2016年3月31日木曜日

神様の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であると表現することも で きるのです。

天の父母様と真の父母様の導きと真の愛に感謝します。

心情とはで、私が気になった事とみ言を、はじめに、紹介します。
『愛には必ず対象が必要です。特に神様の愛は抑えがたい衝動であるため、その愛の対象が絶対的に必要だったのです。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかったのです。』
私たちも、対象が必要で、全てにおいて、対象を、無意識のうちに探しているのではと思います。
勿論、本然の姿ではないので、対象が見つかっても、葛藤があったりしますが、本然の姿に近い形での対象を求めていると思います。
意識する事は大切です。
無意識でなく、意識して対象圏をつくりましょう。
(私も、意識して、努力します。)

『神様は愛の対象として人間と万物を創造されたのです。人間は神様の直接的な愛の対象として、万物は神様の間接的な愛の対象として創造されたのです。万物が神様の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であることを意味します。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神様の愛の対象でありますが、結果から見るとき、人間と万物は神様の喜びの対象なのです。』
このみ言を読んで、神様の対象に人間と万物を創造した、対象の主体に人間、対象の対象に万物を創造しました。
神様は、天宙を創造しました。無形実体世界と有形実体世界主体と対象の関係ですよね。
(神様の創造の対象の主体の無形実体世界と対象の対象有形実体世界)
無形実体世界は、神様の直接主管圏であり、有形実体世界は、神様の間接主管圏(人間をとうして万物を主管するため)
喜びにも、直接的な喜びと間接的喜びがあります。
間接的喜びは、人が喜んでいるのを見て喜ぶことです。
私が感じた事です。
感謝します。

ここから、統一思想の内容です。
全てのみなさんに神様の真の愛と心情が伝わりますように祈ります。

 神様は心情である
 神様は心情すなわち愛を通して喜ぼうとする情的な衝動をもっておられますが、そのような神様の衝動は人間の衝動とは比較にならないほど抑えがたいものだったのです。
人間は相似の法則に従って、そのような神様の心情を受け継いだので、たとえ堕落して愛を喪失したとしても、喜ぼうとする衝動はそのまま残っているのです。ゆえに、情的な衝動を抑えるのは難しいのです。
 ところで神様において、喜ぼうとする情的な衝動は、愛そうとする衝動によって支えられています。真の喜びは真の愛を通じなければ得られないためです。
したがって、愛そうとする衝動は喜ぼうとする衝動よりも強いのです。愛の衝動は愛さずにはいられない欲望を意味します。そして愛さずにはいられないということは、愛の対象をもたずにはいられないということを意味します。
 そのような愛の衝動によって喜ぼうとする衝動が誘発されます。したがって愛の衝動が一次的なものであり、喜ぼうとする衝動は実は愛そうとする衝動が表面化したものにすぎないのです。
 ゆえに神様の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であると表現することもできるのです。
愛には必ず対象が必要です。特に神様の愛は抑えがたい衝動であるため、その愛の対象が絶対的に必要だったのです。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかったのです。

 宇宙創造と心情
 このように心情が動機となり、神様は愛の対象として人間と万物を創造されたのです。人間は神様の直接的な愛の対象として、万物は神様の間接的な愛の対象として創造されたのです。万物が神様の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であることを意味します。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神様の愛の対象でありますが、結果から見るとき、人間と万物は神様の喜びの対象なのです。
 このように心情を動機として宇宙創造の理論(心情動機説)は創造説が正しいか生成説が正しかという一つの現実問題を解決することになるのです。そして生成説(プロティノスの流出説、ヘーゲルの絶対精神の自己展開説、ガモフのビッグバン説、儒教の天生万物説など)では、現実への罪悪や混乱などの否定的側面までも自然発生によるものとされて、その解決の道がふさがれているのですが、正しい創造説では、そのような否定的側面を根本的に除去することができるのです。

