、似たような形で、私が、体験して、人間関係などを、良くする事で、私に、協助している霊人体も良くなります。
 複雑な環境が与えられるのは、私が、神様の子供に成り、神様の国(天一国)をつくり、そこで生活するためと共に、私に協助している霊人体の完成のためです。

悪い事が起きるのは、悪い事をした悪霊人体は、悪い事を私たちにして、私たちが、それを感謝する事により、悪い霊人体も、良く成り、良い霊人体に成って行きます。

その事を思えば、知恵の王様である神様は、反対に配置している可能性は大きいです。
神様の事情を理解している人は、謙虚だと思います。
その事を知らない人は、傲慢です。

教会内でも位置は、神様が与えたもので有ります。
教会員で、教会を批判する人がいます。
(私は、謙遜傲慢なタイプの人間なので、この思いは、わかります。)
でも、批判して、何が変わるのか?
相手が、変わるかも知れません。
教会員であれば、内的に変わろうとすると思います。
批判する事で、批判された人が感謝すれば、批判した人も、救われています。
その事を、知っている、教会員であれば、相手を、批判出来ないのです。
(人を判断して、自分の背後の霊を良くしょうと思っている?)
そんなことは、ないと思いますが…。

自分の越えるべき問題は、自分で超えなければ、いけないのです。
誰かが、変わりにしてくれるかも知れませんが、そうしたら、神様の心情は、わからないのです。

神様の心情を理解するために、苦労するのです。
苦労する事は、悪いことではないと思います。

苦労する事をとうして神様の心情がわかります。(個人的感想です。神様の心情がわからない人もいます。)

神様が認める苦労をする事をススメます。
その事をとうして神様だけが知る内容があります。

2016年3月28日月曜日

神様を中心とした完成人間の位置と完成人間の価値

神様・天の父母様と真の父母様に感謝します。
完成人間の位置は、神様と親子 の関係ですが、唯一なる神様、真の父母様そして、子女としての、全人類です。

唯一なる神様は、天の父母様で、真の父母様は、天地人真の父母様です、子女は、アベルの子女(真の子女様)とカインの子女(堕落圏内の全人類)です。
カインの子女は、また、二つに分けられます。
カインの子女のアベル圏内に、統一原理を学び、真の父母様を父母と信じる人々(中心は、統一教会員)カインの子女のカイン圏は、まだ、真の父母様を知らない人々と言えます。

今の子女様の問題などを考える時に、アベルの子女とカインの子女の関係を理解しないと、問題がわからないと思います。

子女様は、堕落の血統と関係ありませんが、サタンの讒訴条件は、あります。
それは、真の父母様と真の家庭を支える善の基台と成るべき、カインの子女のアベル圏にいる教会員の摂理の失敗です。

失敗は、本来、失敗した本人が償うものですが、サタンは、本人以上に、アベルの子女である真の子女を讒訴します。
(真の父母様は、完成しているので、真の家庭を讒訴します。)

真のお母様は、カインの子女である教会員に、自分の責任分担を勝利しなさいと言われているのは、カインの子女が、自己責任を勝利すれば、アベルの子女である真の子女様への、サタンの讒訴条件が、無くなるからです。

位置的に、アベルの子女である真の子女様、次に、カインの子女です。

完成人間は、神様を中心として、自分の位置は、自然にわかるように成っていると言われています。

完成してない人間も、霊界に行けば、自己の位置は、自分で決めると言われています。
悪いことをすると、地獄に行くと言われているが、正確には、自分で決めているのです。
不平不満ばかり言っている人は、その様な、人のいるところに集まります。
他の所では、自分が、不平不満ばかり言っている事が、周りに分かってしまうからです。
不平不満の所に行けば、自分が不平不満を言っても、みんな言っているので、いやすい場所なのです。

完成人間の価値ですが、原理講論の内容を紹介します。
『2.  第七章 キリスト論
我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。
そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。
これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になって(マタイ五・48)、神のような神性をもつはずの価値的な存在である。
神が永遠なるお方であるので、その実体対象として創造された人間も、やはり、完成すれば、永遠なるものとして存在せざるを得ない。その上、完成した人間は、唯一無二の存在であり、全被造世界の主人であるがゆえに、彼なしには、天宙の存在価値も、完全になることはできないのである。
したがって、人間は、天宙的な価値の存在である。イエスは、正に、このような価値をもっておられる方である。しかし、イエスがもっておられる価値がいくら大きいといっても、既に列挙したように、創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。このようにイエスは、あくまでも創造目的を完成した人間として来られた方であることを、我々は否定できないのである。
原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである。
また原理が、イエスに対して、彼は創造目的を完成した一人の人間であると主張したとしても、彼の価値を決して少しも下げるものではない。
ただ、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引きあげるだけである。』

完成人間の価値は、全て同等である事が分かると思います。

ブログ訪問ありがとうございました。
私の考え方を中心に、ブログを書いてます。
この内容だけでなく、統一原理を学び、判断して下さい。
全ての人が、統一原理に関心を持ち、統一原理を学ぶ事を願います。
その後の判断は、自分自身で決めて下さった。
導かれる事を願います。

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神様と真の父母様感謝します。
天運・天福、天の祝福がありますように!
感謝します。

2016年3月27日日曜日

火の粉を払えさんの「お母様は、神になられた」と宣言すべきとありましたが…。少したりないと思います。

火の粉を払えさんのブログに、私のブログ、話題にして下さった事に感謝します。
ブログの表現や知識的なレベルの低さは認めます。

多少感情的表現に成るかも知れませんが、バカな弟が騒いでいる…。そんなレベルでブログを読んでいただければ嬉しいです。

統一原理についてですが、統一原理は、知的、頭が良いだけでは、原理を深く、広く、理解出来ません。
原理を深く、広く、理解するためには、神様のこと、特に神様の心情と事情を理解する事が大切です。

知的にだけ、統一原理を理解して、不平不満を言っている方もいると思います。
それで、霊界の天国(天一国)には入れないと思います。

教会員で無くても、一般の生活の内で、神様の心情と通じる苦労をしているなら、天一国に入国の手続きさえ取れば、古い教会員より早く天一国に入国出来るかもしれないです。
(これから、み言を学ぶ人の方が、早く天一国に入国出来るかも…。)

このブログは、この事を言いたかたのではないので、本題に戻します。
(全ての考え方は、私の個人的な考え方です。その事は、理解してください。)

「お母様は、神様になられた。」
これだけでなく、「お母様と責任分担完成した、天一国の民は、神様になる!」と宣言すべきです。

真の父母様は、人間の責任分担を果たして、完成人間に成りました。
完成人間は、神様の直接主管圏内です。
これは、神様と真の父母様が、一体と成っていることを言います。
別の言い方をすれば、神様の体と成った真の父母様です。

また、真の父母様だけでなく、全ての人間は、天一国の民と成り責任分担を完成した人は、神様の体となり、神様と一体と成ります。

今、地上には、真のお母様以外、人間の責任分担を完成した人は、いないので、今の時点では、真のお母様だけが、神様の体となっています。

人間が、自身の責任分担を完成して、神様の体と成ったら、全ての人が、同じ人に成るわけではありません。
人間には、人間一人ひとり、個性がありますから、神様の体と成っても、一人ひとり全て違います。
真のお父様の考え方と真のお母様の考え方が違っても、良いのです。
お父様とお母様の個性が違うのだから、語られる、み言も、違ってきて当たり前です。
真のお父様と真のお母様は、完成しました。
完成人間が、堕落する事は、ありません。

今回のブログは、(今回も)話がまとまりませんでした。
意見などあれば、コメントやブログで書いてください。
よろしくお願いします。
答えられる内容には、答えます。
このブログ訪問の方全員に、神様の祝福がありますように。
感謝します。

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ありがとうございます。
感謝します。
皆さんに、天運・天福がありますように!

おすすめブログです。
神様を中心とした完成人間の位置と完成人間の価値

2016年3月26日土曜日

会話も授受法に従っています。もし相手がでたらめに話せば、聞く人は彼が何を言っているのか理解できないのです。統一思想より

私が相手の言うことを理解できるのは、相手のもっている観念や概念が、私のもっている観念や概念と一致しているからであり、相手と私の思考の法則が一致しているからなのです。
相手がでたらめに話せば、聞く人は彼が何を言っているのか理解できないのです。

この事から、相手と私の思考の法則(観念や概念)が一致していいない時は、お互いに、話の内容が、理解できないです…。

第十一章 方法論 :
二 統一方法論(授受法) :
(二) 授受法の範囲
 授受法は神様と人間と万物(自然)における存在と発展の根本的な方法です。
まず神様は内的および外的な自同的授受作用によって永遠性を維持しつつ、内的および外的な発展的授受作用によって、人間と万物を創造されました。
 人間や万物においても、それぞれの個体(個性真理体)は、それ自体の中で主体と対象の相対的要素が内的な授受作用をしながら、同時にまた他の個体と外的な授受作用をすることによって、存在し発展しています。
 個体同士の授受作用には、次のようなものがあります。まず人間相互間の授受作用があります。それは家庭生活や社会生活における、人間と人間の交わりです。教育、倫理、政治、経済活動などがこの授受作用によって営まれています。
 次は、人間と万物の授受作用を見てみます。ここには、人間が万物を主管する場合の授受作用と、人間が万物を認識する場合の二つの授受作用があります。
万物の認識の場合の授受作用の例は、自然科学の基礎研究、自然の探求や鑑賞などがありますが、万物主管の例は、自然科学における応用研究、企業活動、経済活動、芸術の創作活動などがあります。
 さらに、万物相互間にも授受作用が行われています。原子と原子の授受作用、細胞と細胞の授受作用、星と星の授受作用などがその例です。そのように万物世界では数多くの個体が、それぞれ一定の位置において相互に授受作用を行うことによって、有機的、秩序的な世界を成しているのです。機械における部品と部品の相互作用も、その一例です。
 人間の思考や会話も授受法によって営まれています。すなわち、思考における主体的な部分(内的性相)である知情意の機能と、対象的部分(内的形状)である観念、概念、法則、数理が授受作用をすることによって思考が営まれています。
 思考における判断(命題)も授受法に従っています。例えば「この花はバラである」という判断は、「この花」と「バラ」という二つの観念を比べる対比型の授受作用なのです。
会話も授受法に従っています。もし相手がでたらめに話せば、聞く人は彼が何を言っているのか理解できないのです。私が相手の言うことを理解できるのは、相手のもっている観念や概念が、私のもっている観念や概念と一致しているからであり、相手と私の思考の法則が一致しているからなのです。これも対比型の授受作用です。(統一思想より)

ありがとうございます。
統一思想に感謝します。
神様と真の父母様に感謝します。

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神様と真の父母様の祝福、天運・天福がありますように祈ります。
全てに感謝します。

2016年3月25日金曜日

神様の創造を建物で、例えれば、原理が、設計図で、被造世界が家になります。

神様の創造を建物で、例えれば、原理が、設計図で、被造世界が家に例えられますが、私は、少し違う考えをしています。
私のブログでは、原相の構造が、よく出てきます。
また、原理講論には、「内性は目に見ることはできませんが、必ずある種のかたちをもっているので、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れるのです。そこで前者を性相といい、後者を形状と名づけます」(『原理講論』P44)。
とあるように、原理、設計図と被造世界、家の間に、模型の家かモデルハウスを‥?‥。
この事で、何が言いたいのか?
神様は、原理の設計図をもとに、モデルハウス( 内的かたち)を作り、それから、被造世界、天宙(外的かたち)を創造したと考えられます。

堕落した人間、私たちも、再創造に、内的自分を創造して、それから、外的自分を創造する事が大切だと思います。
内的自分を創造するのに、イメージトレーニングや良い事のシミュレーション、意識改革などが良いと思います。
私は、このブログで、内的自分創造をしているように思います。
外的自分創造は、まだ、出来ていませんが、先ずは、内的自分創造を意識しています。

私の考え方は、生活原理だと考えます。
原理は、お父様の考えやお父様の認めた内容で、原理を元に、教会員が考えた原理は、全て生活原理だと思います。

たくさんの教会員の皆さんが、それぞれ個性的な生活原理を発表されることを願います。
(生活原理の理解が広まる事を願います。)
自己責任、自己判断でありますが…。

ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
心に感じる内容が有ればうれしいです。
神様の祝福がありますように!

おすすめブログ
☆原相の構造とシステム!公開

原相の理解が深まることを祈ります。
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神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。

2016年3月24日木曜日

原相の構造とシステム!公開

神様に心から、感謝します。
このブログ訪問の方に、より深い内容を伝えて下さることを願います。

原相の構造は、内的な物で、外的な物が、神相になります。

ここで、神相について、少し説明します。
統一思想より
「神相は神の属性の形の側面をいう。神は人間の目には見えないが、一定の形または形に成りうる可能性または規定性をもっている。それが神相である。神相には、性相と形状、陽性と陰性の二種類の二性性相と個別相がある。」

性相と形状、陽性と陰性の二種類の二性性相に似た形が、原相の構造の内に有るのでしょうか?

