2016年5月11日水曜日

戦争の動機とは何か、その根本が何かというとき、「私」なのです。

「家和万事成」という言葉があります。
「家和万事成」になろうとすれば、祖父と祖母の関係が理想的でなければなりません。
夫婦関係と兄弟関係が理想的でなければいけません。
祖父と祖母が自分たちだけで喜び、夫婦同士、あるいは兄弟同士だけで喜んではいけません。
祖父と祖母と父母、父母と息子、娘、縦横の前後左右ですべて和合してこそ、「家和(いえわして)」になるのです。
「家和」は難しいというのです。
なぜですか。
私たち個々人の体と心が争っているからだす。
三十八度線が問題ではなく、世界の戦争が問題ではありません。
戦争の動機とは何か、その根本が何かというとき、「私」なのです。
平和経、根本思想より

戦争の動機とは何か、その根本が何かというとき、「私」なのです。
私たち個々人の体と心が争っているからだす。

神様の心情と神様の目的を中心として、心と体が一つになりますように、祈ります。
真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。

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みなさんに天の祝福がありますように!
天運・天福に感謝します。

2016年5月4日水曜日

神様の真の愛を相続するために、何が必要か?

神様・天の父母様と真の父母様に感謝します。

「神様の真の愛を相続しょう!」を考えた時に、ふと思った事があります。
どのように相続するか?…

あなたは、どのように考えますか?
一人ひとり考えは違うと思います。

私が、感じたのが、神様から、真の愛を相続するのではなく、自分から…!?
相続と言うより、実践して、感じて相続が出来るのではと、感じました。

世界家庭、2016・5(天暦3月号)の、真のお母様のみ言、タイトルが「真の父母様と一つになって真の愛を実践しましょう」 です。

このタイトルを見たとき、真の愛の相続は、真の愛の実践が大切だと感じました。

み言の内容で、気になったみ言は、「全知全能であられる神様です。初めと終わりが同じです。それならば、始めたときの目的を成さなければなれません。ところが問題は、人間の責任分担(完遂)が必要であるということです。…」

自分自身が問題になりますよね。

真の父母様と一つになる事が大切だと感じます。
みなさんは、どのように考えますか?
良い答えが、出ますように。
祈ります。

ブログ訪問ありがとうございます。

神様に感謝します。
ありがとうございます。

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みなさんの願いが叶いますように祈ります。
感謝します。



2016年5月1日日曜日

私のひとり言!「原理に帰りましょう。」と言う動画を見て…?

タイトル「原理に帰りましょう。」
動画を見ました。

原理に帰りましょうと言う考え方は、一つの考え方として、あるかなと思って、動画を見ました。…

お父様や原理の事を話していますが、少し違うと感じました。

家庭連合とは、言ってなくて、別の名前を言ってました。

お父様やみ言などを言ってましたが、ポイントを少しずらした所がありました。

私たちは、神様に帰り、真の父母様に帰る。
み言の本体、実体が、真の父母様です。
私たちも、み言の実体になるためにみ言を学ぶ事は大切です。

神様と真の父母様に感謝します。
私たちの中心は、天の父母様と真の父母様です。

今回のブログのひとり言は、ここまでです。

真の父母様のみ言の動画です。
関心のある方は見て下さい。
(13分の動画です)

真の父母様御来日歓迎東日本千名集会でのみ言です。

神様の導きに感謝します。
ありがとうございます。

2016年4月21日木曜日

内的形状は本性相内の対象的部分をいうが、そのうち重要なものは観念、概念、原則、数理である。

統一思想、内的形状より

内的形状は本性相内の対象的部分をいうが、それはいくつかの形の要素から成り立っている。そのうち重要なものは観念、概念、原則、数理である。

① 観 念
観念は性相の中にある被造物一つ一つの具体的な表象、すなわち映像をいう。
人間は経験を通じて客観世界の事物一つ一つの具体的な姿を心の中に映像としてもっているが、その映像がまさに観念である。人間の場合は経験を通じて観念を得るが、神は絶対者であるために本来から無数の観念をもっていたと見るのである。

② 概 念
概念は抽象的な映像、すなわち一群の観念に共通的に含まれた要素を映像化したものをいう。例えば犬、鶏、牛、馬、豚などの観念において、共通の要素は「感覚をもって運動する性質」であるが、これを映像化させれば「動物」という抽象的な形を得るようになる。
それが概念である。概念には種概念と類概念がある。

③ 原 則
原則は被造世界の自然法則および規範(価値法則)の根本原因となる法則であって、数多くの自然法則と規範は、この原則がそれぞれの自然現象と人間生活を通じて現れる表現形態なのである。
あたかも植物において、一粒の種が発芽して幹と枝が伸び、数多くの葉が繁るように、一つの原則から数多くの法則(自然法則と規範)が現れるようになったと見るのである。

