2020年5月15日金曜日

「天国と地獄は自らが選択する」人間の生と霊魂の世界より

第二章 霊界はどのような所か  
ニ 天国と地獄
6.天国と地獄は自らが選択する   
 天国へ行くか、地獄へ行くかは自分自身が決定するのです。レバレンド・ムーンが決定するのでなく、神様が決定するのではなく、自分が決定するのです。不平を言えば地獄であり、不平を言いたい時に感謝していけば天国だというのです。(96-1221978.1.2)

2020年5月10日日曜日

「霊界に行けば、神様は愛の本体であるので、光と熱で現れるのです。」人間の生と霊魂の世界より

第二章 霊界はどのような所か  
一 霊界の実相と法度   
1.霊界は時空を超越した無限の世界 

 霊界がどれぐらい広大無辺な世界か知っていますか。今日、この宇宙だけで見てもそうです。220億光年以上になる宇宙です。これがどれほど大きいかといえば、光が1秒間に3億メートル、1秒間に地球を7回り半回れる速度で1年間進む距離を1光年と言いますが、それが220億年かかるというのです。200日ではありません。ですから、宇宙がどれほど大きいでしょうか。それがすべて私たちの活動舞台だというのです。(206-831990.10.3)

 愛は熱に例えて表現されます。熱に例えるでしょう。「胸が熱い」と言うでしょう。霊界に行けば、神様は愛の本体であるので、光と熱で現れるのです。
 霊眼で見れば、皆さんの愛の光がどれだけ出るか、どんな光が出るか、まだらな光が出るか、虹の光が出るかということがみな分かるようになっているのです。家庭が一つになって光る星にならなければなりません。星たちもすべて衛星のようになっていて、星を率いる星もあるのです。太陽のようにです。(303-421999.7.4)
             
 神様が創造する時、最も好きな色を先につくったのでしょうか、最も嫌う色を先につくったのでしょうか。それなら、早春に咲く花の色は何色でしょうか。紫色です。紫色は赤色も入っていて、ピンクも入っていて、それから何色が入っているでしょうか。すべて入っているのです。紫色が好きでしょう。ですから高尚な物は、すべて紫色です。あの世に行ってみれば、最も良い色は紫色なのです。(197-491990.1.7)

2020年5月9日土曜日

「神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されればすべてが同じ体になります。父母は神様に代わる生きた神様であり、夫と妻はお互いにもう片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様です。」

人間の生と霊魂の世界

第一章人生の行くべき道
四 天国に入る秘訣 

四大心情圏の愛の実体が天国に行く

 皆さん、このような話は初めて聞いたでしょう。四大心情圏と三大王権を復帰し、皇族の愛をもっていくべき祖国が天国です。死んでみれば分かります。いくら優秀な人でも、ここにすべて引っ掛かります。その時になって「文総裁の言うことを聞いていればよかった!」と後悔せず、早く決定して祝福を受けなければなりません。それが最も早い解決方法です。それとともに学ぶのです。
 男性、女性が和合し、天国の失ってしまった家庭を取り戻して、神様を王として侍らなければなりません。ですから、おじいさんは神様の代わりです。おじいさんを神様の代わりとして侍らなければなりません。自分の父母は、50億人類の家庭を中心とした王です。その息子、娘には未来の王のように侍らなければなりません。神様のように、現代家庭を代表した王のように侍る父母の道理を受け継いで、千年、万年にその道理を残していく世界が地上天国となるのです!アーメン!(239-761992.11.23)

天国は家庭単位で入る

 神様は真の愛の本体なので、真の愛と連結されればすべてが同じ体になります。父母は神様に代わる生きた神様であり、夫と妻はお互いにもう片方の神様であり、息子、娘はまた一つの小さな神様です。
 このように3代が真の愛を中心として成された家庭組織が天国の基盤です。そのような基盤を成さなくては天国が成されません。家庭というものは、宇宙の中心です。家庭完成は宇宙完成の基礎になるので、家庭で愛するように宇宙を愛すれば、どこでも無事通過です。こういう場合、神様は、全宇宙の父母として、愛の複合的な中心の位置にいらっしゃいます。(298-3061999.1.17)