統一思想の原相の構造を見ていきます。

「原相における性相と形状の授受作用は中心によって二つの結果を生じます。一つは合性体であり、他の一つは新生体です。すなわち心情が中心の時は合性体となり、目的(創造目的)が中心の時には新生体を生じるのです。このような二つの結果は、被造物相互間の授受作用においても同じです。被造物の授受作用が原相内の授受作用に似ているためです。 」
「心情が中心のとき、結果として合性体または統一体が現れ、目的が中心のとき、結果として新生体または繁殖体が現れるのです。ここで合性体とは一つに統一された形態をいい、新生体とは創造された万物(人間を含む)をいいます。したがって原相において、新生体の出現は万物の創造を意味するのです。」

「性相と形状の授受作用は、位置という観点から見るとき、実は主体と対象間の授受作用なのであり、それに中心と結果の位置を含めると、主体と対象の授受作用は結局、四位基台の形成なのです。したがって位置的に見るとき、自同的授受作用は自同的四位基台となるのであり、発展的授受作用は発展的四位基台となるのです。このようにして四位基台には合性体を成す自同的四位基台と、新生体を成す発展的四位基台の二つの種類があることが分かります。」

 四位基台には、そのほかにまた異なる二種類の四位基台がある。
それが内的四位基台と外的四位基台である。
 原相における性相を中心として見た、このような内的四位基台と外的四位基台の構造を「原相の二段構造」と呼びます。そして被造物も原相の構造に似て、個体ごとに内外に四位基台を形成しているので、それを「存在の二段構造」といいます。
 原相における授受作用は、心情または創造目的を中心とした円満で調和的な相互作用です。したがって万物は例外なく創造目的を中心として、円満な内的および外的な授受作用をなして内的および外的な四位基台を形成しています。
ところが人間は内的生活(精神生活)すなわち内的四位基台と外的生活(社会生活)すなわち外的四位基台の形成において、心情(愛)や創造目的を中心とすることができず、自己中心になってしまい、相衝、葛藤、対立、闘争、紛争などの社会混乱を引き起こしているのです。 

四位基台は四種類あるという結論になるのです。実際には、これらが互いに組み合った次のような四位基台が形成されています。すなわち内的自同的四位基台、外的自同的四位基台、内的発展的四位基台、外的発展的四位基台です。

統一思想からでした。
説明が長く成りましたが、わかりましたか?
性相と形状、陽性と陰性の二種類の二性性相に似た形が、原相の構造の内に有りましたか?
(この考え方は、私個人の考え方です。)
統一思想に書いてある内容を元にしています。

内的四位基台の内に、自同的四位基台と発展的四位基台が有り、外的四位基台の内に、自同的四位基台と発展的四位基台があります。

この考え方は、ペアシステムから考えでました。

私は、新しい発見がありましたが、…。
一人ひとり考え方は、違うと思います。
このブログ訪問をきっかけに、原相、統一思想への関心が増えることを願います。
私たちが、神様の息子、娘に成るために、…。
神様を、正しく知らないで、神様の息子、娘になれないと思います。
自分で判断する!
自分で行動する!

(私も努力して、出来るところから、勝利します)
共に、小さなことから、勝利しましょう!
神様の導きを感じ、神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。

皆さんに感謝します。
神様の祝福がありますように。

2016年3月23日水曜日

原理講論のどの部分が、原相の二段構造の考え方の元に成っているのか?

今日は、この事を、少し考えてみます。

本性相を中心として見るとき、その内部にも性相(内的性相)と形状(内的形状)があり、外部にも性相(本性相)と形状(本形状)があるということになります。
性相と形状が共通要素を中心として相対関係を結べば必ず授受作用が行われます。したがって外部の本性相と本形状の間のみならず、内部の内的性相と内的形状の間にも授受作用が行われるのです。

原相における性相を中心として見た、内的四位基台と外的四位基台の構造を「原相の二段構造」と呼びます。

ここに書いてある、内的形状の事が原理講論に、書いてあります。
1.内的形状 
 「内性は目に見ることはできませんが、必ずある種のかたちをもっているので、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れるのです。そこで前者を性相といい、後者を形状と名づけます」(『原理講論』P44)。これは目に見える形より前に、性相の中に、すでに形があることを意味するものであり、その性相の中の形がまさに内的形状なのです。

イメージトレーニングは、内的形状を変えるトレーニングです。

ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
神様の神霊によって、内的恵みがありますように。

神様の真の愛を相続出来ますように。
私から変わります。
導いて下さいよろしくお願いします。
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神様と真の父母様の祝福がありますように。
ありがとうございます。

やまさんのコメントに答えます。神様と天使長が兄弟なら、夜の神様と昼の神様は親子?
平和経「ために生きる生涯」より、み言と「夜の神様と昼の神様は親子?」について、もう少し説明します。


2016年3月22日火曜日

平和経「ために生きる生涯」より、み言と「夜の神様と昼の神様は親子?」について、もう少し説明します。

『私たちはまず、神様の創造理想を知らなければなりません。絶対的で永遠の神様が、何ゆえに創造をしなければならなかったのでしょうか。
神様にとって絶対的に必要なものとは何でしょうか。物質的な富や知識、それとも権力でしょうか。これらは、神様が願いさえすればいつでも得ることができるものです。
しかし、真の愛だけは、神様お一人では完成することができません。なぜなら、真の愛は、必ず相対を通してのみ完成されるもので、授受作用できる相対がいなければ、神様であっても、この真の愛を完成することはできないからです。
正にこのような理由で、神様はこの世界を創造されたのです。』

「夜の神様と昼の神様は親子?」について 、もう少し説明します。

「内的被造は、昼の神様と言えると思います。
夜の神様が、昼の神様と天使世界を創造した。
神様が神様をつくり、天使世界である他者をつくった。」

神様が、内的被造世界を神様の内に生みだした事を言いたかたのです。
性相的神様が、夜の神様で、形状的神様が、昼の神様だと考えています。
 夜の神様と昼の神様は、親子の関係ではありません。
(誤解を与える表現をしてしまいました。すいませんでした。)

私たちは、考えている時は、動いていないのか?
動いている時は、考えていないのか?
そんな事ないですよね。
人間の、考えると行動することは、一体ですよね。二つが一つに成ってます。

夜の神様と昼の神様も、一体です。
はじめは、夜の神様が、考えていて、その後、昼の神様が行動していく。

こんな感じですが、…。
何か伝われば嬉しいです。

原相の構造とシステムを理解する事により、神様の考え方など理解でき、み言の理解も、深く理解できると思います。

神様の導きを願います。
私の説明で、不足の部分は、神様が直接、ブログ訪問の方々に、語り掛けて下さるようにお願いします。
神様のみ言と神霊が、満ちあふれますように、祈ります。
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。

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皆さんの健康を祈ります。
神様の祝福がありますように。

2016年3月21日月曜日

神様は、アダムとエバの祝福の後に、天使世界の祝福をする予定だった。

この内容は、5~6年前に、あるセミナー(勉強会)で、韓国の講師の先生から聞いた内容です。
アダムとエバが、責任分担を果たして、神様の祝福の後、嬉しくて感謝して、被造世界を見たとき、天使世界が、ペアに成っていないことにきずき、アダムとエバが神様に天使の祝福をお願いして、それを聞いてもらい、天使世界に祝福を与える予定だったそうです。
アダムとエバが天使世界に祝福をする事で、万物主管完成を意味すると言ってました。

あなたは、どう思いますか?

この内容が本当なら、早く天使世界の祝福がありますように祈ります。

霊肉合同作戦、霊界の善の協助よろしくお願いします。

神様のために、個性を発揮しよう!
神様の力と知恵を、私たちに、たくさん下さい。
よろしくお願いします。

まずは、私から、善に変わりますので、霊界の皆さん、協助よろしくお願いします。

ブログ訪問の皆さんありがとうございます。
質問などあれば、コメント下さい。
匿名でも良いです。
全ての内容に答えられない時がありますが、よろしくお願いします。

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皆さん神様の祝福がありますように!
神様のために、個性を発揮しオンリイワン!
ナンバーワン!
頑張りましょう。

2016年3月20日日曜日

やまさんのコメントに答えます。神様と天使長が兄弟なら、夜の神様と昼の神様は親子?

答えが、飛びすぎて意味が解らない?
あなたは、そう感じたと思います。
神様と天使長が兄弟なら、夜の神様と昼の神様は親子?
夜の神様と昼の神様、天使世界は、繋がっていると考えます。

私の考え方の基本は、原相の二段構造とペアシステムです。
神様の創造は、被造世界の創造の前に、創造した物があります。
聖書の「光あれ!」の前に創造された創造物です?

これは、天使長・天使世界ですね。
この時に、天使長・天使世界だけを創造したのか?

神様の創造が、全てペアシステムで、創造したのであれば、天使世界の他に別の世界を創造していると考えられます。
それは、内的被造世界です。

内的被造は、昼の神様と言えると思います。
夜の神様が、昼の神様と天使世界を創造した。
神様が神様をつくり、天使世界である他者をつくった。
人間も、自分自身を完成させ、他者を完成させる。(他者は、芸術作品とか、他の物を創造するなど…。)
私が考えるキーワードは、「二つ」です。

人間の誕生も、お母さんのお腹のなかで、育ち、地上に、誕生します。
この時、私たちの霊人体が生まれます。
霊人体は、地上で、成長完成させ霊界の、愛の世界に行きます。

人間は、地上に誕生する前は、お母さんと一体であり、地上に誕生したら、肉体と霊人体が
一体であり、霊界に行けば、夫婦が一体となっている。(愛の神様と一体)

人間に成長期間、間接主管圏・原理結果主管圏と成長期間完成(人間の責任分担の完遂)、直接主管圏の二段になってます。
(成長期間の完成は、三段階になってます。これは、三数完成数です。)
これが、私の考えです。
完全な正解とは思いませんが、いろんな考えの中で、正解に近い考え方のひとつだと考えます。
批判する人は、いると思いますが、その人も、正解がわかってないので、私は、自分の考えを信じています。
(もちろん、間違いにきずけば、間違いを認め訂正します。)

天使世界、天使長も、祝福を受ける予定でした。
(神様は、アダムとエバの祝福の後、アダムとエバが神様に天使の祝福をお願いして、それを聞いて、天使世界に祝福を与える予定でした。)
今日は、ここで終わります。
ありがとうございます。

皆さんに、神様の祝福がありますように祈ります。
全てが明らかになり、神様の世界、善の世界が、発展する時を迎えました。
不平不満の思いは、神様に話して、サタンとの相対基準を切って下さい。
神様の導きを願います。
神様の時が来たことを強く感じます。
神様に感謝します。
ありがとうございます。

皆さんに、読んで欲しいブログを紹介します。
タイトルが、ファンタジーとありますが、「神様の心情の世界」「神様の想い」と考えて下さい。(時間のある方は、読んでください。)
今日は、ファンタジーの世界行きませんか?原相の世界?内なる神様の世界へ!

天の父母様と真の父母様の導きがありますように!
天運・天福に感謝します。
(み言と神霊に導かれますように祈ります。)
アージュ!
真の愛の道は、感謝の道

2016年3月19日土曜日

原理本体論になぜ関心が無いのか?それは、大切な内容だからです。自分から、求めるべき内容だからです。

以前書いたブログ「原理本体論教育で、私は、変わりました。…」の中で、原理本体論は、今では、教会内でも、口にする人がいないとか誰かが言ってましたが、それを聞いて何故か?
残念な気持ちです。
と書きましたが、そうではありませんでした。

日曜日の礼拝で、教会長が、原理本体論教育の重要性を話していました。
それまでの、修練会と違い、真の父母様が直接教育する内容が、原理本体論である。
(講師は、真の父母様の代身で話している。)

この事などから、私が感じる事は、私自身で求めないといけない。
本然の世界(天一国)は、心情文化世界とも言われます。
心情文化世界とは何か?
心情文化世界は、人に言われて行動する世界ではありません。
誰かの、言う事だけを信じて行動するのでなく、真の父母様のみ言と統一原理、(原理原則)神様の心情を中心に行動します。
組織があるので、それを、無視して、勝手に行動して下さいと言ってるわけではありません。
原理講論に書いてあるように、心情文化世界は、神様を頭に、それぞれの人が、神様の手足になって行動する事です。
心情文化世界は、自己中心の世界ではありません。

今、必要なことは何か?
原理を学び、善悪の判断力を強くする、主体性をもつ、個性を伸ばす。
心情文化世界では、個性を伸ばすことが、オンリーワンであり、ナンバーワンです。

以前は、神様のためにバカになれ!と言う思いがありましたが、今の時代、神様のために、天才になれ!
私たちは、神様のために天才になれる!
個性を伸ばして、それぞれの分野で、天才になりましょう。
考えない、意識しないそんな所から、何も生まれない。
私たちが意識して、考え、行動したら、神様は、私たちに、力を与えてくれます。
時間は、それぞれに掛かりますが。
(成長期間をとうして、成長すれば、必ず、叶います。)
私たちが、願う前に、善の世界は、神様が願ってる世界です。
そうであるなら、神様が、私たちを意識するはずです。
神様が意識するところに、天運・天福はあります。
神様は、様々な事を準備しています。
私たちが、知らなくても、感じることが出来なくても…。