④ 数 理
数理は数的原理という意味であって、自然界の数的現象の究極的原因をいう。
すなわち内的形状の中には数的現象の根源となる無数の数、数値、計算法などが観念として含まれているのであり、それが数理である。
ピタゴラスが「万物の根本は数である」というときの数の概念、また量子力学の大成に貢献したイギリスの物理学者のディラックが「神は高度の数学者であり、宇宙を構成する時、極めて高級な数学を使用した」というときの数の概念は、すべて内的形状の数理に該当するということができる。

感謝します。
神様の真の愛を相続しょう

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ありがとうございます。

2016年4月20日水曜日

数字で表現する、無形実体世界と有形実体世界の考え方。

神様と真の父母様に感謝します。

数字で表現する考え方です。
0と1で表現します。
0と1は、性相は 〔0〕形状が、〔1〕と数字を意識して読んでください。

被造世界は、神の二性性相に似た人間を標本として創造されたので、あらゆる存在は、心〔0〕と体〔1〕からなる人間の基本形に似ないものは一つもない。したがって、被造世界には、人間の体〔1〕のような有形実体世界〔1〕ばかりでなく、その主体たる人間の心〔0〕のような無形実体世界〔0〕もまたあるのである。

この有形〔1〕、無形〔0〕の二つの実体世界を総合したものを、我々は天宙と呼ぶ。

心を知らずには、その人格が分からないように、神を知らなくては、人生の根本意義を知ることはできない。
また、無形世界〔0〕がいかなるものであるかを知らなくては、有形世界〔1〕がいかなるものであるかを完全に知ることはできないのである。
それゆえに、無形世界〔0〕は主体の世界であり、有形世界〔1〕は対象の世界であって、後者は前者の影のようなものである。
有形世界〔1〕で生活した人間が肉身を脱げば、その霊人体は直ちに、無形世界〔0〕に行って永住するようになる。

 被造世界における人間の位置
第二に、神は人間を被造世界の媒介体として、また和動の中心体として創造された。
人間の肉身と霊人体が授受作用により合性一体化して、神の実体対象となるとき、有形、無形の二つの世界もまた、その人間を中心として授受作用を起こし合性一体化して、神の対象世界となる。
そうすることによって、人間は二つの世界の媒介体となり、あるいは和動の中心体となる。

第三に、神は人間を、天宙を総合した実体相として創造された。
神はのちに創造なさる人間の性相と形状の実体的な展開として、先に被造世界を創造されたのである。
したがって、霊人体の性相と形状の実体的な展開として、無形世界を創造されたので、霊人体は無形世界を総合した実体相である。
また肉身の性相と形状の実体的な展開として有形世界を創造されたので、肉身は有形世界を総合した実体相となるのである。
ゆえに、人間は天宙を総合した実体相となるので、しばしば人間を小宇宙という理由は、ここにあるのである。

肉身は肉心(主体)と肉体(対象)の二性性相からなっている。肉心とは肉体をして生存と繁殖と保護などのための生理的な機能を維持できるように導いてくれる作用部分をいうのである。

霊人体は人間の肉身の主体として創造されたもので、霊感だけで感得され、神と直接通ずることができ、天使や無形世界を主管できる無形実体としての実存体である。

霊人体はその肉身と同一の様相であり、肉身を脱いだのちには無形世界(霊界)に行って永遠に生存する。
人間が永存することを念願するのは、それ自体の内に、このような永存性をもつ霊人体があるからである。

この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。
そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。
霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。
霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する。
それゆえに、霊人体と肉身との関係は、ちょうど実と木との関係と同じである。
生心の要求のままに肉心が呼応し、生心が指向する目的に従って、肉身が動くようになれば、肉身は霊人体から生霊要素を受けて善化され、それに従って、肉身は良い生力要素を霊人体に与えることができて、霊人体は善のための正常的な成長をするようになるのである。

生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。

それゆえに、人間が真理で生心が要求するものを悟り、そのとおりに実践することによって、人間の責任分担を完遂すれば、初めて生霊要素と生力要素とがお互いに善の目的のための授受作用をするようになる。

ところで、生霊要素と生力要素とは各々性相的なものと形状的なものとの関係をもっている。
霊人体はどこまでも、地上の肉身生活においてのみ完成できるのである。

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今日も、ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
たくさんの幸せを祈ります。
ありがとうございます。
神様と真の父母様に感謝します。


2016年4月19日火曜日

神様は私と共に生きようとされる。

神様と真の父母様に感謝します。

神様は私と共に生きようとされる。
神様は生きておられ、私と共に活動する。
よって、私にできないことは何もない。 
(85/02/25)

生きて働かれる天の心情と事情を知らず、
天の願いを知らないのが堕落である。
生きて働かれながら我々と因縁を結ばんとする天の心情!
未来の我々と共に栄光を亨受せんとする天の願い!
それらを失ったことが堕落なのである。 
(59/04/19)