 家庭天国を成す所で、初めて神様が理想とする地上天国が定着するようになるのです。これが、四位基台にならなければなりません。「統一原理」では「創造理想の完成は四位基台の完成である」と説いています。それはなぜですか。神様とアダムとエバを中心として三段階を経て、縦的世界と横的世界が生まれれば四位基台が成されるからです。アダムとエバの息子、娘がいてこそ横的な世界が生まれます。このようになれば縦的な世界が自然に生じるのです。体を中心とした体の横的基準が息子、娘であり、心の横的基準が霊界だというのです。そこで初めて神様が臨在なさることができるので、地上に天国が実現されるのです。(96-291978.1.1)

2020年5月8日金曜日

習慣性は、永遠にそのままです。そのように難しいものなのです。しかし、地上では直すことができます。今まで習慣になったことよりも、もっと新しいことを習慣化させれば地上では清算できます。今、しなければなりません。

人間の生と霊魂の世界
第一章人生の行くべき道
三 地上生活の価値   

 習慣性は、永遠にそのままです。そのように難しいものなのです。しかし、地上では直すことができます。今まで習慣になったことよりも、もっと新しいことを習慣化させれば地上では清算できます。今、しなければなりません。今、しなければ霊界に行って問題になります。霊界に行って引っ掛かってしまうのです。(2892081998.1.2)

 聖書の、「地で結べば天でも結ばれ、地で解けば天でも解かれる」という論理も、このような二重構造の一体性を知ることによって解明できるという結論が出てくるのです。今日、私たち人間は肉身をもったこの期間が本当に、どれほど貴重なのかを知らなければなりません。神様も復活させることができ、宇宙も復活させることができ、全天下を統一し得る期間は、肉身をもっているこの期間しかないという結論になるのです。
 神様と万物を合わせても、この肉身世界と取り替えることができないのです。なぜそうなのでしょうか。神様とこの宇宙を合わせても、肉身をもった人間がいなければ完成できないためです。それゆえ、今日私たち人間の体がどれほど貴重なのかを知らなければなりません。それは素晴らしいでしょう。(911911977.2.13)

 60を越えれば下野し、故郷の農村に帰って土地を耕し、霊界に行く準備しなければなりませんが、その準備が忙しいのです。ですから精誠を尽くして先生のように農村に埋もれながら、農村を指導できる、このような責任を果たさなければなりません。
 ですから、趣味産業、趣味生活をやり終えて霊界に行ってこそ、高い霊界に行くことができ、情緒的な人になって霊界の舞台を活用できる皆さんとなるのです。どうですか。(2891931998.1.2)

鹿のような獣も育ててあげ、魚も育ててあげ、それから穀物も自然と人工を交えて育て、すべて育てるというのです。それがどれほど素晴らしいでしょうか! 神様が創造したすべてのものは何であっても再生させ、それを願いながら神様を考え、自然と調和を成し、このすべてのものがお互いに助け合って生き、趣味をもって暮らしたのちに霊界に行くのです。
 このようにすることによって、都市集中の世界をすべて分散できるのです。何の話か分かりましたか。(2522101993.12.30)

「地上生活の重要さを知らなければなりません。地上生活の重要さに覚醒し、その重要さを忘れるなというのです。いつでも、千年、万年、霊界に行ってする生活に、それが反映されるのです。これはすべて種です。」人間の生と霊魂の世界より