 心情と文化
 次に、「心情は神様の性相の核心である」という命題から心情と文化の関係について説明します。神様の性相は内的性相と内的形状から成っていますが、内的性相は内的形状よりもより内的なのです。そして心情は内的性相よりもさらに内的なのです。このような関係は、創造本然の人間の性相においても同じです。
 これは心情が人間の知的活動、情的活動、意的活動の原動力となることを意味します。すなわち心情は情的な衝動力であり、その衝動力が知的機能、情的機能、意的機能を絶えず刺激することによって現れる活動がまさに知的活動、情的活動、意的活動なのです。
 人間の知的活動によって、哲学、科学をはじめとする様々な学問分野が発達するようになり、情的活動によって、絵画、音楽、彫刻、建築などの芸術分野が発達するようになり、意的活動によって、宗教、倫理、道徳、教育などの規範分野が発達するようになります。
 創造本然の人間によって構成される社会においては、知情意の活動の原動力が心情であり愛であるがゆえに、学問も芸術も規範も、すべて心情が動機となり、愛の実現がその目標となります。ところで学問分野、規範分野の総和、すなわち人間の知情意の活動の成果の総和が文化なのです。したがって創造本然の文化は心情を動機とし、愛の実現を目標として成立するのであり、そのような文化は永遠に続くようになります。そのような文化を統一思想では心情文化、愛の文化、または中和文化と呼びます。
 しかしながら人間始祖の堕落によって、人類の文化は様々な否定的な側面をもつ非原理的な文化となり、興亡を繰り返しながら今日に至っています。これは人間の性相の核心である心情が利己心によって遮られ、心情の衝動力が利己心のための衝動力になってしまったからです。
 そのように混乱を重ねる今日の文化を正す道は、利己心を追放し、性相の核心の位置に心情の衝動力を再び活性化させることによって、すべての文化の領域を心情を動機として、愛の実現を目標とするように転換させることなのです。すなわち心情文化、愛の文化を創建することなのです。このことは「心情は神様の性相の核心である」という命題が、今日の危機から文化をいかに救うかというまた一つの現実問題解決の基準になることを意味するのです。

 心情と原力
 最後に心情と原力について説明されています。宇宙万物はいったん創造されたのちにも、絶えず神様から一定の力を受けています。被造物はこの力を受けて個体間においても力を授受しています。前者は縦的な力であり、後者は横的な力です。統一思想では前者を原力といい、後者を万有原力といいます。
 ところでこの原力も、実は原相内の授受作用、すなわち性相と形状の授受作用によって形成された新生体なのです。具体的に言えば、性相内の心情の衝動力と形状内の前エネルギー(Pre-Energy)との授受作用によって形成された新しい力が原力(Prime Force)なのです。その力が、万物に作用して、横的な万有原力(Universal Prime Force)として現れて、万物相互間の授受作用を起こすのです。したがって万有原力は神様の原力の延長なのです。
 万有原力が心情の衝動力と前エネルギーによって形成された原力の延長であるということは、宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用していることを意味するのです。したがって人間が互いに愛し合うのは、そうしても、しんたくも良いというような、恣意的なものではなく、人間ならば誰でも従わなければならない天道なのです。
 このように「心情と原力の関係」に関する理論も、また一つの現実問題の解決の基準となることがお分かりになると思います。すなわち「人間は必ず他人を愛する必要があるのか」、「時によっては闘争(暴力)が必要な時もあるのではないか」、「敵を愛すべきか、打ち倒すべきか」というような現実問題に対する解答がこの理論の中にあることがお分かりでしょう。
統一思想より
ありがとうございます。
みなさんに神様の祝福がありますように。
感謝します。

2016年3月30日水曜日

心情とは何か?「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。統一思想より

神様と真の父母様の真の愛と心情の導きに感謝します。

私たちが歩む道は、どこから、続いているのでしょうか?
私たちの、歩みの、出発点はどこか?何なのか?
 考えながら、あなたは、何を思いますか?