 不平不満は、サターンと相対するだけで、神様は相対する事が出来ません。
自分から、神様を遠ざける行動は避けたら良いと思います。
 不平不満が有るなら、神様に聞いてもらう、神様に訪ねたら良いと思います。
(神様に報告、こんな不平不満が出るのですが… )

神様は、私たち一人一人が神様の息子、娘になることを願っています。
神様は、あなたひとりを最初に救いたいのです。(その事を感じて下さい。)

原理講論や原理本体論を、病院での診療に例えれば、原理講論は、風邪などで、服の上から、顔色や表情、声などで、診療する事に似ています。
原理本体論は、聴診器などを使って体を診察する事に似ています。
その次に、原相の構造は、レントゲン写真で体を詳しく診察する事で、病気の正確な判断が出来る事に似ています。
原理本体論を知らないで、神様を詳しく知ることはできません。
私は、そう考えます。

私が、原理本体論教育を受けた時、講師の先生が、天聖経を読めば、本体論はわかると言ってました。天聖経の内容は、本体論の内容が書いてあるとの事でした。

 あなたに、神様の祝福がありますように祈ります。
ブログ訪問ありがとうございます。
神様が、伝えたい内容、不足の部分は、神様が直接伝えて下さる事を願います。
神様が、私を通して伝えたい内容を正しく伝えられるように、今後も、導いて下さい。
(私が傲慢にならないように祈ります。)
これからも、よろしくお願いします。
感謝します。

皆さんに、読んで欲しいブログを紹介します。
タイトルが、ファンタジーとありますが、「神様の心情の世界」「神様の想い」と考えて下さい。(時間のある方は、読んでください。)
今日は、ファンタジーの世界行きませんか?原相の世界?内なる神様の世界へ!
感謝します。
天の父母様と真の父母様の導きがありますように!
(み言と神霊に導かれますように、アージュ!)
真の愛の道は、感謝の道

2016年3月18日金曜日

意識改革をしましょう!なぜ勝利出来ないのかを考えましょう。

皆さんに神様の祝福がありますように祈ります。
意識改革をしましょう。
皆さんは、中心性と一体化、アベルとの一体化や神様、真の父母様の為に、など…一つを意識していませんか?
この事を否定する意味で、言うているのではなく、何か足りませんか?
もう一つ意識してみませんか?
と言うことが言いたいのです。

今までのブログで言っている、原相の構造ですが、この原相の構造は 、どの様になっているのか?
まだ、説明不足でしたので、統一思想に書いてある内容を紹介します。

『(二)四位基台の構成
(2)内的四位基台と外的四位基台
 内的四位基台と外的四位基台です。この二種類の四位基台は授受作用に内的授受作用と外的授受作用があることから説明されます。
 「原相の内容」において、本性相は機能的部分と対象的部分の二つの部分からなっていること、機能的部分を内的性相、対象的部分を内的形状と呼ぶことを明らかにしました。すなわち本性相の内部に性相と形状があるということなのです。
 本性相を中心として見るとき、その内部にも性相(内的性相)と形状(内的形状)があり、外部にも性相(本性相)と形状(本形状)があるということになります。性相と形状が共通要素を中心として相対関係を結べば必ず授受作用が行われます。したがって外部の本性相と本形状の間のみならず、内部の内的性相と内的形状の間にも授受作用が行われるのです。前者を外的授受作用といい、後者を内的授受作用といいます。この内的授受作用にも中心(心情または目的)と結果(合性体または新生体)が含まれるのはもちろんです。内的授受作用によって内的四位基台が、外的授受作用によって外的四位基台が形成されます。』

『本性相は内外に四位基台を形成しているのです。原相における性相を中心として見た、このような内的四位基台と外的四位基台の構造を「原相の二段構造」と呼びます。そして被造物も原相の構造に似て、個体ごとに内外に四位基台を形成しているので、それを「存在の二段構造」といいます。』

ここに書いてあるように、私たち も、自分の内外に四位基台を形成していると言うことです。
初めは、この事だけ考えてみるだけでも、意識は変わると思います。

意識するから、変わる事が出来ると考えます。
私が、意識するキーワードは、「二つ」です。
 この事から、私は、大きく変わりました。
(勿論、原理本体論教育やみ言の訓読、統一思想の原相論の学習をとおして感じた事で、二つを意識すると、見えない事が見えてきたからです。)

二つですが、例えば、目的(全体目的と個体目的)を考えたときに、以前は、全体目的を勝利すれば(全体目的一つを意識)、個体目的も勝利出来ると考え意識していました。
この様に考えてる方、多いと思います。
 今は、全体目的と個体目的は、別々で、目的は、「二つ」と意識しています。
主体と対象の関係なので、全体目的が主体になりますが、その中で、個体目的を勝利するための何かがあると考えています。
(私は、全体目的も個体目的もまだ、勝利していませんが、この様に、二つを意識しています。いずれ、勝利すると…)

前回のブログに書きました、神様は、対象を求めたように、私たちも、対象を求める、主体である、神様と真の父母様に美を返すと共に、対象、相対圏を愛する。この二つを意識する。
(以前、「日本のアベル、カインは、間違っている。」と言うみ言があったと思います。どこが、間違っているのか、正確には知りませんが、この二つを意識せず、神様、真の父母様、一つだけを意識していた事が、原因では…。個人的考えです。)

この様に、一つ出なく、二つを意識すると、今までと違うものが、見えてくると思います。
答えも、一つでなく、二つあると私は考えます。それを、選ぶのは、あなた自身です。

「意識を変える ?」「意識を変えない?」
どちらを選ぶかは、あなたです。
間違いは、ありません。
どちらも、正解です。
間違いは、どちらも選ばない事です。
何も意識しない事です。
(無関心では、いけないのです。)

意識すると神様が、導いてくれます。
私(あなた)に必要な環境を与えてくれる神様です。
私(あなたが)神の子になる事を、神様は、願っています。愛しています。
自分自身の良心、本心を信じて下さい。
神様の導きに感謝します。
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神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
真の愛の道は、感謝の道!
神様の真の愛を相続しょう!

2016年3月17日木曜日

神様はなぜ?被造世界を造ったか。あなたは、どの様に答えますか?

今回のタイトルですが、答えは、原理講論の中にあります。
その様に、統一原理を学んだ方は答えると思います。
それでは、ブログにならないので、私の考えを書きます。
(皆さんも、自分なりに表現して下さい。何か、新しく気がつくかとがあるかもしれないです。)

神様は、一人でした。
その神様は、対象(相対)を求めました。
(神様は、真の愛の本体ですので、愛したい、…愛は、対象をとうして感じるものです。)
神様は、相対(対象)として、人間(神の子)の創造を考えました。
その時、人間の相対・対象として万物を創造します。
神様が相対・対象を求めたように、人間にも、相対・対象が必要になるからです。
聖書の中に、人間は、一人では良くない、アダム(男性)とエバ(女性)に創造しました。
すべて、ペアシステムに創造しました。

人間は、神様から、愛を受けて、美を返す。
この事は、意識していると思います。
もう一つ、神様が、対象、相対を求めたように、私たちも、相対を求め相対愛する。
今、お母様は、環境問題の話をします。
また、子女教育に力を入れています。
以前は、組織、自分の後任の教育、自分の部下の教育などを話してました。
お父様も、氏族メシヤなど、すべて、私たちに、必要なので、言われたみ言ですね。

お父様は、天使長は、神様の弟であると言うみ言があります。
それは、なぜか?

私は、答えられます。
その答えが、正解か、不正解か分からないので、大きい声では言えません。

この答えを知っている人は、お母様だけかも知れません。(地上では)
神様と真のお父様は、知っているので、私の答えが正解かどうか教えて下さい。
よろしくお願いします、と言いたいです。

私が考えている、原相の構造とシステムを理解すれば、様々な事が理解出来ると考えます。
原相の構造は、統一思想の原相論にあります。
原相のシステムは、ペアシステムです。

良くわからない人は、このブログを読んでください。
今までのブログも、原相の構造とシステムを理解して欲しいと言う思いで書いています。
神様を、統一思想的に表現すると原相になります。
いろんな方に、関心を持っもらえたら嬉しいです。
私は、このブログを書いているので、対象、関心を持っくれる人を増やす事が大切だと考えています。
強制的に増やす事は出来ませんので、関心のある方は、今後も、ブログ訪問よろしくお願いします。
感謝します。
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皆さんに神様の祝福がありますように祈ります。
関心のあることを意識する事から、すべては、変わると信じます。
何も意識しない生活と神様を意識して、み言を意識する生活は、違って来ます。
神様やみ言を意識して生活する事は、大変だと思いますので、無意識の内で神様とみ言を意識する事を勧めます。
(神様の心情のメガネをあなたの心情にかけます。意識するだけで良いです。効果には、個人差があります。)
無理と思わないで、焦らず、無理せず、時間をかけて、…感謝します。
神様の真の愛を相続しょう!

2016年3月16日水曜日

平和経「人類の新しい未来」み言から…思いを形にするためには、それに相当する自分自体の力を投入しなければなりなせん。

平和経P71~ 「私の気になったみ言を書きます。」
きょう、皆様と共に考えてみようと思うテーマは「人類の新しい未来」です。

「今、問題となるのは、人がいないことでも、物質がないことでもありません。
それは、神に対する明確な観が現れないことです。
明確な神観を通して、人生観や歴史観を新たに設定しなければ、人類世界の新しい未来は現れることはないと思います。
私たちがはっきりと神様を知るならば、中世に没落し始めた不明確な神観、現世の人本主義思潮、唯物主義思潮のすべての問題は解決すると思うのです。
ですから、神様は存在するかしないかということが問題にならざるを得ません。
人間は今まで、真で永遠不変な愛と理想と幸福と平和を期待しない時がありませんでした。
変わる人間を通しては、このような理想的な要件を成就させることはできません。これは、今日私たちが現時点において処している世界の状況を見つめてみれば、如実に証明される事実です。このような時に、絶対的で、永遠で、唯一で、不変であられる神様がいらっしゃるならば、そのような神様によって、新しい見地から、真の愛、真の理想、真の平和、真の幸福の起源を求めざるを得ないのです。
そのような立場から、神様御自身から見る神観、神様御自身から見る人生観、神様御自身から見 る物質観、これを明確にするところから、新しい平和と新しい幸福の世界を私たちは迎えることができると思うのです。」

「神様は、主体であり、人間は対象です。真の愛の王となることができる神様、真の理想の王となることができる神様、真の平和の王となることができるその神様のみ前に、対象である人間自体を見たときに、私たちは、無限の価値をもった存在であることを知らなければなりません。」

『自分の相対や自分の子女が優れていることを願うのは、人間本性の欲求です。
それは、人間が誰に似ているからでしょうか。人間はあくまでも原因的な存在ではなく、結果的な存在であることは否定できません。…原因であられる神様に似ているので、そのように求めざるを得ないということは当然の結論です。
今日、人間は、自分の価値を取るに足らないものと考えています。「私など無価値な存在だ」と動物のように自分を扱う人がたくさんいます。きょう、皆様に一つ覚えておいていただきたいことは、神様は、皆様自身が神様よりも立派であることを願われているという事実です。
このことを覚えてお帰りになれば、これは偉大な発見とならざるを得ないと思うのです。』

『私たちは今まで、天地創造の理想的起源をどこに設定するのか、という問題を考えもしませんでした。
創造というその言葉自体は、何を意味するのでしょうか。
すべてのものの投入を意味します。
思いを形にするためには、それに相当する自分自体の力を投入しなければなりなせん。
投入するところから存在が始まるのです。
 主体と対象の関係について、神様が考えるならば、道は二つしかありません。一つは、神様を中心として対象が主体のために生きる道と、もう一つは、神様御自身がその対象である人間を造って、人間のために生きる道、この二つの道しかありません。
ここに神様の理想的根源地を設定しなければなりません。もし「主体となる神様に、対象的なすべての存在は絶対服従せよ。主体だけのために生きよ」と言う場合は、どうなるでしょうか。
神様が、男性的主体として存在されるように、男性と女性を中心として、男性が主体で、女性が対象であるならば、その男性が女性に「主体のために生きよ」と言えばどうなるでしょうか。ここには一つになる道が塞がってしまうのです。
しかし、知恵の王であられる神様が、「対象のために生きよ」という立場を設定するときは、すべてが一つになることができるのです。
ですから、天地創造の理想的根源は、「自分のために生きよ」というところに置くことはできず、「相対のために生きよ」というところに置かざるを得ないという事実を、今、私たちは知らなければなりません。
 それでは、堕落とは何でしょうか。人間は神様のために存在するようになっており、また神様は人間のために存在するようになっています。お互いのために存在する原則を立てました。
しかし、このような原則から外れ、人間自体が自主的自我を自覚し始めたことが堕落です。
言い換えれば、自分を中心としてすべて「ために生きよ」というところに自分自身を立てようとしたのです。ここから堕落の起源が生じました。天理原則から外れ出たのです。
人間が神様を手本として、神様から教育を受け、神様のために存在していれば、そこから理想世界の実現が可能だったにもかかわらず、そうすることができず、人間自体を中心として主体性を強調したので、堕落が起きたのです。
このような事実は、聖書を通して如実に証されています。
ですから、ここに一つの公式的結論を下すならば、「すべての理想的創造物は、ために存在する」という原則が成立するというのです。』

神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。

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皆様に神様の祝福がありますように祈ります。
ありがとうございます。

2016年3月15日火曜日

時間空間を超越し唯一、不変、永遠、絶対「性」、知情意、エネルギー、真の愛、心情、無形の心と体を持った、知的(知恵の)生命体とは何か?