第一章人生の行くべき道
三 地上生活の価値   
1.地上は愛の実を収める所

地上生活が絶対に重要です。地上がどれほど重要かということを知らなければなりません。キリスト教徒たちは「死んで天国に行く」と考えますが、妄想的です。地上で完成しなければならないのです。地上生活の重要さを知らなければなりません。地上生活の重要さに覚醒し、その重要さを忘れるなというのです。いつでも、千年、万年、霊界に行ってする生活に、それが反映されるのです。これはすべて種です。
ここで種を蒔いたものが天上世界で実として収められるので、完全な種をうまく蒔かなければならないということです。地上世界の重要さに、もう一度覚醒しなければなりません。(2323221992.7.10)
            
 私たちは、神様の愛によって生まれ、その愛によって生きながら、息子、娘を生んで愛の目的地に到達し、永遠に神様と共に生きるために神様のもとに帰るのです。すなわち私たちの一生というものは、愛によって始まり、愛によって成熟して、愛の実として摘み取られるのです。人が死ぬというのは、愛の実を摘み取るということです。
 私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を分かち合い、子女を愛したので、神様の愛が内的な愛の世界に蒔かれた、そのすべてを、私が一生をかけて実を結び、摘み取ってあの世に行くのです。ですから、私たちが愛で完全に一つになれば神様に似るようになります。夫婦が一つになって、このような3段階の愛を完全に成し、霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様の前に、永遠に相対的な神様になるのです。真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになるのです。ですから、神様によって始まり、神様によって締めくくるのです。(2983111999.1.17)
             
 愛の実を摘み取って倉庫に送っていたならば、天国が成され、天国の家庭と天国の国と天国の民になっていたはずですが、これが中間で腐って落ちて、すべて腐るようになったので、地獄の家庭になり、地獄の民になってしまったのです。
 そのようになったことを「堕落」と言います。落ちたというのです。私たちが堕落し、地獄に生きているというこの二つのことは、嫌でも認めなければなりません。愛の実を結んで天国の倉庫、天国に行かなければならないのに、堕落したがゆえに地獄の倉庫で腐っているというのです。(282151997.2.16)
             
 子女、兄弟、夫婦、父母がすべて一点に行って実が結ばれるのです。真の愛を中心として定着が始まるのです。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情が真の愛を中心として連結されるのです。それが焦点なのです。神様と愛で一つになることによって霊肉が完成したので、ここで父母が出てきて息子、娘を生むのです。神様が創造当時に感じたことを再び感じるようにするために、私たちに贈り物としてくれたのが息子、娘です。(2443101993.3.1)
             

2020年5月7日木曜日

「神様は絶対的です、唯一、永遠、不変なのです。それは否定する道理がないのです。そのような愛をもった人は、絶対的な幸福者であり、唯一的な幸福者であり、永遠的な幸福者であり、不変的な幸福者です。」人間の生と霊魂の世界より

第一章人生の行くべき道
二 死に対する正しい理解
6.祝福によって永生の道が開かれる 
「㋺ 愛から永生概念が出てくる」より

 神様の性稟がどういうものか、漠然としているというのです。神様は絶対的です、唯一、永遠、不変なのです。それは否定する道理がないのです。そのような愛をもった人は、絶対的な幸福者であり、唯一的な幸福者であり、永遠的な幸福者であり、不変的な幸福者です。そこに初めて永遠な自由があり、絶対的な自由があり、不変の自由、唯一の自由があるのです。そこで初めて幸福も、絶対、唯一、不変、永遠なものがあるというのです。そこに連結されてこそ、永生は自動的な結論だ、となるのです。
             *
 この宇宙は、小さなところから大きくなってきました。そして、相対をもらって無限運動をすることで生成されてきたというのです。この空間に存在する慣性により、無限に運動してきたのです。言い換えれば、その相対的基準を中心として、この太陽系であれば太陽系において備えてぴったりと成熟した立場に立ち、無限運動をするというのです。
 これと同じように、アダムとエバも愛を中心として完全に「ため」に生きる愛で一つになれば、無限運動をすることによって永遠、永生が始まるのです。直線には永遠がありません。永生圏がありません。回転するところに永遠が生じます。それゆえに、回転しながらだんだん大きくなっていくのが歴史発展の現象です。その中心は一つです。
             *
永生、私は永生します。神様を中心とした真の愛が私と連結され、神様を中心とした真の生命が私と連結され、神様を中心とした真の血統が私と連結されるのです。結論がはっきりしています。私は永生する、神様のように真の愛を中心として。神様がこのように創造されたのです。皆さんもその責任分担を果たすようになれば、皆さんは成功したということです。
             *
 神様も息をするのです。愛の呼吸をしていらっしゃるのです。神様も宇宙の拍子に合わせているために、愛を中心として宇宙が永遠に続くのです。愛に永生があるというのです。ですから、皆さんがそこまで行かなければなりません。それでこそ、神様の呼吸圏内に入っていって、さっと越えていくのです。