人それぞれの、人生ではありますが。…
少し考える時間も、良いと思います。

心情を考える事は大切だと思い、心情について二日間に分けて、統一思想の内容を書きます。

(1)心情
 心情とは何か
 心情は神様の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。心情のそのような概念を正しく理解する助けとなるように、人間の場合を例として説明してみます。
 人間は誰でも生まれながらにして喜びを追求するようになっています。喜ぼうとしない人は一人もいないでしょう。人間は誰でも幸福を求めていますが、それがまさにその証拠なのです。そのように人間はいつも、喜びを得ようとする衝動、喜びたいという衝動をもって生きています。それにもかかわらず、今日まで大部分の人々が真の喜び、永遠の喜びを得ることができないでいることも事実なのです。
 それは人間がたいてい、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするからなのです。それでは真の喜び、永遠の喜びはいかにして得られるのでしょうか。それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのです。愛の生活とは、他人のために生きる愛他的な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいいます。

 心情は情的衝動である
 ここで「情的な衝動」について説明します。情的な衝動とは内部からわきあがる抑えがたい願望または欲望を意味します。普通の願望や欲望は意志で抑えることができますが、情的な衝動は人間の意志では抑えられないのです。
 私たちは喜ぼうとする衝動(欲望)が抑えがたいということを、日常の体験を通じてよく知っています。人間が金をもうけよう、地位を得よう、学識を広めよう、権力を得ようとするのも喜ぼうとすると衝動のためであり、甚だしくは犯罪行為までも、方向が間違っているだけで、その動機はやはり喜ぼうとする衝動にあるのです。
 このように喜ぼうとする衝動(欲望)は抑えがたいものです。欲望は達成されてこそ満たされます。しかるに大部分の人間にとって、喜ぼうとする欲望が満たされないでいるのは、喜びは愛を通じてしか得られないということが分かっていないからなのです。そして喜びが愛を通じてしか得られないのは、その喜びの根拠が神様にあるためなのです。
 統一思想より
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。

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皆さんに、天の父母様と真の父母様の祝福がありますように。
天運・天福ありがとうございます。
神様の知恵を相続して、知情意、全てが喜びの内で感謝の生活が出来ますように。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。

2016年3月29日火曜日

神様と二人だけの秘密 を持ってください。ブログタイトルは、「私は、自分人生を歩みながら、過去の人々の人生の一部分を歩んでいる。」

天の父母様と真の父母様に感謝します。
私の人生は、私が決めている!

その様に、思いたいのですが、よくよく考えてみれば、私に、協助している、先祖や私と同じような考えをしていた、霊界にいる人々が、私に、私の判断に、影響を与えています。
もちろん、最終的に判断しているのは、私自身です。

私は、霊界の協助を受けている事は、み言で聞いていましたが、生活の中でどれだけ意識しているのか…、意識していなかった事にきずき、今回ブログにしました。

私たちは、様々な思いがわいてきます。
良い思いだけでなく、悪い思いもわいてきます。
堕落性をなくす努力と堕落性をきずかせてくれた、自分の思いに、感謝します。

この感謝は、堕落性に感謝して堕落性のままに、生きて下さいと言う意味ではありません。

人生の目的は何か?
人それぞれにあると思います。

(人生の目的を詳しい知りたい方は、良い所を知っています。
様々な問題解決のヒントを詳しいく教えてくれる所です。それが、世界平和統一家庭連合・旧統一教会です。まずは、お電話を…。)

今回のブログは、人生の目的についてのブログではないので、そちらに、関心のある方は、家庭連合で、話を聞いて下さい。詳しいく理解出来ます。

ここから、ブログタイトルを意識しての内容を書いていきます。(よろしくお願いします。)

世の中、上手くいく人、上手くいかない人がいます。
先祖の功労があるとか、ないとか。
それだけでなく、過去の人々(私に協助している人)の人生が、影響しています。

神様が、創造した人間ですから、神様の創造目的があります。
簡単に言えば、神様の息子・娘に成り神様の国(天一国)をつくり生活する。

霊界にいる全ての人(霊人体)の目的も、神様の息子・娘となり、神様の国をつくり、そこで、生活をする事です。

霊界では、霊人体の成長と完成には、時間がかかります。(無限に近い時間かも知れないです。)
 霊人体は、早く霊人体の完成、霊人体のいる所より、少しでも、良いところに行きたいので、私たちに、協助しているのです。

私に、協助している人の越えられなかった、人間関係や仕事関係のことなどが、似たような形で、私が、体験して、人間関係などを、良くする事で、私に、協助している霊人体も良くなります。
 複雑な環境が与えられるのは、私が、神様の子供に成り、神様の国(天一国)をつくり、そこで生活するためと共に、私に協助している霊人体の完成のためです。

