数字で表現する考え方です。
0と1で表現します。
0と1は、性相は 〔0〕形状が、〔1〕と数字を意識して読んでください。
被造世界は、神の二性性相に似た人間を標本として創造されたので、あらゆる存在は、心〔0〕と体〔1〕からなる人間の基本形に似ないものは一つもない。したがって、被造世界には、人間の体〔1〕のような有形実体世界〔1〕ばかりでなく、その主体たる人間の心〔0〕のような無形実体世界〔0〕もまたあるのである。
この有形〔1〕、無形〔0〕の二つの実体世界を総合したものを、我々は天宙と呼ぶ。
心を知らずには、その人格が分からないように、神を知らなくては、人生の根本意義を知ることはできない。
また、無形世界〔0〕がいかなるものであるかを知らなくては、有形世界〔1〕がいかなるものであるかを完全に知ることはできないのである。
それゆえに、無形世界〔0〕は主体の世界であり、有形世界〔1〕は対象の世界であって、後者は前者の影のようなものである。
有形世界〔1〕で生活した人間が肉身を脱げば、その霊人体は直ちに、無形世界〔0〕に行って永住するようになる。
被造世界における人間の位置
第二に、神は人間を被造世界の媒介体として、また和動の中心体として創造された。
人間の肉身と霊人体が授受作用により合性一体化して、神の実体対象となるとき、有形、無形の二つの世界もまた、その人間を中心として授受作用を起こし合性一体化して、神の対象世界となる。
そうすることによって、人間は二つの世界の媒介体となり、あるいは和動の中心体となる。
第三に、神は人間を、天宙を総合した実体相として創造された。
神はのちに創造なさる人間の性相と形状の実体的な展開として、先に被造世界を創造されたのである。
したがって、霊人体の性相と形状の実体的な展開として、無形世界を創造されたので、霊人体は無形世界を総合した実体相である。
また肉身の性相と形状の実体的な展開として有形世界を創造されたので、肉身は有形世界を総合した実体相となるのである。
ゆえに、人間は天宙を総合した実体相となるので、しばしば人間を小宇宙という理由は、ここにあるのである。
肉身は肉心(主体)と肉体(対象)の二性性相からなっている。肉心とは肉体をして生存と繁殖と保護などのための生理的な機能を維持できるように導いてくれる作用部分をいうのである。
霊人体は人間の肉身の主体として創造されたもので、霊感だけで感得され、神と直接通ずることができ、天使や無形世界を主管できる無形実体としての実存体である。
霊人体はその肉身と同一の様相であり、肉身を脱いだのちには無形世界(霊界)に行って永遠に生存する。
人間が永存することを念願するのは、それ自体の内に、このような永存性をもつ霊人体があるからである。
この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。
そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。
霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。
霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する。
それゆえに、霊人体と肉身との関係は、ちょうど実と木との関係と同じである。
生心の要求のままに肉心が呼応し、生心が指向する目的に従って、肉身が動くようになれば、肉身は霊人体から生霊要素を受けて善化され、それに従って、肉身は良い生力要素を霊人体に与えることができて、霊人体は善のための正常的な成長をするようになるのである。
生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。
それゆえに、人間が真理で生心が要求するものを悟り、そのとおりに実践することによって、人間の責任分担を完遂すれば、初めて生霊要素と生力要素とがお互いに善の目的のための授受作用をするようになる。
ところで、生霊要素と生力要素とは各々性相的なものと形状的なものとの関係をもっている。
霊人体はどこまでも、地上の肉身生活においてのみ完成できるのである。
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皆さんに感謝します。
たくさんの幸せを祈ります。
ありがとうございます。
神様と真の父母様に感謝します。
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人間が永存することを念願するのは、それ自体の内に、このような永存性をもつ霊人体があるからである。
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霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。
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