2020年5月6日水曜日

本来の父母だった神様の姿に似なければならないのです。

人間の生と霊魂の世界より
第一章人生の行くべき道

 皆さんの第一の父母は皆さんを生んでくれた父母ですが、第二の父母は地球です。皆さんは、体が大きくなるように、地からすべての要素の供給を受けます。地が体の第二の父母です。第二の父母を経て、第三の父母に入っていくことが死ぬことです。第三の父母の所に行く時は、そのまま入っていくのではありません。第三の父母の所に帰ろうと思えば、本来の父母だった神様の姿に似なければならないのです。

2020年5月5日火曜日

「人は何処へ行くのでしょうか。霊界に向かって行くのです。」人間の生と霊魂の世界より

第一章人生の行くべき道
②私たちはどこに進んでいるのか
 人は何処へ行くのでしょうか。霊界に向かって行くのです。霊界は海と同じです。いずれ行かなければならないのです。海にも流れがあるのと同様に、そこには造化の無双な変化があります。海には主流の流れを中心として、淡水にはない造化の存在たちがいます。海に数多くの魚族がいる様に、そこには数多くの新しい天地家庭がいます。同じです。あの世に行くようになっても同じです。(141-3061986.3.2)

2020年5月4日月曜日

「自分の性格の足りないところを埋めるためには、証を聞けというのです。これを聞いて、自分のものとして吸収するのです。補強しなければならなりません。それゆえ、多くの人の体験談を聞かなければなりません。人が言ったことを批判してはいけないというのです。」地上生活と霊界より

第七章 我々と霊人との関係
第五節 再臨復活と霊人協助
三 霊界と先祖
 自分の性格の足りないところを埋めるためには、証を聞けというのです。これを聞いて、自分のものとして吸収するのです。補強しなければならなりません。それゆえ、多くの人の体験談を聞かなければなりません。人が言ったことを批判してはいけないというのです。批判するのはサタン側になるか、天の側になるか、二つのうちの一つを決定するということを意味するのです。
  批判した時は、サタン側になるか、天の側になるか、二つのうちに一つに分かれてしまうのです。それゆえに、批判することは、自分が発展するにおいてのがんなのです。サタン側になった者が、神側に行くことができず、神側になった者が、サタン側に行くことはできないのです。我々人間生活において行くところにには、直行は絶対できません。じぐざぐに行くのです。
  先祖も善の先祖だけいるのではなく、悪い先祖たちも全部関係しています。自分自体が素性的に見るとき、善の先祖の素性をたくさんもっているときはこのように行きますが、悪の先祖の素性を受けた部分もあります。自分の人生においてそのような時が来ます。そういうときは、必ずこのようにするようになります。批判すれば大変なことになるのです。それゆえ、「判断するな」という言葉も、みなそのような道理から出てくる言葉です。(76・139,1975.2.2)