悪い事が起きるのは、悪い事をした悪霊人体は、悪い事を私たちにして、私たちが、それを感謝する事により、悪い霊人体も、良く成り、良い霊人体に成って行きます。

その事を思えば、知恵の王様である神様は、反対に配置している可能性は大きいです。
神様の事情を理解している人は、謙虚だと思います。
その事を知らない人は、傲慢です。

教会内でも位置は、神様が与えたもので有ります。
教会員で、教会を批判する人がいます。
(私は、謙遜傲慢なタイプの人間なので、この思いは、わかります。)
でも、批判して、何が変わるのか?
相手が、変わるかも知れません。
教会員であれば、内的に変わろうとすると思います。
批判する事で、批判された人が感謝すれば、批判した人も、救われています。
その事を、知っている、教会員であれば、相手を、批判出来ないのです。
(人を判断して、自分の背後の霊を良くしょうと思っている?)
そんなことは、ないと思いますが…。

自分の越えるべき問題は、自分で超えなければ、いけないのです。
誰かが、変わりにしてくれるかも知れませんが、そうしたら、神様の心情は、わからないのです。

神様の心情を理解するために、苦労するのです。
苦労する事は、悪いことではないと思います。

苦労する事をとうして神様の心情がわかります。(個人的感想です。神様の心情がわからない人もいます。)

神様が認める苦労をする事をススメます。
その事をとうして神様だけが知る内容があります。

2016年3月28日月曜日

神様を中心とした完成人間の位置と完成人間の価値

神様・天の父母様と真の父母様に感謝します。
完成人間の位置は、神様と親子 の関係ですが、唯一なる神様、真の父母様そして、子女としての、全人類です。

唯一なる神様は、天の父母様で、真の父母様は、天地人真の父母様です、子女は、アベルの子女(真の子女様)とカインの子女(堕落圏内の全人類)です。
カインの子女は、また、二つに分けられます。
カインの子女のアベル圏内に、統一原理を学び、真の父母様を父母と信じる人々(中心は、統一教会員)カインの子女のカイン圏は、まだ、真の父母様を知らない人々と言えます。

今の子女様の問題などを考える時に、アベルの子女とカインの子女の関係を理解しないと、問題がわからないと思います。

子女様は、堕落の血統と関係ありませんが、サタンの讒訴条件は、あります。
それは、真の父母様と真の家庭を支える善の基台と成るべき、カインの子女のアベル圏にいる教会員の摂理の失敗です。

失敗は、本来、失敗した本人が償うものですが、サタンは、本人以上に、アベルの子女である真の子女を讒訴します。
(真の父母様は、完成しているので、真の家庭を讒訴します。)

真のお母様は、カインの子女である教会員に、自分の責任分担を勝利しなさいと言われているのは、カインの子女が、自己責任を勝利すれば、アベルの子女である真の子女様への、サタンの讒訴条件が、無くなるからです。

位置的に、アベルの子女である真の子女様、次に、カインの子女です。

完成人間は、神様を中心として、自分の位置は、自然にわかるように成っていると言われています。

完成してない人間も、霊界に行けば、自己の位置は、自分で決めると言われています。
悪いことをすると、地獄に行くと言われているが、正確には、自分で決めているのです。
不平不満ばかり言っている人は、その様な、人のいるところに集まります。
他の所では、自分が、不平不満ばかり言っている事が、周りに分かってしまうからです。
不平不満の所に行けば、自分が不平不満を言っても、みんな言っているので、いやすい場所なのです。

完成人間の価値ですが、原理講論の内容を紹介します。
『2.  第七章 キリスト論
我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。
そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。
これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になって(マタイ五・48)、神のような神性をもつはずの価値的な存在である。
神が永遠なるお方であるので、その実体対象として創造された人間も、やはり、完成すれば、永遠なるものとして存在せざるを得ない。その上、完成した人間は、唯一無二の存在であり、全被造世界の主人であるがゆえに、彼なしには、天宙の存在価値も、完全になることはできないのである。
したがって、人間は、天宙的な価値の存在である。イエスは、正に、このような価値をもっておられる方である。しかし、イエスがもっておられる価値がいくら大きいといっても、既に列挙したように、創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。このようにイエスは、あくまでも創造目的を完成した人間として来られた方であることを、我々は否定できないのである。
原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである。
また原理が、イエスに対して、彼は創造目的を完成した一人の人間であると主張したとしても、彼の価値を決して少しも下げるものではない。
ただ、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引きあげるだけである。』