長いタイトルですが、神様を私なりに表現しました。
今回は、神様についてですが、皆さんの、意識の内の神様は、どんな神様ですか?
私の意識の内の神様は、つい最近まで、聖書に書いてある、光あれで、創造する神様です。
統一原理の神様は、み言、知識としては、永遠、不変…な神様ですが、光あれの前は、無であると意識している自分に気がつきました。
光あれの前は、無ではありません。
今回のタイトルのような、神様が、存在してました…。
(正しくは、原理講論で説明している神様です。)
神様を、正しく知る事は、大切です。

私の思い、考え方で、全てを判断します。
私が、良い悪いから、相手が、良い悪いまでです。
二人の思い、考え方が違えば、そこに、勘違いや誤解が生じます。
その時、私たちは、自分が正しいと思うでしょう。 (間違いにきずかなければ)
また、相手を自分なりに判断する事もあるでしょう。
神様のことも、同じだと考えます。

創造主、全ての第一原因である神様を、正しく知る事は、大切です。
知的だけでなく、情意など感覚的なことまで、神様を正しく知ること。
そのためにも、統一原理、統一思想・原相論、真の父母様のみ言を学び、神様を正しく理解しましょう。
(この言葉は、私自身にも言ってます。)

また、神様を正しく知る。統一原理を正しく知る事が何故大切なのか?
料理で例えれば、美味しい料理を、同じ材料とレシピがあれば(同じ調理方法で)、それと同じく、美味しい料理ができます。
但し、料理を習得するには、練習期間が必要ですが…。

神様の息子、娘になるように、共に頑張りましょう。
神様(天の父母様)と真の父母様の祝福がありますように祈ります。

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皆さんの幸せを祈ります。
真の愛の道は、感謝の道
天運到来!
全てに感謝の生活で、頑張りましょう!

2016年3月14日月曜日

真の父母様は、真のお父様と真のお母様、永遠に、二人だけです。お父様だけで、真の父母ですと言う人がいますが、天上天国で、神様を中心としての四位基台ができません。

真の父母様のみ言、統一思想を中心に考えた、個人的感想です。
人間の堕落により、神様との関係が切れました。
これを、四位基台で説明すれば、サタンを中心として、四位基台がつくられました。
外的(肉体)だけでなく内的(霊的)にもサタンを中心として四位基台がつくられました。
その事により、人間から、神霊が離れました。

神の子になるとは?
あなたは、どう考えますか?
お父様のみ言を信じる?

私がサタンなら、原理原則があるのに何故?お父様のみ言を信じるだけで、神様の子女になれるんですか?
そう、神様と真の父母様、あなたに、言います。

何が言いたいか、お父様のみ言のどのみ言で、神様の子女に成るか説明せずに、サタンは、あなたを、神の子ですと、認めますか?
もちろん、み言を知っていれば、神の子になれるのか?
それだけでは、ダメですが…。
(サタン分立の生活をするなど…)

神様の息子、娘に成るには、み言を理解して、み言の実践、サタン分立の生活をすることなどだと考えます。

み言をとうして、神様の息子、娘と成るために、真の父母様の祝福結婚式に参加します。
これは、血統転換の内容があります。
神様を中心に、真のお父様、真のお母様、そして、私、神様を中心として四位基台がつくられます。これは、霊肉両面の四位基台です。

肉的に考えるなら、神様と真の父母様が一体となり、私たち夫婦が、真の父母様の位置に上がり、子女が生まれれば、私たちは、真の父母様の代身者としての真の父母の位置にたちます。

霊的な面は、神様を中心として、真のお父様、真のお母様、私たち夫婦の霊的四位基台完成が、天上天国で、神様と真の父母様と共に生活出来る条件だと考えます。
(神様・天の父母様、真の父母様の子女の立場で夫婦一体)
天国は、夫婦で行く、個人では行けない
全てが、ペアになっているから。
この事を考えると、真の父母様以外、真の父母様になれない。
(その様な答えを、私は、だしました。)

お父様だけで、真の父母ですと言う人がいますが、天上天国(天上天一国)で、神様を中心としての四位基台ができません。

この事に関して、どの様に説明しますか?
説明出来なくても、信じればよい訳では、ありません。
統一原理は、宗教的であり、科学的なのですから…。

科学者が、「・・・細胞はあります。」と言っても、それを実験で証明出来なければ、ウソになってしまいます。証明出来れば、ホントになります。

統一原理を中心に考える私たちは、統一原理を中心として、説明出来なければいけないと思います。
これが、私の個人的考えです。

私自身も、今以上に、統一原理を学び、深く理解しないといけないと思います。
最終的には、み言の実践、み言の生活化です。
私自身の新しい歩みは、スタートしたばかりです。
(信仰生活は、長いのですが…)

このブログの内容が、何か、皆さんの心に感じるものがあれば、嬉しいです。
(全て信じて下さいとは、言いません。統一原理と合っている、正しいと思う内容を意識してもらえれば嬉しいです。)
ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに神様の祝福がありますように。
祈ります。

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神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。
真の愛の道は、感謝の道!
全てに感謝して頑張りましょう!

2016年3月13日日曜日

授受作用の特徴は何か? 統一思想・原相論より

授受作用の特徴は円満性、調和性、円滑性である 

 原相内の授受作用は、心情を中心とするときも、目的を中心とするときも、円和性、調和性、円滑性がその特徴です。心情は愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動であり、心情は愛の源泉です。
したがって心情が中心の時には愛がわき出るようになります。その愛の授受作用が円満なのです。
目的が中心のときも同じです。創造目的は心情を土台として立てられているためです。 
 そのように原相内の授受作用は円満性、調和性、円滑性をその特徴としているため、そこには矛盾、対立、相衝のような現象は存在することはできません。
言い換えれば相互作用に矛盾、対立が現れるのは、そこに心情や目的のような共通要素としての中心がないためであり、愛がないからなのです。つまり外的にいくら授受作用を行っても、愛が中心とならない限り、その作用は調和性、円和性を現すことができず、むしろ対立、相衝が現れやすいのです。 
 この原相における授受作用の円和性、調和性の理論は、数多くの現実問題の解決のまた一つの基準となります。なぜならば今日の世界の大混乱は、数多くの相対的関係が相衝的な関係になっているところにその原因があるからです。
すなわち国家と国家との関係、イデオロギーとイデオロギーの関係、共産陣営と自由陣営の関係、民族と民族の関係、宗教と宗教の関係、政党と政党の関係、労使関係、師弟関係、父母と子女の関係、夫婦関係、対人関係など、無数の「相対的関係」が相衝現象を現しているのです。
したがって、このような世界的混乱を収拾する道は、相衝的な相対関係を円和の関係、調和の関係に転換させることであり、そのためには各相対的関係が神様の愛を中心とした授受作用の関係にならなくてはならないのです。これがまた一つの現実問題解決の基準となるのです。
統一思想より

私が、授受作用で以前は、意識していなかった事があります。
それは、授受作用は、心情を中心とする授受作用と心情の目的を中心とする授受作用があることです。

ブログ訪問ありがとうございます。
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神様と真の父母様の祝福がありますように。
感謝します。

2016年3月12日土曜日

原理本体論教育で、私は、変わりました。そして、今、私の内で何かが…

原理本体論教育を受けた後しばらくたって、正式ではありませんが、誰かが、原理本体論の後に、原理原相論が出来るらしい…
原理講論、原理本体論、原理原相論で完成…
それを楽しみにしていました。

それから、だいぶ過ぎてから、原理本体論か何かを見ていたとき、その中に、原理原本、原理講論、原理本体論で完成と書いてありました。
(私は、あれ?以前聞いたのと違うと感じました。そんな思いを持っていました。)

原理本体論は、今では、教会内でも、口にする人がいないとか誰かが言ってましたが、それを聞いて何故か?
残念な気持ちです。

今回、私は、以前と違う名前、違うブログタイトルで、新しくブログを書いています。
私自身、以前とは違う事を表現したかったからです。
ブログの内容も、統一原理、統一思想、真の父母様のみ言中心のブログでもあるからです。
私自身、統一思想の原相論を、強く意識しています。
このブログを書くなかで、統一思想に書いてある、ある部分が気になりました。
統一思想より
「神様または宇宙の根源に関する理論、すなわち本体論は、一般的に思想体系の基礎を成すものとして知られています。したがって現実問題をいかに対処するかということも、大概、本体論によってその糸口を探すことができるのです。
 アウグスティヌスおよびトマス・アクィナスの神観・・・・・アウグスティヌスと同様に、トマスも神様は世界を無から創造したと見たのです。 ・・・・・ キリスト教の神観が現実問題の解決に失敗せざるをえなかった根本原因は、第一に神様を精神だけの存在と見て、物質の根源を無としたことにあり、第二に、創造の動機と目的が不明なことにありました。
 ・・・・・
 統一思想の本体論
 宇宙の根源をいかに把握するのか、あるいは神様の属性をいかに理解するかによって、人間観、社会観、歴史観が変わり、それによって現実問題の解決の方法が変わるのです。したがって正しい神観、正しい本体論を立てることによって、現実の人生問題、社会問題、歴史問題を正しく、そして根本的に解決することができるという結論になるのです。
 統一思想の本体論すなわち原相論によれば、神様の最も核心的な属性は心情です。心情を中心として、性相の内部で内的性相(知情意)と内的形状(観念、概念など)が授受作用を行い、さらに性相と形状(質料)が授受作用を行っています。そのようにして神様は存在しているのです。
 しかるに従来の本体論では、理性が中心であったり、意志が中心であったり、概念が中心であったり、物質が中心であったりしました。そして精神または物質だけが実体であるという一元論が現れたり、精神と物質が両方とも宇宙の実体であるという二元論が現れたのでした。統一思想から見るとき、従来の本体論は神様の属性の実相を正しく把握しておらず、また属性相互間の関係を正しくとらえることができなかったのです。
 
ここに、統一思想の本体論すなわち原相論…
これを見て、私が考える原理本体論と原理原相論は、同じ、または、それに近いものと感じました。(原理原相論は、存在していません。)

何故?原理本体論教育の修練会をしたのか考えると、私たちが、学ばなければ、完成にははるかに、遠い立場にいることを、真のお父様は、知っていたと思います。

少し違う話ですが、真のお父様が何故?統一思想、原理講論を、書かなかったのか?
私は、正確な答えは、知りませんが、原理本体論教育で言われていた事などから、私が感じる内容は、お父様は、メシヤとして、原理を解明する責任があった。
神様の息子としての責任分担ですね。
神の息子として原理を解明した。
お父様と私たちは、親子の関係であり、子供として、原理の全てでなく、一部を手伝う事により、原理の解明に全ての人類が、同参した条件になると感じました。

2016年3月11日金曜日

今日は、気になった、み言を紹介します。また、前回のブログで、説明不足の点があると感 じ少し、補足します。

平和経
人間に対する神様の希望の一部を紹介します。
〈神様の完全投入体としての人間〉
「皆様は神様に似ています。皆様は、皆様自身のために生きる時があります。
神様は、天地万物と人間を造る前、御自身を中心として存在しておられました。それで、神様に似た私たちも、自らを中心として考える時があるのであす。」
このみ言が気になりました。
前回のブログの補足します。
教会内での、教会員、アベルなどから言われる責任分担は、仕事に近い内容だと思います。
何故、この事を言うか?
本来の、神様からの責任分担の意味がわからないで、責任分担の完遂はあり得ないと思います。
教会内での、責任分担を、否定するわけではありません。
ただ、神様からの責任分担を、意識しない生活で、責任分担完成はありえないと思います。

自己責任ですね。
原理を離れての自由はない。
みんな、手探りで、探していると思います。
全てのみなさんに、神様の祝福が有りますように祈ります。
ブログ訪問ありがとうございます。

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神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
私自身の統一原理、み言の理解力大きくなりますように、祈ります。
みなさんに感謝します。

2016年3月10日木曜日

神様から与えられたら責任分担と、教会内で言われている責任分担(アベルから言われた、責任分担など)は、意味が違う。

神様も干渉できない。
責任分担の完遂とは、神様に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛の実践を継続することをいう。
教会内での、教会員、アベルなどから言われる責任分担は、仕事に近い内容だと思います。
何故、この事を言うか?
本来の、神様からの責任分担の意味がわからないで、責任分担の完遂はあり得ないと思います。(神の子に成れない…)
私の考えです。
あなたの考えは、…