 真の愛をもてば、神様が宴会をするその場にいつでも同参することができます。時間と空間を超越するために、霊界に数千の先祖たちがいても、一目でみな見るのです。これを管理して、超越するのは、真の愛の心をもった人だけが可能なのです。
神様の相続権を受け得る特権を得ることができる道は、愛の道にだけあるのです。真の愛をもった人が、自分の体をかすめて通り過ぎても、全部喜ぶのであって、反抗しないのです。全部が歓迎するのです。あの世がそのようになっているために、ここでそのような訓練を受けなければならないのです。
 先生がこのようなことを教えてあげるのは、天の世界に行くことができる人、天の世界で呼吸することができ、拍子を合わせることができる人をつくるためです。それでこそ踊りを踊る場で、踊れるのです。そうでなくては、拍子が合わないのです。先生ももう霊界に行くべきではないですか。先生の後ろには、サタンがついて来れないのです。(147・116,1986.8.31)

2020年5月3日日曜日

み言『堕落とは何かというと、み言と実体と心情の因縁が離れていったのです。 ですから、皆さんがみ言を知って、み言を実践しなければなりません。 み言を実践するには、父母の心情を備えて動いていかなければなりません。 蕩減復帰をすることができる実体的な行動を経た者となって、初めて祝福してあげることができます。』地上生活と霊界より

第六章 我々と霊界入籍
第三節 霊界入籍

 四 入籍の条件
   堕落とは何かというと、み言と実体と心情の因縁が離れていったのです。
ですから、皆さんがみ言を知って、み言を実践しなければなりません。
み言を実践するには、父母の心情を備えて動いていかなければなりません。
蕩減復帰をすることができる実体的な行動を経た者となって、初めて祝福してあげることができます。
口先だけではいけません。
こうして、天の一族、言い換えれば、この国の生命体になるのです。
  我々の生命現象において、霊形体と生命体と生霊体があります。これらは霊界の反応的な現象なので、この世で霊形体、生命体、生霊体と同様の因縁を経るのです。
生霊体になればそこに入籍して、自分の位置を見つけて入るのが復帰の路程です。ですから今からは、皆さんが入籍するのです。
 もしそのようにつながって入籍される場合には、皆さんがいくら過って、いくら失敗をしたとしても、サタン世界で立てた法をもっては、処理できないようになります。アメリカ人たちを韓国の国法をもって処理することができますか。国籍が違うからできません。  そのような圏内に入れば、その圏内の法だけが適用されるようになります。ですから、サタン世界の法は、いったん越えさえすれば、いくらどのようにしても適用されないのです。
サタン世界の法が適用されないのですから、結局はこの世の法をもってしてはいけないということです。
ですから、地獄には行かないようになるのです。
  人は一度生まれたなら、一度は死ななければならないのです。
それは公式です。では、死んでからどこに行くのですか。
統一教会員は、霊人体があるということを知っています。その霊人体は、育たなければならないのです。
  これから、皆さんに問題となることとは何かというと、時が来れば、全体が自分の自叙伝を書かなければならないのです。
統一教会に入ってきて何をしたか、その記録の内容が何かというのです。ここにおいて、どこかの会社に就職して生活したといった内容は、何の条件にもならないのです。
かえって、統一教会に入って会社にいたという事実は、恥ずかしいことです。今に、そういう時が来ます。
  これから、入籍が始まります。南北が統一されれば、入籍をしなければなりません。宗族的メシヤという言葉が問題なのではありません。その内容と事実が問題なのです。そのようなすべてのみ言の内容が、今後自分が永遠の道を行くための蕩減条件になるのです。
あの世に行って、皆さんがその道を行くために、心で体恤しながらどれほど努力したか、努力だけでなく実績をどれほど残したかということが問題になるのです。
  救いの道というものは、今まで生きてきた、そのままの習慣的生活を通じて得ることができるものではありません。
完全に蕩減の道を行かなければならないのです。救いの摂理は、復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。それゆえ、再創造されるためには、堕落する前と同様に、本然の位置、ゼロの位置に帰らなければならないのです。
 そこには、意識もなく、習慣もなく、金氏とか李氏とか、自分の姓もないのです。
そのようなゼロの位置に帰らなければなりません。天の創造本然の基準から見ると、造られたすべての万物は、ゼロから出発したのです。
  ところで、人間が堕落することによって、天国に行く途中、その道に反することが人間世界にあふれているのです。これを切ってしまわなければなりません。
それは言葉ではできません。すべての民族が、サタンの愛を中心として、サタンの生命、サタンの血統と因縁を結んで歩んできた歴史的文化背景の中で、習慣性、あるいは風習が混在しているために、これはそのままでは除去されないのです。
  聖書は、「死なんとする者は生きん」と言いました。歴史的な論理がそれで成立するのです。死のうとしてこそ生きるのです。
自分の生命を投入しなければならないのです。それで、このすべてを洗濯すべきです。
言い換えれば、蕩減して、復帰しなければならないのです。そのような過程が、絶対に必要なのです。
  堕落世界で所有していた習慣性とか、罪悪性が残っている限り、神様と関係を結ぶことはできないのです。(二一三│九七)