完成人間の価値は、全て同等である事が分かると思います。

ブログ訪問ありがとうございました。
私の考え方を中心に、ブログを書いてます。
この内容だけでなく、統一原理を学び、判断して下さい。
全ての人が、統一原理に関心を持ち、統一原理を学ぶ事を願います。
その後の判断は、自分自身で決めて下さった。
導かれる事を願います。

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神様と真の父母様感謝します。
天運・天福、天の祝福がありますように!
感謝します。

2016年3月27日日曜日

火の粉を払えさんの「お母様は、神になられた」と宣言すべきとありましたが…。少したりないと思います。

火の粉を払えさんのブログに、私のブログ、話題にして下さった事に感謝します。
ブログの表現や知識的なレベルの低さは認めます。

多少感情的表現に成るかも知れませんが、バカな弟が騒いでいる…。そんなレベルでブログを読んでいただければ嬉しいです。

統一原理についてですが、統一原理は、知的、頭が良いだけでは、原理を深く、広く、理解出来ません。
原理を深く、広く、理解するためには、神様のこと、特に神様の心情と事情を理解する事が大切です。

知的にだけ、統一原理を理解して、不平不満を言っている方もいると思います。
それで、霊界の天国(天一国)には入れないと思います。

教会員で無くても、一般の生活の内で、神様の心情と通じる苦労をしているなら、天一国に入国の手続きさえ取れば、古い教会員より早く天一国に入国出来るかもしれないです。
(これから、み言を学ぶ人の方が、早く天一国に入国出来るかも…。)

このブログは、この事を言いたかたのではないので、本題に戻します。
(全ての考え方は、私の個人的な考え方です。その事は、理解してください。)

「お母様は、神様になられた。」
これだけでなく、「お母様と責任分担完成した、天一国の民は、神様になる!」と宣言すべきです。

真の父母様は、人間の責任分担を果たして、完成人間に成りました。
完成人間は、神様の直接主管圏内です。
これは、神様と真の父母様が、一体と成っていることを言います。
別の言い方をすれば、神様の体と成った真の父母様です。

また、真の父母様だけでなく、全ての人間は、天一国の民と成り責任分担を完成した人は、神様の体となり、神様と一体と成ります。

今、地上には、真のお母様以外、人間の責任分担を完成した人は、いないので、今の時点では、真のお母様だけが、神様の体となっています。

人間が、自身の責任分担を完成して、神様の体と成ったら、全ての人が、同じ人に成るわけではありません。
人間には、人間一人ひとり、個性がありますから、神様の体と成っても、一人ひとり全て違います。
真のお父様の考え方と真のお母様の考え方が違っても、良いのです。
お父様とお母様の個性が違うのだから、語られる、み言も、違ってきて当たり前です。
真のお父様と真のお母様は、完成しました。
完成人間が、堕落する事は、ありません。

今回のブログは、(今回も)話がまとまりませんでした。
意見などあれば、コメントやブログで書いてください。
よろしくお願いします。
答えられる内容には、答えます。
このブログ訪問の方全員に、神様の祝福がありますように。
感謝します。

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ありがとうございます。
感謝します。
皆さんに、天運・天福がありますように!