統一思想に書いてある、責任分担の内容です。
読んでみて下さい。

被造物の中で堕落したは人間だけです。万物は堕落しないでみな完成し、それぞれの次元において神様の属性に似ているのです。ここで次のような疑問が生じるかもしれません。すなわち万物の霊長であるといわれている人間が、なぜ霊長らしくなく堕落したのかという疑問です。それは、万物が原理自体の主管性または自律性だけで成長するようになっているのに対して、人間には、成長において、原理の自律性、主管性のほかに責任分担が要求されたからなのです。

 創造性と責任分担
 ここで原理自体の自律性とは有機体の生命力をいい、主管性とは生命力の環境に対する影響力をいいます。例えば一本の木が成長するのは、その内部の生命力のためであり、主管性はその木の生命力が周囲に及ぼす影響をいうのです。人間の成長の場合にも、この原理自体の自律性と主管性が作用しています。しかし人間においては、肉身だけが自律性と主管性によって成長するのであって、霊人体はそうではありません。霊人体の成長には別の次元の条件が要求されます。それが責任分担を完遂することなのです。
 ここで明らかにしたいことは、霊人体の成長とは、肉身の場合のように霊人体の身長が大きくなることを意味するのではありません。霊人体は肉身に密着しているので、肉身の成長に従って自動的に大きくなるようになってはいますが、ここでいう霊人体の成長とは、霊人体の霊性の成熟のことであり、それは人格の向上、心情基準の向上を意味します。要するに、神様の愛を実践しうる心の姿勢の成長が、霊人体の成長なのです。
 このような霊人体の成長は、ただ責任分担を完遂することによってのみなされます。ここで責任分担の完遂とは、神様に対する信仰を堅持し、戒めを固く守る中で、誰の助けも受けないで、内的外的に加えられる数多くの試練を自らの判断と決心で克服しながら、愛の実践を継続することをいう。

 神様も干渉することができず、父母もいない状況で、そのような責任分担を果たすということは大変難しいことだったのですが、アダムとエバはそのような責任をすべて果たさなければならなかったのです。しかしアダムとエバはそのような責任分担を果たすことができず、結局、サタンの誘惑に陥って堕落してしまったのです。それでは神様はなぜ失敗しうるような責任分担をアダムとエバに負わせたのでしょうか。万物のように、たやすく成長しうるようにすることもできたのではないでしょうか。
 それは人間に万物に対する主管の資格を与えるためであり、人間を万物の主管主にするためだったのです(創世記1/28、『原理講論』P131)。主管とは、自分の所有物や自分が創造したものだけを主管するのが原則であり、他人の所有物や他人の創造物は主管しえないようになっています。ここに人間は万物よりあとに創造されたのですから、万物の所有者にも創造者にもなりえないはずなのです。しかし神様は、人間を神様の子女として造られたために、人間に御自身の創造主の資格を譲り与え、主管主として立てようとされたのです。そのために人間が一定の条件を立てるようにせしめて、それによって人間も神様の宇宙創造に同参したものと認めようとされたのです。

 人間の完成と責任分担
 その条件とは、アダムとエバが自己を完成させることなのです。すなわちアダムとエバが誰の助けも受けないで自己を完成させれば、神様はアダムとエバが宇宙を創造したのと同様な資格をもつものと見なそうとされたのでした。なぜならば、価値から見るとき、人間一人の価値は宇宙全体の価値と同じだからです。すなわち人間は宇宙(天宙)を総合した実体相であり(『原理講論』P60,61)、小宇宙(同上P84)であり、また人間が完成することによって初めて宇宙創造も完成するからです。イエス様が「たとい人が全世界をもうけても、自分の命を損したら、なんの得になろうか。または、人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか」(マタイ16/26)と言われたのも、そのような立場からです。したがってアダムとエバが自ら自身を完成させれば、価値的に見て、アダムとエバを宇宙を創造したのと同等な立場に立つことになるのです。
 創造は、創造者自身の責任のもとでなされます。神様が宇宙を創造されるのに神様自身の責任のもとでなされました。そしてアダムとエバが自身を完成させることは、創造主たるべきアダムとエバ自身の責任なのでした。そのような理由のために、神様はアダムとエバに責任分担を負わせたのでした。

 しかし神様は愛の神様であるがゆえに、100パーセントの責任をアダムとエバに負わせたのではありませんでした。人間の成長の大部分の責任は神様が負い、アダムとエバには5パーセントという非常に小さな責任を負わせて、その5パーセントの責任分担を果たしさえすれば、彼らが100パーセントの責任分担を果たしたものと見なそうとされたのでした。そのような神様の大きな恵みにもかかわらず、アダムとエバは責任分担を果たすことができずに堕落してしまったのです。そのために結局、神様の創造性を完全に受け継ぐことができなくなったのです。
 万一、人間が堕落しなかったとすれば、いかなる結果になったのでしょうか。人間が堕落しないで完成したならば、まず神様の心情、すなわち愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動をそのまま受け継いで、神様が愛の神様であるように人間は愛の人間になったでしょう。そして心情を中心とした神様の創造性を完全に受け継ぐようになったでしょう。

統一思想より

ありがとうございます。
 
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神様と真の父母様に感謝します。

2016年3月9日水曜日

火に油を注げさんの『神様の呼称「天の父母様」の欺瞞性』の内容についてのコメントは、原理本体論を知ってますか?詳しくては、ブログを読んで下さい。

火に油を注げさんのブログの内容へのコメントをこのブログでします。
感情的に、話そうととは、思ってません。
よろしくお願いします。
統一原理、統一思想、お父様のみ言を中心に考えた個人的見解です。

火に油を注げさんのブログの内容の、『そもそも、お母様ご自身も、修練会などに修練生として参加されたこともないだろうから、その程度の理解なんだろう。だから「天の父母様」に変えたんだろうな。』
の部分ですが、ご父母様は、夫婦です。
一番近い関係で、真のお父様と共に生活して来たので、真のお父様の深い所まで知っている、真のお母様です。
第一に原理は、お父様のみ言だけが、原理ではありません。お父様の路程、お父様の日々の生活、行動がそれ自体が、原理なんです。
だから、原理の生活化と言われているのです。

まだ、私は、み言と生活がばらばらです。
(言ってる事と行動が一致していません。)

次ですが、『小生は男性だが、やはり男性的な部分も、女性的な部分も、両方持っている。だからといって小生の子どもは、小生のことを「父母さん」と呼ぶのだろうか。』
ですが、原理本体論は、知っていますか?
原理本体論教育を受けた事がありますか?
質問したくなりました。

神様は、心的では、ありません。
神様は、からだ、本体を持っています。
原理本体論で、学んだと思います。
神様は、人間の親で、男性と女性の生殖器を持っています。

女性の生殖器を持っている人を、父と言いますか?
それとも、母と言いますか?
自分の父母を、父と呼びますか?
特に、母親を、父と呼びますか?
この話は、ここまでで、次に、

『神は性相的な男性格主体としてのみおられたので、形状的な女性格対象として、被造世界を創造せざるを得なかったのである。』
この話ですが、これは、神様と人間(神の子)の関係で考えるべきです。
神の子は、どこに産まれるのか?
地上です。
地球を、母なる大地と言ったりします。
神様の子供は、霊界で産まれるのでなく、地上で産まれる(人間です。)、三大祝福を完成して神様のいる霊界に行きます。

次に、『お父さんとお母さんの2人を指して「父母様」と呼ぶのである。あくまでも2人に対する呼称が「父母様」である。じゃあ、神様は2人なのか? ばかを言うな、である。神様は1人なのだ。1人の中に男性的なものと女性的なものがあるのだ。『原理講論』でいうところの「本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体」である。』
ですが、神様だけを考えれば、「本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体」ですが、神様と人間との関係から少し考えてみます。
神様が主体で人間が対象の関係で、人間の主体の立場が、真の父母様です。
「本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体」が神様、「本性相的男性主体(神様)と本形状的女性主体(神様)との二性性相の中和的主体」
人間は、性相的男性対象と形状的女性対象と考えられます。
性相的男性対象は、真のお父様で、形状的女性対象は、真のお母様です。
神様は、生殖器を持っているのか?
この答えは、神様は、男性の生殖器と女性の生殖器を持っています。

真のお父様と真のお母様が勝利されて、神様の息子、娘の立場で3回目の祝福がありました。
この時に、神様、真のお父様、真のお母様が一体になった時です。
(本来は、アダム、エバの結婚式の時…)

その後の、祝福式で、私たちは、条件付き、真の子女(神の子女)として、祝福を受けました。
夫婦は、子供がいなければ、親になれません。
人類の親である神様も、子供がいなければ、親になれません。
この時の勝利、真の父母様の天宙的大勝利により、神様と真の父母様が一体化して、天の父母様、天地人真の父母様になり、神様の子女、息子、娘として全人類が復帰される道が開きました。
私たちは、条件付き神様の息子、娘ですが、その事により、神様が、天の父母様になりました。
また、天上天国、天上天一国の民として、天一国に入国出来る可能性が広がりました。
入国できるように最後の最後まで、今後も、努力します。
神様は、あなたを愛しています。
神様の息子、娘になることを願っています。
私たちは、自分で、選びます。
どの道を行くか!

今まで、いろんなみ言を聞いてきての私の考えです。

最後に、真の父母様のみ言を紹介します。
天国を開く門真の家庭より
「皆さんは、お父さんとお母さんから生まれました。次にさらに根本的なことは、お父さんとお母さんのおなかを借りて神様から生まれたという事実です。皆さんは、宇宙の父母を通し、肉身の父母を通し、真の父母を訪ねていくようになるのです。肉身の父母は通過の父母です。ですから、死の瞬間は、真なる父母に会いにいく歓喜の時間です。

 そこには、真なる父母の真なる愛があります。そこを天上天国といいます。そこの構成要素は愛であり、そこは父母の愛で充満しています。その愛は「私」のためのものではなく、奉仕と犠牲の原則のもとに、すべての法度に通じ得る愛です。そこに合格するためには、宇宙を愛し、人類を愛さなければなりません。地上生活は、そのような愛のための訓練の場所です。」
ありがとうございます。
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
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神様と真の父母様の祝福が有りますように祈ります。
祈ります。

2016年3月8日火曜日

統一原理、統一思想をなぜ学ばないといけないのか。全ての人が知るべき原理だからです。

なぜ、統一原理、統一思想を学ぶのか、それは、自分を知るためです。
また、自分を正確に知るためです。
全ての人が学ぶ内容です。(統一原理に関心を持って下さることを願います。)
神様は、全ての第一原因です。
原因を知ることは、自分を知ることです。

統一思想で、原相論の原相の構造・原相の構造とシステムを理解することで、様々な事が理解出来ますようになります。
(原相の構造とシステムは、私の内での仮説です。)
神様の構造とシステムを知ることで、今の世界が、システム異常、システムトラブルが、おきている事が理解出来ます。
今の世界のシステム異常、システムトラブルの原因は、人間の堕落が原因です。

例えば、本然人間(神の子)は、心がプラス(主体)で体がマイナス(対象)でした。

人間が堕落することで、心がプラスですが、心の内に、邪心、負のマイナスが存在するようになりました。
体は、マイナスですが、堕落することで、負のプラスができた事になりなす。

堕落人間は、心と体が葛藤する状態成っているのは、心は、神に向かおうとするプラスの心と体は、堕落した人間の負のプラスが葛藤するのです。
信仰者は、体を打って、負のプラスの力を打って、体の悪の思いを抑え心の働きを強くします。
この様な働きが有ります。

み言に、『全宇宙はペアシステムになっているのです。それは正しいことですか、間違っていることですか? (正しいことです)。
鉱物世界も皆ペアになっています。異なるペアのものに、神様が「おい、お前。こっちに来て、これとくっつきなさい」と言っても、その命令は聞けないのです。それは、神様にもできないことです。このような原則がしっかりと立っているのです。』

原相の構造とシステムから見て、今の世界がシステム異常に成っている。
統一思想を中心に考えた、私の仮説です。
この様、内容は、まだ見ぬ事実であると考えています。
この事を、み言、統一思想をとうして、事実であるとを、確認、確信、出来るように努力します。

今日も、ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
皆さんの心にたくさんの幸せを贈ります。
ハッピーに頑張りましょう!
ありがとうございます。
神様と真の父母様に感謝します。

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感謝します。

2016年3月7日月曜日

信仰とは?と聞かれたら、あなたは、なんと答えますか。聖書の中には、‬ ‭信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。

信仰とは何ですか?
と聞かれたらなんと答えますか?
見えない神を信じること?
出来ないと思うことも信じて行動する?
この様に、答える人もいると思います。
しかし、これらは、本当の信仰と言えるのでしょうか。
聖書には、「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」ヘブル人への手紙‬ ‭11:1‬ ‭
とあります。

原理講論には、
「堕落人間にとって、「知ること」は命の光であり、また蘇生のための力でもある。そして、無知は死の影であり、また破滅の要素ともなるのである。無知からはいかなる情緒をも生じ得ない。また、無知と無情緒からはいかなる意志も生ずることはできないのである。
人間が、根本的に、神を離れては生きられないようにつくられているとすれば、神に対する無知は、人生をどれだけ悲惨な道に追いやることになるであろうか。」
この事から、知らずに信じる事は、信仰とは、言えないと思います。
家庭連合(旧統一教会)の会員の方は、神様や、真理を学ぶために、真の父母様のみ言、統一原理、統一思想を学びます。

家庭連合の会員以外の方は、会員の方が、み言や統一原理、統一思想を盲目的に信じていると考えるかも知れませんが、み言の学習をとうして、まだ見ていない事実を確認し、確信しています。(私は、その様に考えます。)

私は、統一思想の原相論を学んでいます。
原相論の中でも、原相(神様)の構造に関心が有ります。
自分なりのテーマが、「統一思想とみ言」「原相の構造とシステム」です。(独学です。)
統一思想で原相とは神様のことです。
このブログのテーマも、同じですが、中心は、神様です。
神様(天の父母様)を知る。神様を正確に知る。

ブログのタイトルは、信仰とは?…でしたが、内容は、ちょっと違いました。

相手を知る事により、人間関係もスムーズに成ることもあります。
相手を人間的に見るか、信仰的に見るか…
私のブログは、暖かい目で見てください。
よろしくお願いします。
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天の父母様と真の父母様に感謝します。
皆さんに神様の祝福が有りまあすように!

