2016年5月11日水曜日

戦争の動機とは何か、その根本が何かというとき、「私」なのです。

「家和万事成」という言葉があります。
「家和万事成」になろうとすれば、祖父と祖母の関係が理想的でなければなりません。
夫婦関係と兄弟関係が理想的でなければいけません。
祖父と祖母が自分たちだけで喜び、夫婦同士、あるいは兄弟同士だけで喜んではいけません。
祖父と祖母と父母、父母と息子、娘、縦横の前後左右ですべて和合してこそ、「家和(いえわして)」になるのです。
「家和」は難しいというのです。
なぜですか。
私たち個々人の体と心が争っているからだす。
三十八度線が問題ではなく、世界の戦争が問題ではありません。
戦争の動機とは何か、その根本が何かというとき、「私」なのです。
平和経、根本思想より

戦争の動機とは何か、その根本が何かというとき、「私」なのです。
私たち個々人の体と心が争っているからだす。

神様の心情と神様の目的を中心として、心と体が一つになりますように、祈ります。
真の父母様に感謝します。
ありがとうございます。

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みなさんに天の祝福がありますように!
天運・天福に感謝します。

2016年5月4日水曜日

神様の真の愛を相続するために、何が必要か?

神様・天の父母様と真の父母様に感謝します。

「神様の真の愛を相続しょう!」を考えた時に、ふと思った事があります。
どのように相続するか?…

あなたは、どのように考えますか?
一人ひとり考えは違うと思います。

私が、感じたのが、神様から、真の愛を相続するのではなく、自分から…!?
相続と言うより、実践して、感じて相続が出来るのではと、感じました。

世界家庭、2016・5(天暦3月号)の、真のお母様のみ言、タイトルが「真の父母様と一つになって真の愛を実践しましょう」 です。

このタイトルを見たとき、真の愛の相続は、真の愛の実践が大切だと感じました。

み言の内容で、気になったみ言は、「全知全能であられる神様です。初めと終わりが同じです。それならば、始めたときの目的を成さなければなれません。ところが問題は、人間の責任分担(完遂)が必要であるということです。…」

自分自身が問題になりますよね。

真の父母様と一つになる事が大切だと感じます。
みなさんは、どのように考えますか?
良い答えが、出ますように。
祈ります。

ブログ訪問ありがとうございます。

神様に感謝します。
ありがとうございます。

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みなさんの願いが叶いますように祈ります。
感謝します。



2016年5月1日日曜日

私のひとり言!「原理に帰りましょう。」と言う動画を見て…?

タイトル「原理に帰りましょう。」
動画を見ました。

原理に帰りましょうと言う考え方は、一つの考え方として、あるかなと思って、動画を見ました。…

お父様や原理の事を話していますが、少し違うと感じました。

家庭連合とは、言ってなくて、別の名前を言ってました。

お父様やみ言などを言ってましたが、ポイントを少しずらした所がありました。

私たちは、神様に帰り、真の父母様に帰る。
み言の本体、実体が、真の父母様です。
私たちも、み言の実体になるためにみ言を学ぶ事は大切です。

神様と真の父母様に感謝します。
私たちの中心は、天の父母様と真の父母様です。

今回のブログのひとり言は、ここまでです。

真の父母様のみ言の動画です。
関心のある方は見て下さい。
(13分の動画です)

真の父母様御来日歓迎東日本千名集会でのみ言です。

神様の導きに感謝します。
ありがとうございます。

2016年4月29日金曜日

2016年4月21日木曜日

内的形状は本性相内の対象的部分をいうが、そのうち重要なものは観念、概念、原則、数理である。

統一思想、内的形状より

内的形状は本性相内の対象的部分をいうが、それはいくつかの形の要素から成り立っている。そのうち重要なものは観念、概念、原則、数理である。

① 観 念
観念は性相の中にある被造物一つ一つの具体的な表象、すなわち映像をいう。
人間は経験を通じて客観世界の事物一つ一つの具体的な姿を心の中に映像としてもっているが、その映像がまさに観念である。人間の場合は経験を通じて観念を得るが、神は絶対者であるために本来から無数の観念をもっていたと見るのである。