おすすめブログです。
神様を中心とした完成人間の位置と完成人間の価値

2016年3月26日土曜日

会話も授受法に従っています。もし相手がでたらめに話せば、聞く人は彼が何を言っているのか理解できないのです。統一思想より

私が相手の言うことを理解できるのは、相手のもっている観念や概念が、私のもっている観念や概念と一致しているからであり、相手と私の思考の法則が一致しているからなのです。
相手がでたらめに話せば、聞く人は彼が何を言っているのか理解できないのです。

この事から、相手と私の思考の法則(観念や概念)が一致していいない時は、お互いに、話の内容が、理解できないです…。

第十一章 方法論 :
二 統一方法論(授受法) :
(二) 授受法の範囲
 授受法は神様と人間と万物(自然)における存在と発展の根本的な方法です。
まず神様は内的および外的な自同的授受作用によって永遠性を維持しつつ、内的および外的な発展的授受作用によって、人間と万物を創造されました。
 人間や万物においても、それぞれの個体(個性真理体)は、それ自体の中で主体と対象の相対的要素が内的な授受作用をしながら、同時にまた他の個体と外的な授受作用をすることによって、存在し発展しています。
 個体同士の授受作用には、次のようなものがあります。まず人間相互間の授受作用があります。それは家庭生活や社会生活における、人間と人間の交わりです。教育、倫理、政治、経済活動などがこの授受作用によって営まれています。
 次は、人間と万物の授受作用を見てみます。ここには、人間が万物を主管する場合の授受作用と、人間が万物を認識する場合の二つの授受作用があります。
万物の認識の場合の授受作用の例は、自然科学の基礎研究、自然の探求や鑑賞などがありますが、万物主管の例は、自然科学における応用研究、企業活動、経済活動、芸術の創作活動などがあります。
 さらに、万物相互間にも授受作用が行われています。原子と原子の授受作用、細胞と細胞の授受作用、星と星の授受作用などがその例です。そのように万物世界では数多くの個体が、それぞれ一定の位置において相互に授受作用を行うことによって、有機的、秩序的な世界を成しているのです。機械における部品と部品の相互作用も、その一例です。
 人間の思考や会話も授受法によって営まれています。すなわち、思考における主体的な部分(内的性相)である知情意の機能と、対象的部分(内的形状)である観念、概念、法則、数理が授受作用をすることによって思考が営まれています。
 思考における判断(命題)も授受法に従っています。例えば「この花はバラである」という判断は、「この花」と「バラ」という二つの観念を比べる対比型の授受作用なのです。
会話も授受法に従っています。もし相手がでたらめに話せば、聞く人は彼が何を言っているのか理解できないのです。私が相手の言うことを理解できるのは、相手のもっている観念や概念が、私のもっている観念や概念と一致しているからであり、相手と私の思考の法則が一致しているからなのです。これも対比型の授受作用です。(統一思想より)

ありがとうございます。
統一思想に感謝します。
神様と真の父母様に感謝します。

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神様と真の父母様の祝福、天運・天福がありますように祈ります。
全てに感謝します。

2016年3月25日金曜日

神様の創造を建物で、例えれば、原理が、設計図で、被造世界が家になります。

神様の創造を建物で、例えれば、原理が、設計図で、被造世界が家に例えられますが、私は、少し違う考えをしています。
私のブログでは、原相の構造が、よく出てきます。
また、原理講論には、「内性は目に見ることはできませんが、必ずある種のかたちをもっているので、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れるのです。そこで前者を性相といい、後者を形状と名づけます」(『原理講論』P44)。
とあるように、原理、設計図と被造世界、家の間に、模型の家かモデルハウスを‥?‥。
この事で、何が言いたいのか?
神様は、原理の設計図をもとに、モデルハウス( 内的かたち)を作り、それから、被造世界、天宙(外的かたち)を創造したと考えられます。

堕落した人間、私たちも、再創造に、内的自分を創造して、それから、外的自分を創造する事が大切だと思います。
内的自分を創造するのに、イメージトレーニングや良い事のシミュレーション、意識改革などが良いと思います。
私は、このブログで、内的自分創造をしているように思います。
外的自分創造は、まだ、出来ていませんが、先ずは、内的自分創造を意識しています。

私の考え方は、生活原理だと考えます。
原理は、お父様の考えやお父様の認めた内容で、原理を元に、教会員が考えた原理は、全て生活原理だと思います。

たくさんの教会員の皆さんが、それぞれ個性的な生活原理を発表されることを願います。
(生活原理の理解が広まる事を願います。)
自己責任、自己判断でありますが…。

ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
心に感じる内容が有ればうれしいです。
神様の祝福がありますように!

おすすめブログ
☆原相の構造とシステム!公開

原相の理解が深まることを祈ります。
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神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。