2016年3月6日日曜日

全ては、神様から始まり、時間と空間は、授受作用・四位基台と正分合作用から、全ての創造は、二段階の発展的四位基台(原相の創造の二段構造)によってなされた!

統一思想とくに原相の構造を学び、私の内で、出て来たタイトルです。
 まず、授受作用について、考えたいと思います。
授受作用に種類があります。
方法論 より
 統一方法論の基本的法則は「授受作用の方法」ですが、簡単に「授受法」といいます。
(一) 授受法の種類
 授受作用は、主体と対象の間の相互作用であるが、この作用にはその契機となる中心がある。そして中心がいかなるものかによって、授受作用の性格が決定される。心情を中心として授受作用が行われるとき、主体と対象が合性一体化して生じる授受作用の結果は合性体となる。ところが心情によって目的が立てられ、目的を中心として授受作用が行われる時、繁殖体または新生体が生じるのである。
 原相において、四位基台は神の属性の構造を扱った概念であるが、それは心情(または目的)を中心に、主体と対象、そして合性体(または繁殖体)からなる四位の構造である。これを時間的に見れば、中心である心情(または目的)が先にあり、これを起点として、主体と対象が授受作用を行い、その結果、合性体または繁殖体(新生体)が形成されるのである。そのとき中心である心情を「正」といい、主体と対象が分立して、互いに相対する意味で、その主体と対象を「分」といい、合性体または新生体として現れる結果を「合」という。そしてこの授受作用の全過程を正分合作用という。
 正分合作用の「分」は分けるという意味ではない。すなわち「正」が半分に分かれるというのではなく、正を中心として、二つの要素が互いに相対するという意味である。神における分とは、唯一なる神の相対的な二つの属性が相対するようになることを意味する。その二つの相対的な属性が、正を中心として授受作用を行い、合となって一つになるのである。授受作用には自同的授受作用、発展的授受作用、内的授受作用、外的授受作用の四種類がある。

・神の属性の間に行われる授受作用には、心情を中心として性相と形状が授受作用を行って、中和体または合性体を成して永遠に存在するという自己同一的な不変なる側面と、目的(創造目的)を中心として性相と形状が授受作用を行って、繁殖体または新生体である被造物を生ずるという発展的な側面がある。前者が自同的授受作用であり、後者が発展的授受作用である。被造世界のすべての存在も、それと同様に、自同的授受作用と発展的授受作用を行っており、不変な側面と発展する側面を同時にもっている。
 このように授受法においては、すべての存在は不変性と発展性(可変性)が統一をなしているのである。

・神の性相の内部では、心情を中心として内的性相と内的形状が内的授受作用を行って合性体を成している。そのとき形成されるのが内的四位基台であり、それがすなわち神の性相の内部構造である。次に性相と形状が外的授受作用を行って合性体を成しているが、そのとき形成されるのが外的四位基台である。ここに心情の位置に目的が立てられれば、授受作用が動的、発展的な性格を帯びてくる。そのとき内的四位基台において、新生体としてロゴス(構想)が形成され、外的四位基台において、新生体として被造物が形成される。
 神におけるこのような内的四位基台と外的四位基台の二段構造は、そのまま被造世界にも適用される。

よく中心性と一体化と言う言葉を聞きます。
今回書いた、統一思想の内容を考えた時、この部分は、自己同一性に当たると思います。
発展性の部分は、個人の成長、個性完成、家庭完成、などになると思いました。
 
皆さんは、どの様に感じましたか?

次に、正分合作用についてです。 
 正分合作用とは
 すでに述べられているように授受作用は四位基台を土台として行われます。すなわち授受作用がなされるには、必ず中心と主体と対象および結果の四つの位置が立てられなければならないのです。言い換えれば、授受作用の現象を空間的側面から把握した概念が四位基台です。ところですべての現象は空間性と時間性をもっています。したがって授受作用の現象も時間的側面から把握することができるのであり、時間的に把握した概念が正分合作用なのです。つまり、授受作用を四位基台が定立される時間的順序に従って扱った概念が正分合作用なのです。まず中心が定められ、次に主体と対象が定められ、最後の結果が定められるというように授受作用を三段階過程から把握した概念が正分合作用なのです。
 『原理講論』に「四位基台は正分合作用によって、神様、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となる」(P55)とあるのも、四位基台は授受作用の空間的把握であり、正分合作用は時間的把握であることを示しています。したがって正分合作用の内容は、授受作用の場合と全く同じです。すなわち心情を土台とした目的を中心として、主体と対象が円満で調和的な相互作用を行うことによって合性体または新生体を成すという内容は、授受作用の場合と完全に一致しているのです。したがって正分合作用の種類も授受作用の種類と対応しているのであって、内的自同的正分合作用、外的自同的正分合作用、内的発展的正分合作用、外的発展的正分合作用という四種類の正分合作用があるのです。

授受作用の現象を空間的側面から把握した概念が四位基台で、時間的に把握した概念が正分合作用である。
全ての現象は、空間性と時間性を持っている事などから、神様を中心に、空間と時間が始まったと考えましたが、あなたは、どの様に考えましたか。

最後は、全ての創造は、二段階の発展的四位基台(原相の創造の二段構造)によってなされた。原相の構造の話しです。
 四位基台の構成
 (1)四位基台の構成要素
 原相における性相と形状の授受作用は中心によって二つの結果を生じます。一つは合性体であり、他の一つは新生体です。すなわち心情が中心の時は合性体となり、目的(創造目的)が中心の時には新生体を生じるのです。このような二つの結果は、被造物相互間の授受作用においても同じです。被造物の授受作用が原相内の授受作用に似ているためです。
 これは、授受作用に二種類があることを意味します。すなわち心情が中心で結果が合性体である場合の授受作用と、目的が中心で結果が新生体である場合の授受作用がそれになります。前者は性相と形状が授受作用をして中和を成す場合であり(『原理講論』P47)、後者は性相と形状が授受作用をして神様の実体対象を繁殖する場合(同上、P54)、すなわち万物を創造する場合をいいます。
 このような授受作用は被造物、特に人間においても現れます。人間は心と体の統一体ですが、それは目的(創造目的)を中心として性相と形状が授受作用によって合性体を成している状態です。

 合性体を成す場合の授受作用において、授受作用の前後の性相と形状は本質的に異なったものではありません。すんわち性相も形状も授受作用の前後で同じなのです。ただ両者が結合して一つに統一されただけなのです。 
 ところが新生体を成す場合の授受作用においては、授受作用をする前の性相と形状と、授受作用をした後に現れた結果とは本質的に異なっています。授受作用の結果新生体が造られるからです。
 ここで前者すなわち合性体を成す場合の授受作用を自己同一的授受作用または簡単に自同的授受作用といい、後者すなわち新生体を生じる場合の授受作用を発展的授受作用といいます。この両者を変化と運動という観点から見るとき、前者は授受作用の前後で性相と形状が変化しないので静的授受作用ともいい、後者は授受作用によって変化した結果として新生体が現れるので動的授受作用ともいいます。
 ところで、性相と形状の授受作用は、位置という観点から見るとき、実は主体と対象間の授受作用なのであり、それに中心と結果の位置を含めると、主体と対象の授受作用は結局、四位基台の形成なのです。したがって位置的に見るとき、自同的授受作用は自同的四位基台となるのであり、発展的授受作用は発展的四位基台となるのです。このようにして四位基台には合性体を成す自同的四位基台と、新生体を成す発展的四位基台の二つの種類があることが分かります。
 (2)内的四位基台と外的四位基台
 ところで四位基台には、そのほかにまた異なる二種類の四位基台があります。それが内的四位基台と外的四位基台です。この二種類の四位基台は授受作用に内的授受作用と外的授受作用があることから説明されます。
 「原相の内容」において、本性相は機能的部分と対象的部分の二つの部分からなっていること、機能的部分を内的性相、対象的部分を内的形状と呼ぶことを明らかにしました。すなわち本性相の内部に性相と形状があるということなのです。
 本性相を中心として見るとき、その内部にも性相(内的性相)と形状(内的形状)があり、外部にも性相(本性相)と形状(本形状)があるということになります。性相と形状が共通要素を中心として相対関係を結べば必ず授受作用が行われます。したがって外部の本性相と本形状の間のみならず、内部の内的性相と内的形状の間にも授受作用が行われるのです。前者を外的授受作用といい、後者を内的授受作用といいます。この内的授受作用にも中心(心情または目的)と結果(合性体または新生体)が含まれるのはもちろんです。内的授受作用によって内的四位基台が、外的授受作用によって外的四位基台が形成されます。

 本性相を中心とする内外の授受作用は、人間においては内的生活と外的生活に相当します。内的生活とは内面生活すなわち精神生活を意味し、外的生活とは他人と接触しながら行う社会生活をいいます。内的生活も授受作用であり外的生活も授受作用なのですが、内的生活は心の内部で行われる授受作用すなわち内的授受作用であり、外的生活は他人との間に行われる授受作用すなわち外的授受作用です。そして、その由来がまさに原相の内的授受作用と外的授受作用なのです。このように本性相に由来する内的および外的授受作用は、人間のみならず、すべての被造物の個体において例外なく現れているのです。
 すでに述べてきたように、性相と形状の関係は主体と対象の関係であり、中心と結果を含めた主体と対象の授受作用は四位基台を形成します。したがって位置的に見るとき、内的授受作用は内的四基台を意味し、外的授受作用は外的四位基台を意味します。すなわち、本性相は内外に四位基台を形成しているのです。原相における性相を中心として見た、このような内的四位基台と外的四位基台の構造を「原相の二段構造」と呼びます。そして被造物も原相の構造に似て、個体ごとに内外に四位基台を形成しているので、それを「存在の二段構造」といいます。
 (3)原相の二段構造と存在の二段構造
 すべての被造物は例外なく本性相に由来した内的および外的授受作用を現しています。言い換えれば、すべての被造物が存在するために、例外なく内的四位基台および外的四位基台を形成しているのです。原相における授受作用は、心情または創造目的を中心とした円満で調和的な相互作用です。したがって万物は例外なく創造目的を中心として、円満な内的および外的な授受作用をなして内的および外的な四位基台を形成しています。ところが人間は内的生活(精神生活)すなわち内的四位基台と外的生活(社会生活)すなわち外的四位基台の形成において、心情(愛)や創造目的を中心とすることができず、自己中心になってしまい、相衝、葛藤、対立、闘争、紛争などの社会混乱を引き起こしているのです。
 したがってこのような性格の社会混乱(現実問題)を根本的に収拾する道は、人間が内的および外的に本然の四位基台を形成することなのです。つまり本性相を中心とした内的四位基台および外的四位基台の理論もまた現実問題解決の基準になるのです。そのように、原相内の内的四位基台および外的四位基台は被造物の存在方式の基準になっているのです。
 以上で、原相における内的および外的な四位基台からなら「原相の二段構造」と、被造物における内外の四位基台からなる「存在の二段構造」について説明しました。創造の相似の法則によって「存在の二段構造」は「原相の二段構造」に似ているのです。

 先に四位基台には自同的四位基台とは発展的四位基台のほかに、内的四位基台と外的四位基台という異なる二種類の四位基台があることを明らかにしました。したがって四位基台は四種類あるという結論になるのです。実際には、これらが互いに組み合った次のような四位基台が形成されています。すなわち内的自同的四位基台、外的自同的四位基台、内的発展的四位基台、外的発展的四位基台です。

