私が、真のお母様のみ言を訓読して感じたみ言のポイントは、『堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。』
『私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。
したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。』と言うみ言が、印象に残りポイントだと感じました。
したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。』と言うみ言が、印象に残りポイントだと感じました。
みなさんは、どのように感じるでしょうか?
(このブログ内のみ言は、全文では、ありません。)
平和経のp153~
12,平和の根源は神様
2002/8/10 (真のお母様)
12,平和の根源は神様
2002/8/10 (真のお母様)
『私は、夫である文鮮明総裁と共に、神様のメッセージを伝えることに生涯を捧げてきました。そして、その予言的なメッセージの数々は、時代と環境の現実的な制約を超え、事実であり、真理であることが証明されてきました。
私は、きょうもこのように天のメッセージをもって皆様の前に出ました。信じるか信じないかは皆様に任せられていますが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に、神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。』
『本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。
しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。
堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。
真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念をもつことができず。真の愛が何であるか分からなくなってしまいました。
幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。
自由と平和を謳歌し、ひいては、創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。
サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真の家庭と真の兄弟を蹂躙し、真の氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。
それだけでしょうか。今まで、六千年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。
このように、堕落はこの地上に罪悪の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、罪悪がこの地上に植えつけられたその日から、人間が身を置く所々に、平和ではなく闘いの歴史路程を経てくるようになったのです。
個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な闘いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いへと拡大され、今日、世界のどこを見ても、争いのない所がないという歴史を綴ってきたことを私たちは知らなければなりません。
これらはすべて人間堕落の結果なのです。…』
『それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で言うと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。』
『全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。…
…仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。いくら良い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和世界を樹立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになる心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は、自分自身とは何の関係もなくなるのです。』
『堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くためには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を探し出さなければなりません。
そうでなければ、平和の根源は発見できず、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。』
『私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。
したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。
世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させるところにあるのです。…
私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するには、私たちに真の父母が必要です。
選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を除去してくれる真の父母に会わなければなりません。
真の父母に会って真の愛の真理を受け継ぎ、ために生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。』
『本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。
心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているのです。
心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。
どのような人でも正しい心をもつようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したいと思うのです。
私たちの心と体が闘うことなく真の統一の起源を形成できる可能性をもっているのは、人間が神様に似た子女だからです。
絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。
神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。
神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、理論的にも可能な説明です。
ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。』
『皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。
残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。
ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上・天上天国が連結されるのです。』
『霊界のメッセージと忠告…』が最後に語られています。
私は、きょうもこのように天のメッセージをもって皆様の前に出ました。信じるか信じないかは皆様に任せられていますが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に、神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。』
『本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。
しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。
堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。
真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念をもつことができず。真の愛が何であるか分からなくなってしまいました。
幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。
自由と平和を謳歌し、ひいては、創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。
サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真の家庭と真の兄弟を蹂躙し、真の氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。
それだけでしょうか。今まで、六千年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。
このように、堕落はこの地上に罪悪の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、罪悪がこの地上に植えつけられたその日から、人間が身を置く所々に、平和ではなく闘いの歴史路程を経てくるようになったのです。
個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な闘いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いへと拡大され、今日、世界のどこを見ても、争いのない所がないという歴史を綴ってきたことを私たちは知らなければなりません。
これらはすべて人間堕落の結果なのです。…』
『それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で言うと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。』
『全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。…
…仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。いくら良い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和世界を樹立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになる心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は、自分自身とは何の関係もなくなるのです。』
『堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くためには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を探し出さなければなりません。
そうでなければ、平和の根源は発見できず、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。』
『私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。
したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。
世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させるところにあるのです。…
私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するには、私たちに真の父母が必要です。
選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を除去してくれる真の父母に会わなければなりません。
真の父母に会って真の愛の真理を受け継ぎ、ために生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。』
『本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。
心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているのです。
心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。
どのような人でも正しい心をもつようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したいと思うのです。
私たちの心と体が闘うことなく真の統一の起源を形成できる可能性をもっているのは、人間が神様に似た子女だからです。
絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。
神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。
神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、理論的にも可能な説明です。
ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。』
『皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。
残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。
ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上・天上天国が連結されるのです。』
『霊界のメッセージと忠告…』が最後に語られています。
ブログ訪問ありがとうございます。
お母様のみ言をとうして、新しく感じた世界、深く理解できた内容に感謝します。
み言は、私のみ言を求める意識によって、理解できる内容も変わると言われています。(感謝します。)
天の導きに感謝します。
天運・天福ありがとうございます。
真の愛と心情の本体であり、エネルギーの本体である神様に感謝の波動を送ります。
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