2020年5月2日土曜日

『必ず段階的期間が必要です。それゆえ、準備時代、実践時代、成就時代があるのです。  自分の生涯を、時期に合わせて計画し実践していかなければなりません。準備時代には、あらゆる精誠を尽くして準備し、実践時代には、あらゆる精誠を尽くして実践し、成就時代には、あらゆる精誠を尽くして成就しなければなりません。』地上生活と霊界より

第六章 我々と霊界入籍
第三節 霊界入籍

二 霊界に行くときもっていく贈り物
『いくら殺人強盗だとしても、証拠物がないときは、判事でもどうすることもできません。強盗が、「私が殺人をしたのをいつ見たか」と立ち上がれば、どうしようもないのです。しかし、証拠を突き付ければ、微動だにできません。証拠がなければ、証拠を探さなければなりません。賛美歌に「イエス、イエス、信じることは、もらった証拠が多い」という句があります。皆さんは、もらった証拠がありますか。もらったと威張って伝道に出るものの、そのようなものが証拠だと思いますか。そのような証拠をもって何をしますか。伝道して残った人もいなければ、何の関係もないということです。
 皆さんは、天国に行くときに贈り物としてもって行く物がありますか。霊界に行けば、殉教した功臣たちが前にずらりと並んでいるのに、彼らの前に皆さんがもって行ったふろしきを開いて見せることができるでしょうか。大した物でもないのに開いて見せることができるでしょうか。皆さんがどのような苦労をしましたか。それぐらいの苦労をしただけで、どうして国のため、世界のためだと言えるでしょうか。「苦労をするにはしましたが、私は苦労したと思いません」と、それでこそ当然なのです。まだ行くべき道が残っています。霊界に行ってふろしきを解いて、「これは一生の間私が用意した贈り物ですので、お受け取りくださいませ」と言えなければならないのです。女性たちが嫁に行く時は、荷物をしっかりと持って行きながら、天国に行く時は手ぶらで体だけ行くことができますか。
 皆さんは統一教会の信徒として、神様からどんな使命をもらった者たちですか。皆さんは、神様の精兵として、神様の息子、娘として、結婚するようになれば、その家の中の家門を受け継がなければならないのです。そうするために、皆さんは暮らすようになります。独立性を育てなければならないのです。このような高潔な使命が、皆さんにあるのです。それゆえ、先生と毎日生活できず、離れていても、また、神様がいつも皆さんに直接命令しなくても、皆さんは、神様の管理圏で使命を賦与された人たちであるということを忘れてはいけません。
 皆さんは、自身を絶対視しなければなりません。そうして、その絶対的な価値によってなされた成果が万民のものとして、後代の後孫のものとして、天上世界の宝物として、永遠に保障されるという決意をもたなければなりません。これが任命された者の責任です。その責任を果たせなければ、乞食よりもっとかわいそうです。乞食たちは時が来れば、もらってでも御飯を食べますが、責任を果たせない人は、時間に合わせて御飯も食べられないのです。
 このような責任を完遂するのに、神様が「十年間にせよ」と言ったなら、十年間、忠誠と精誠を尽くさなければなりません。歴史を輝かすことができる子女の道を、価値ある道として復帰してくる期間を、どのように短縮させますか。神様が計画した十年という期間を、七年に短縮させるためには、自分の汗が必要であり、自分の血が必要であり、自分の努力が必要であり、自分の苦労が必要なのです。その消耗の代価を通じて、量と質をそこに補充しなくては、国家的で世界的な版図を収拾することはできないのです。統一教会の信徒たちは、このような責任を負って行く人たちにならなければなりません。
 そのような時代が来たのです。既に基礎を築いて、外部工事はみな終わり、これからは装飾をする時代です。内部装飾は、主人の手が必要なため、私がいなければいけないのです。壁などは直接関係がありませんが、直接関係してくる、必要とされるすべての与件を備えるためには、必ず段階的期間が必要です。それゆえ、準備時代、実践時代、成就時代があるのです。
 自分の生涯を、時期に合わせて計画し実践していかなければなりません。準備時代には、あらゆる精誠を尽くして準備し、実践時代には、あらゆる精誠を尽くして実践し、成就時代には、あらゆる精誠を尽くして成就しなければなりません。それでこそ、内部装飾がうまくいくのです。その装飾は誰が見ても、「その精巧さにおいて、精誠を込めた度数がずば抜けている」と言われなければなりません。
 ですから、皆さんはみ旨の世界において、準備時代が来て「準備しなさい」という任命を受ければ、準備しなければいけないのです。その次には、実践時代が来ます。その時は、昼夜を問わず実践をしなければなりません。その次には成就時代が来ますが、その成就時代は希望が宿る時期なのです。(三二七一)』