 3 すべての創造は二段階の発展的四位基台によってなされる
 ここで、次のような事実が明らかになります。第一に、創造には必ず二段階の過程があるということです。第二に、第一段階は内的な構想の段階であり、第二段階は外的な作業の段階であるということです。第三に、二段階の授受作用がいずれも同一の目的を中心として成され、必ずその結果として新生体を造るということです。ここで、第一段階は内的発展的授受作用の段階であり、第二段階は外的発展的授受作用の段階です。
 このような一連の原則はすべての創造活動に適用されます。すなわち生産、製作、発明、芸術など、いかなる種類の創造活動にも例外なく適用されるのです。それは、その基準が神様の原相にあったからです。それが本性相の内外の授受作用、すなわち内的発展的授受作用と外的発展的授受作用です。神様はまず一定の目的を立てられ、万物の創造を構想したあと、材料に相当する形状(前エネルギー)を用いて、構想したとおりに万物を造られました。ここで神様が構想する段階が内的発展的授受作用の段階であり、実際に万物を造る段階が外的発展的授受作用の段階です。
 以上、人間の創造や製作には必ずその前に構想がなければならないということ、したがって外的発展的授受作用には必ずその前に内的発展的授受作用がなければならないということが明らかになったのです。そして人間の構想の時の授受作用の原型は、神様の原相内の授受作用だったのです。

 原相内の授受作用は、必ず四位基台を土台として行われます。それゆえ四位基台の別名が授受作用であり、授受作用の別名が四位基台なのです。したがって神様の創造において、内的発展的授受作用が必ず外的発展的授受作用に先行するということは、内的発展的四位基台が必ず外的発展的四基台に先行して形成されることを意味するのです。言い換えれば、創造においては必ず内的発展的四位基台と外的発展的四位基台が連続的に形成されるのです。これを「原相の創造の二段構造」といいます。人間の場合、現実的な創造活動の時にも、内的および外的な四位基台が連続的に形成されます。そして人間の創造活動において、連続的に形成される二段階の四位基台を「現実的な創造の二段構造」というのです。

 ここで次のような疑問が生じるかもしれません。すなわち「創造には必ずまず構想が立てられなければならない」というように、分かりやすく表現すればよいのに、なぜ内的発展的四位基台とか、外的発展的四位基台とか、二段構造などの難しい表現を使うのか、統一思想はなぜ分かりやすい言葉も難しく表現しようとするのか、という疑問です。結論から言えば、それは統一思想が天宙の根本原理を扱っているためなのです。
 根本原理とは、霊界と地上界を問わず、存在世界に現れるすべての現象に共通に適用される根本理致をいいます。この根本理致すなわち原理は深くて広い内容を含んでいますが、それを表す用語はできるだけ簡単なものでなくてはなりません。その例の一つが「二性性相」すなわち「性相と形状」です。この用語は人間の心と体を現す用語であるだけでなく、動物、植物、鉱物、さらには霊人体や霊界のすべての存在がもっている相対的属性を表す用語です。そのように二性性相の意味は大変深くて広いのです。しかし二性性相の用語はそのままでは理解しがたいので、易しく詳細に説明する必要があるのです。そして時には例えや比喩も必要です。統一思想において扱う根本原理は五官で感じられない神様と霊界世界に関するものが大部分であるため、なおさらそうなのです。
 ところで、例えや比喩を挙げながら行う説明は、ただ根本原理を明らかにする手段にすぎず、根本原理それ自体ではありません。根本原理それ自体はあくまでも神様の「二性性相」または「性相と形状」なのです。同様に、「授受作用」、「四位基台」、「二段構造」なども根本原理に関する概念すなわち基本概念であるので、それらの用語を取り除くことはできません。「内的発展的四位基台」、「外的発展的四位基台」、「創造の二段構造」なども、そのような根本原理を含んだ概念なのです。
 さらには「一分一秒を惜しみながら生きなければならないこの忙しい時に、そのような難しい概念をわれわれが学ばなければならない必要があるのか」という疑問もありうるでしょう。それは、そのような基本概念を正しく把握することによってのみ、現実のいろいろな難問題を根本的に解決することのできる基準が明らかになるためです。

 4 外的発展的四位基台の構成要素
 次は、再び本論に戻って、「外的発展的四位基台」の説明を継続されています。先に人間の創造活動において、外的発展的四位基台は必ず内的発展的四位基台の次の段階として形成されるので、そのような二段階過程を「現実的な創造の二段構造」といいましたが、神様の創造においても、同様な創造の二段構造が形成されます。本性相の内外において形成される内的発展的四位基台と外的発展的四位基台がそれなのです。これは原相内において創造の時に形成される四位基台であるため、「原相の創造の二段構造」といいます。
 原相内の内的発展的四位基台については、すでに「内的発展的四位基台」の項目で詳細に説明しましたので、ここでは説明が省略されています。ただ内的発展的四位基台の四つの位置において、中心の位置には目的が立てられ、主体の位置には内的性相(霊的統覚)、対象の位置には内的形状、結果の位置には構想が新生体として立てられるということ、主体と対象の授受作用は考える過程すなわち観念の操作の過程であるということを想起するだけにしています。
 原相内の外的発展的四位基台も四つの位置、すなわち中心、主体、対象、結果から成るのはもちろんですが、そのときの中心は内的な四位基台の場合と同様に心情に基づいた創造目的であり、主体は本性相であり、対象は本形状です。そして授受作用によって形成される結果は新生体としての被造物なのです。

今回は、ここまでです。
統一思想を中心にまとめましたが、統一思想の私の解釈が、不足の部分があると思いますが、このブログを書きました。
私自身、統一思想をもっと深く、広く理解出来るように努力します。
このブログ内容は、統一思想の一部分を私なりに解釈してますので、正しい統一思想を理解していただくために、統一思想要綱を読む事を願います。

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ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに神様の祝福が有りますように!
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
神様と真の父母様が何時も、共に居ることを祈ります。

2016年3月5日土曜日

今日は、ファンタジーの世界行きませんか?原相の世界?内なる神様の世界へ!

内なる神様の世界!原相の世界です。
タイトルのファンタジーの世界は、私の内で感じた世界を表しています。
(私が感じる神様であり、原相の世界です。)
私が統一思想を学び、考える私の基準になっている内容です。
神様と真の父母様に感謝します。
天運・天福と共に私たちの心情が神様と真の父母様の心情を感じることが出来ますように祈ります。

今までの既成概念や様々な考え方を忘れてみましょう!
自分を無にして、穏やかな季節を感じながら、原相の世界へタイム…
その前に、私たちに、少し足らないものがあります。
それを補う一つのアイテムが必要です。
それは、私たちの心情にかける、神様の真の愛の心情の眼鏡です。

皆さんそれぞれに、イメージして、私たちの心情に、神様の心情の眼鏡をかけてください。

小鳥の声が、聞こえてきます。
いつもは、きずかないのに…
春が近づいていることを感じます。
お茶を飲みながら、穏やかな自分を感じてください。(イメージしましょう!)

感謝します。
真の父母様のみ言を少し紹介します。
神様は、どのようなお方かというと、愛の主体であり、生命の主体であり、理想の主体であられます。
そうだとすれば、私たち人間は、愛の対象であり、生命の対象であり、理想の対象であるという結論を立てることができるのです。
 神様が絶対的なら、私も絶対的な位置を願わなければなりません。
神様が不変なら、私も不変でなければなりません。
神様が唯一なら、私も唯一でなければなりません。
神様が永遠なら、私も永遠でなければなりません。
そのような観点から、人間の永生は必然であり、それは当然の結論にならざるを得ません。
いくら神様に愛があっても、私に愛がなく、いくら神様に生命があっても、私に生命がなく、いくら神様に理想があっても、私に理想がなければ、すべては無駄なことなのです。
したがって、主体という存在にとって、対象はどれほど価値があるかということを、私たちは否定できません。
それは、常識的に認めなければならない問題です。
 相対圏が「絶対」を擁護する絶対的な原理をもっていることを主張しているのです。
それが対象の価値です。
神様がいくら気高く、偉大だとしても、対象がいなければどうするのでしょうか。
神様はうれしいでしょうか。
一人で喜ぶことができるでしょうか。
ですから、神様は喜ぶために対象の世界を創造されたことを知らなければなりません。
平和経より

神は時間と空間を超越しているから、神の世界には内外、上下、遠近、広狭がない。
大中小もなく無限大と無限小が同じである。
また先後がないので過去、現在、未来がなく、永遠と瞬間が同じである。(統一思想より)

イメージしましょう。
神様の創造、原理原則・法則などを使って、真の愛を中心に創造した!

神様の創造は、神様と瓜二つの世界(人間を神様と瓜二つ)に創造したのではない事を知っています。
神様の人間の創造は、神様の陽性と陰性を、男性と女性に創造しました。
(神様は、一人で有りながら、人間は、男女、二人を創造した。)
神様が相対圏が必要だったように、人間・男性、女性、それぞれ、相対圏が必要だった。
神様の創造に感謝します。

また、時間と空間を超越した世界にいる神様は、時間と空間の世界を創造しました。
実体のない神様は、実体世界を創造…

イメージしやすいように、時間的に説明します。
(私の感じる神様の世界です。皆さんに神様の祝福がありますように祈ります。)
それでは、内なる神様の世界に、タイムスリップ!

神様の真の愛の世界は、神様の心情と知恵、エネルギー、その他の神様の要素があります。
初め神様は、一人でいました。
(この期間は、長い期間でした。神様が、永遠で有るように、それに近い期間です。)
この時は、暗闇の世界ですが、この世界しか存在していない時でした。
無形の神様は、この時は、一人でいることを知りませんでした。
だから、暗闇で、一人でも淋しいとは、考えませんでした。

神様は知恵の神様です。
善の世界をあれこれといろいろ考えました。
様々なことを考えていた、ある時、きずきました。
自分が一人でいることに…
そして、さびしさも、感じてきました。

それから、神様の、創造が始まりました。
(原理原則、真の愛を中心に…)
この時の創造は、映像として、神様のなかでの創造です。
イメージ、シュミレーションの創造と言った方が分かりやすいですね。
イメージを重ね、さまざまシュミレイションを、重ねることで、映像を描くようになってきました。(短い動画のような映像も浮かびました。)
パッ、パッ、パッと動画の映像が出て来ました。

この時の動画が、どんな映像か想像出来ますか?
(楽しみ、喜びの内での創造です。)
神様の創造目的の中心が、人間の創造でした。
この時映像、内なる神様は、アダムを見ました。
16歳ぐらいのアダムでした。パッと消えて(数秒間)、次に見たのが、エバの16歳ぐらいの喜んでる映像でした。また、数秒間で、パッと消えて、次に、アダム、エバそして、その近くで遊ぶ子供たち…
そして子供が無邪気に遊び、怪我をしそうになった子供を助けようとした、アダム、この時、神様は、アダムとシンクロ(一体化)したのです。
(神様も子供を助けようと、意識がそこに全て集中しました。)
そして、子供は、怪我をしないで助かりました。(この時に、大声で叫んだ神様です、それまでに、感じたことのない喜びと感動!)
神様の内に、光を感じた時です。
目の見えない人が、見えるように成ったらどうでしょう。
この時の感動、感覚は、言葉に出来ないのではなく、大声で叫ぶしかしか表現出来ません。
神様は、その時の喜びを胸に、全てを投入して実体世界(無形実体世界・有形実体世界)の創造を初めました。

その後の話しは、知っていると思いますが、アダムとエバが結婚する前日に、天使長に奪われて、…
アダムとエバの結婚を通じて、一体化して、以前シンクロして感じた以上の喜びを楽しみにしていた神様、それが、一夜にして、無に消えてしまった。
言葉に出来ない神様の心情(神様も内なる神様が、消えてしまった…)
復帰の道も神様は、死んだ神様とか、神様はいない、神様を信じない人間たちを導いてこられた。
悲しい神様。
目も見えない、声も聞こえない、ボロボロの神様になってしまいました。
この時の神様は、アダムとシンクロしたその時の思いを、心の奥から、絞り出すように、思い出すにも、思い出せない苦しい思いを持ちながら、耐え難い道を歩いた神様でした。
そんな、神様です。

その様な神様を、解放、釈放された方が、真の父母様です。
責任分担をはたされた、真のお父様と真のお母様です。
全てに勝利した、真のお父様であり、全てに勝利した真のお母様です。

アダムとエバの時に出来なかった、内容を真の父母様は、勝利しました。
その時の、神様の心情を、感じてください。
真のお母様は、神様の直接主管圏内にいます。
その真のお母様が堕落する事はない。

神様と真の父母様を信じる我々は、統一原理、統一思想、真の父母様のみ言を信じます。
統一原理を中心にした考え方をしています。

真の父母様のみ言、統一原理、統一思想以外の内容、考え方は、新しい原理ではありません。
勘違いをしている方がいます。
間違いにきずいたら正しい道に戻ることを願います。

女性の方とくに、お母さんは、妊娠中の子供の動きや感覚は、忘れないと思います。
それと同じような感覚が、神様にもありました。
あるお父さんは、娘さんが産まれた時、娘の顔見たら、娘さんの嫁に嫁ぐ映像が浮かんだ人もいます。

神様が感じた内容を人は、感じることができます。
(神様の、全ての内容を、感じることは、難しいかもしれないですが… )

内なる神様の世界の話しでした。

このブログを読んだ皆さん一人一人に、神様の心情、神様が伝えたいことを様々な形で伝わるように祈ります。

神様の心情の眼鏡は、いつまでも、私たちと共にありますように。
神様の願いは、私(あなた)が、神の子に成ることです。

神様の導きに感謝します。
これからも、神様、真の父母様と共にありますように。
感謝します。
天運と共に億万歳!
感動を拡散します。

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神様と真の父母様に感謝じています。
今後も、統一思想を中心にブログを書きます。
皆さんとみ言の共有が出来ることを感謝します。
いろいろ感想お待ちしています。

2016年3月4日金曜日

あなたは、わかりますか?私は、四位基台・正分合作用の分の意味を正しく理解できていませんでした

いきなり、四位基台・正分合作用と言われてもと、思う方もいると思います。
前回、授受作用の話を少ししましたが、説明不足の所があります、今回の四位基台・正分合作用の内容を説明するのに、必要と思う内容を話しながら、正分合作用の分の意味を考えてみます。

今回の話しの内容は、統一思想(特に原相論)を学んだ内容で理解した内容です。
「授受作用には必ず中心、性相(主体)、形状(対象)、結果の四つの要素が関連するようになります。この四つの要素の相互関係は位置の関係です。すなわち授受作用において、中心、性相(主体)、形状(対象)、結果は一定の位置を占めたあと、互いに関係を結んでいると見るのです。授受作用がなされるときの、このような四つの位置の土台を四位基台といいます。授受作用は、原相においても被造世界においても、またいかなる類型の授受作用であっても、例外なく、この四位基台を土台として行われます。したがって、この四位基台は人間を含む万物が存在するための存在基台でもあります。」

「四位基台とは、中心、主体、対象、結果の四つの位置からなる基台であって、いかなる授受作用も必ずこの四つの位置からなる四位基台に基づいて行われます。」
正分合作用の正は(中心)、分は(主体と対象)、合は(結果)です。
分は、主体と対象で、原相において、性相が主体で形状が対象です。

「性相と形状の授受作用とは何か
 原相において、性相と形状が相対関係を結べば、授受作用が行われますが、すでに述べてきたように、そのとき、必ず一定の共通要素が中心となって相対基準が造成されなければなりません。神様において、中心となる共通要素は心情またはその心情を土台とした創造目的です。そして授受作用を行えば、必ず一定の結果を得るようになります。そのように性相と形状の授受作用には必ず一定の中心と一定の結果が伴うのです。心情が中心のとき、結果として合性体または統一体が現れ、目的が中心のとき、結果として新生体または繁殖体が現れるのです。ここで合性体とは一つに統一された形態をいい、新生体とは創造された万物(人間を含む)をいいます。したがって原相において、新生体の出現は万物の創造を意味するのです。」

授受作用、正分合作用の説明でしたが、分の何が理解不足だったか?
正分合作用の分は、二つに分けると思ってました。

食べ物で、のり巻き、ロールケーキ、金太郎飴何でも良いのですが、ロールケーキで例えればロールケーキが、神様で、人間は、神の子だから、ロールケーキを半分に分けたのが人間(男女)ではと思ってました。
しかし、半分に分けただけでは、相対基準が結べないのです。
ロールケーキを生地とクリームに分ける事で相対基準が結べて授受作用が出来るのです。
人間で言えば、男性と女性(陽性と陰性)に分けた。

統一思想に書いてある内容を少し紹介します。
 性相と形状が授受作用をするときの、両者は同格ではありません。すなわち各位が異なるのです。ここで格位とは資格上の位置をいいますが、資格とは主管に関する資格を意味します。(『原理講論』P131)。実際、格位とは能動性に関する位置をいうのであって、性相と形状が各位が異なるということは、性相は形状に対して能動的な位置にあり、形状は性相に対して受動的な位置にあることを意味するのです。そのとき、能動的位置にある要素や個体を主体といい、受動的な位置にある要素や個体を対象といいます。したがって性相と形状の授受作用において、性相が主体、形状が対象の立場になるのです。

主体と対象の格位は異なる
 そのように主体は対象に対して相対的に中心的、動的、積極的、創造的、能動的、外向的であり、対象は主体に対して依存的、静的、消極的、保守的、受動的、内向的です。被造世界における、そのような主体と対象の差異の根源は原相内の四位基台の主体と対象の格位の差異にあるのです。
 主体と対象の間においてのみ授受作用が行われます。すなわち格位の差がある所に授受作用が行われるのです。言い換えれば、二つの要素または個体が同格の場合は授受作用が行われず、むしろ反発が起こりやすいのです。陽電気と陽電気の間に行われる反発がその例です。

このブログで、私の感じた事を全て話すのは、無理ですが、今後、このブログで紹介していきます。(今までのブログも読んでいただければ嬉しいです。)
よろしくお願いします。

皆さんに、神様の祝福がありますように祈ります。

神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します!
神様の導きが強く、大きく、広く成りますように。
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神様と真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。

2016年3月3日木曜日

私たち個人は、相反する二つの目的の方向をもった人間になっています。授受作用のことを書きます。

相反する二つ目的の方向とは?
善と悪になりますが、善と悪は、一つになるのか?
あなたは、どの様に思いますか?

少し、今回のブログタイトルにあるように授受作用についてあれこれ書きます。(統一思想要綱に書いてある内容で、私が気になった部分です。)

二 原相の構造
(一)授受作用と四位基台より
『原理講論』の創造原理には、万物は「性相と形状による二性性相の相互関係によって存在しており」(P44)、また「陽性と陰性の二性性相の関係を結ぶことによって存在するようになる」(P43)と書かれています。これは万物の第一原因であられる神様が性相と形状および陽性と陰性の二性性相の中和的主体であられるためです(P46)。言い換えれば、万物は相似の法則によって創造されたため、みな例外なく神様の二性性相に似ているのです。

つぎに、書いてあるのは、「 ここで相対関係とは、二つの要素や二つの個体が互いに向かい合う関係をいいます。… そしてそのような相対関係は、必ず相互肯定的な関係でなければならず、相互否定的であってはなりません。

 そのような、相対的関係が結ばれるとき、何かを授受する現象が起こる。
相対関係が成立したからといって、必ず授受作用が行われるというのではありません。両者の間に相対基準が造成されなければなりません。相対基準とは、共通の基準すなわち共通要素または共通目的を中心として結ばれた相対関係を意味します。したがって正確にいえば、相対的関係が成立して相対基準が造成されれば、その時に授受作用が行われるのです。

統一思想に書いてある授受作用の一部ですが、授受作用には、共通の基準、共通要素または共通目的を中心として結ばれた相対的関係…
善と悪は、二つの相反する目的と方向を持っているので相対基準を結ぶ事が出来ません。
善と悪は、一つになることは出来ません。
私たちは、善と悪どちらか一方を選びます。

私たちは、善の主体である神様 と一つになることは出来ます。

そのために、統一原理、統一思想、真の父母様のみ言を学ぶ事が大切です。
正しく知ることで、正しく判断出来ると思います。
全ては、私(あなた)からです!
神様(天の父母様)と真の父母様を正しく知ることが、自分を知ること思います。

神様と真の父母様の導きがありますように祈ります。

全ての皆さんに感謝します。
皆さんに神様の祝福がありますように!

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2016年3月2日水曜日

平和世界、平和統一は、神様を中心に心と体の統一から

人間の、心と体は、葛藤をしています。
何故、葛藤するのか?

人間は、堕落したから…。
心と体の葛藤と共に他人との葛藤があると思います。
本心と邪心の関係です。

原理講論、総序には、「我々は、善の欲望を成就しようとする本心の指向性と、これに反する悪の欲望を達成させようとする邪心の指向性とが、同一の個体の中でそれぞれ相反する目的を指向して、互いに熾烈な闘争を展開するという、人間の矛盾性を発見するのである。
存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。
したがって、このような矛盾性をもつようになった人間は、正に破滅状態に陥っているということができる。
 ……人間がもっているこのような矛盾性は、後天的に生じたものだと見なければなるまい。人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。」と書いてあります。

また、平和経のみ言には、「統一はどこから成し遂げられなければならないのでしょうか。この世界は結果の世界なので、原因となる個々人を中心として模索しなければならないという結論が出てきます。
私たち個人は、相反する二つの目的の方向をもった人間になっています。これは誰も否定できないことです。
心は善の所に行くことを願うのに、体はそれとは反対の方に行けと言うのです。
この二つが闘っています。そのような個人、すなわちそのような男性とそのような女性が合わさって家庭を形成します。
ところが、内なる人と外なる人がいるので、夫婦が会えば四タイプの人がいることになり、それぞれが異なる行動をするようになるのです。
このようにして一つの氏族ならば氏族、民族ならば民族、国家ならば国家、世界ならば世界がすべて分かれるのです。
有り難いことは、数百、数千に分かれるのでなく、大きく二つに分かれることです。これが不思議なのです。
 もし神様がいらっしゃるならば、このような人間をそのまま放っておくことができないので、人間の知らない歴史の背後で活動してこざるを得ませんでした。
また、人間を悪へと追い込むサタンがいるとすれば、そのサタンも、神様が引っ張っていく方向とは反対の方向へと引っ張っていこうとするのです。
 しかし、絶対的な神様のみ前にいくら反対するサタンがいたとしても、サタンには、絶対的な権限をもって立てた原則に反して進み出る権限がありません。
正しいことは神様が管理し、悪いことは、サタンが管理するのですが、そのような神様とサタンとの闘いの結果が、私たち個人から現れ始めるのです。
ですから、人間は、悪の母体にもなり、善の母体にもなることを知らなければなりません。
すなわち人というのは、善の出発地になると同時に、悪の出発地にもなるのです。」
平和経「神様と人間のための理想世界」より

心の内に本心と邪心があります。

このような状態から、邪心を無くすことが必要だと思います。
み言にも「私たち個人は、相反する二つの目的の方向をもった人間になっています。これは誰も否定できないことです。」
授受作用は、主体と対象とが、万有原力により相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのです。

存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ないために、心から邪心を無くすようにする。(邪心と相対基準を結ばない自分)
ここから、心と体の統一が始まると考えます。
次に、日々の生活での実践です。

私自身、日々の生活で(生活原理)の実践を努力します。

神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
真のお母様のみ言に、真のお父様の聖和の後、お父様の願いに叶う勝利者がいるか、霊界に行った時に、お父様と共にいる人がいるか?
いないと言われ、天一国経典のみ言を学び、勝利者になって欲しいと真のお母様は、天一国経典をつくられた。
霊界に行った時、天一国経典のみ言で勝利者になりましたと、お父様に報告出来るように…
真のお父様と真のお母様に感謝します。

この道は、楽な道ではないので、この私も、最後まで、この道を歩めますように、導いて下さい。
私自身、傲慢に成りませんように祈ります。
私を導いて下さる神様と真の父母様に感謝します。
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全ての皆さんに感謝します。
神様と真の父母様の祝福がありますように
祈ります。

このブログは、私の考えで書いています。
み言の解釈、考え方などは、正確でないところがありますので、み言、統一原理などで確認する事を願います。
ブログ訪問ありがとうございます。

2016年3月1日火曜日

平和統一、平和世界は、どこから始まるのか?世界から?国から?統一家庭連合から?それとも…

今回のタイトルは、「平和統一、平和世界(神様の国、天国)は、どこから始まるのか?世界から?国から?統一家庭連合から?それとも…」ですが、あなたは、どこから始まると思いますか?

神様を知り、み言を知っている人、団体から始まる?

平和経には、次のように書いてあります。
『人類がこ の地球星に生存するようになって以降、最も重要なテーマは「平和」でした。「人類歴史は戦争史である」と言っても過言ではありません。その上、このような葛藤と紛争を治癒しなければならない宗教が、かえって憎悪と分裂をあおってきました。
人類の救世主、再臨主、真の父母として来られた文鮮明先生は、このような問題を根本的に解決するため、生涯にわたって世界平和運動を展開されました。
 文鮮明先生は、人間の利己的な欲望を打破しない限り、世界平和の問題を根本的に解決することはできないと看破され、世界平和を建設するための根源的な処方として、神様を中心に心と体が一つになった真の人間像を提示されました。
そして、真の人間が夫婦となり、真の家庭が氏族、国家、世界へと拡散するとき、初めて平和世界が実現できると説破されました。』
平和経はじめにより

統一世界、平和世界は…
私が、神様を中心に心と体が統一されることから始まります。

何故神様を中心に心と体を統一するのか?

それは、人間が堕落して心と体が葛藤したからです。

私(あなた)から変わる。
他人ではなく、私自身から!

神様の似姿に人間を創造された、神の子だから、神様のように、心と体を統一する。

天の父母様と真の父母様に感謝します。
真の父母様のみ言を学び正しく理解できるように願います。

私の理解不足がありましたら、その部分を早く気がつく事が出来るように祈ります。

全ての皆さんに、神様(天の父母様)の祝福がありますように 祈り

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