2020年5月1日金曜日

み言『「統一原理」でサタン分立歴史を習ったでしょう?  何をもって分立するでしょうか。 蕩減の道を通じて分立しなければなりません。  学者も大統領も、例外ではありません。 蕩減の道は、探して行かなければなりません。 蕩減の道は、教えてもらって行く道ではありません。 自分が探して行かなければなりません。 これをしないと、地獄に行くのです。』地上生活と霊界より

第六章 我々と霊界入籍
第二節 審判と公認
 二 天国に行くパスポートを準備せよ
「誰にも最後の日が来ます。
サタン世界で最後の理想世界を立てるためには、あらゆる体験をして、そこに合格しなればいけません。
 天国に行くパスポートをもたなければなりません。
パスポートをもらった個人と家庭と国家がたくさん現れなければなりません。
パスポートをもった国家があってこそ、神様が天地を任せることができるのです。
  パスポートは、サタンを追放するのです。
サタンは来れないというのです。生活の中で、サタンが関係しません。
サタンの干渉を受けないようにするには分立しなければなりません。
個人分立、家庭分立、氏族分立、民族分立、国家分立、世界分立、天宙分立までしなければなりません。
「統一原理」でサタン分立歴史を習ったでしょう?
 何をもって分立するでしょうか。
蕩減の道を通じて分立しなければなりません。
 学者も大統領も、例外ではありません。
蕩減の道は、探して行かなければなりません。
蕩減の道は、教えてもらって行く道ではありません。
自分が探して行かなければなりません。
これをしないと、地獄に行くのです。
地獄の鎖が、皆さんの目に、鼻に、考えに、みな引っ掛かっているという事実を知るべきです。これは脅迫ではありません。
堕落ということを、ひっくり返すために必要なことなのです。
  白い紙に書いてある文を消すのは、どれほど大変ですか。
サタンが書いた文字を消すのは、インクの字を消すよりも難しいのです。
それを消すには一度死んでから生き返らなければなりません。
生きているとは名ばかりで、死んでいるということを知るべきです。
これが残っている限り、サタンが、「私のものだ」と言うのです。それでイエス様は、「死なんとする者は生き、生きんとする者は死なん」と言いました。(一二九│一八三)」