② 概 念
概念は抽象的な映像、すなわち一群の観念に共通的に含まれた要素を映像化したものをいう。例えば犬、鶏、牛、馬、豚などの観念において、共通の要素は「感覚をもって運動する性質」であるが、これを映像化させれば「動物」という抽象的な形を得るようになる。
それが概念である。概念には種概念と類概念がある。

③ 原 則
原則は被造世界の自然法則および規範(価値法則)の根本原因となる法則であって、数多くの自然法則と規範は、この原則がそれぞれの自然現象と人間生活を通じて現れる表現形態なのである。
あたかも植物において、一粒の種が発芽して幹と枝が伸び、数多くの葉が繁るように、一つの原則から数多くの法則(自然法則と規範)が現れるようになったと見るのである。

④ 数 理
数理は数的原理という意味であって、自然界の数的現象の究極的原因をいう。
すなわち内的形状の中には数的現象の根源となる無数の数、数値、計算法などが観念として含まれているのであり、それが数理である。
ピタゴラスが「万物の根本は数である」というときの数の概念、また量子力学の大成に貢献したイギリスの物理学者のディラックが「神は高度の数学者であり、宇宙を構成する時、極めて高級な数学を使用した」というときの数の概念は、すべて内的形状の数理に該当するということができる。

感謝します。
神様の真の愛を相続しょう

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ありがとうございます。

2016年4月20日水曜日

数字で表現する、無形実体世界と有形実体世界の考え方。

神様と真の父母様に感謝します。

数字で表現する考え方です。
0と1で表現します。
0と1は、性相は 〔0〕形状が、〔1〕と数字を意識して読んでください。

被造世界は、神の二性性相に似た人間を標本として創造されたので、あらゆる存在は、心〔0〕と体〔1〕からなる人間の基本形に似ないものは一つもない。したがって、被造世界には、人間の体〔1〕のような有形実体世界〔1〕ばかりでなく、その主体たる人間の心〔0〕のような無形実体世界〔0〕もまたあるのである。

この有形〔1〕、無形〔0〕の二つの実体世界を総合したものを、我々は天宙と呼ぶ。

心を知らずには、その人格が分からないように、神を知らなくては、人生の根本意義を知ることはできない。
また、無形世界〔0〕がいかなるものであるかを知らなくては、有形世界〔1〕がいかなるものであるかを完全に知ることはできないのである。
それゆえに、無形世界〔0〕は主体の世界であり、有形世界〔1〕は対象の世界であって、後者は前者の影のようなものである。
有形世界〔1〕で生活した人間が肉身を脱げば、その霊人体は直ちに、無形世界〔0〕に行って永住するようになる。

 被造世界における人間の位置
第二に、神は人間を被造世界の媒介体として、また和動の中心体として創造された。
人間の肉身と霊人体が授受作用により合性一体化して、神の実体対象となるとき、有形、無形の二つの世界もまた、その人間を中心として授受作用を起こし合性一体化して、神の対象世界となる。
そうすることによって、人間は二つの世界の媒介体となり、あるいは和動の中心体となる。

第三に、神は人間を、天宙を総合した実体相として創造された。
神はのちに創造なさる人間の性相と形状の実体的な展開として、先に被造世界を創造されたのである。
したがって、霊人体の性相と形状の実体的な展開として、無形世界を創造されたので、霊人体は無形世界を総合した実体相である。
また肉身の性相と形状の実体的な展開として有形世界を創造されたので、肉身は有形世界を総合した実体相となるのである。
ゆえに、人間は天宙を総合した実体相となるので、しばしば人間を小宇宙という理由は、ここにあるのである。

肉身は肉心(主体)と肉体(対象)の二性性相からなっている。肉心とは肉体をして生存と繁殖と保護などのための生理的な機能を維持できるように導いてくれる作用部分をいうのである。

霊人体は人間の肉身の主体として創造されたもので、霊感だけで感得され、神と直接通ずることができ、天使や無形世界を主管できる無形実体としての実存体である。

霊人体はその肉身と同一の様相であり、肉身を脱いだのちには無形世界(霊界)に行って永遠に生存する。
人間が永存することを念願するのは、それ自体の内に、このような永存性をもつ霊人体があるからである。

この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。
そして生心というのは、神が臨在される霊人体の中心部分をいうのである。
霊人体は神からくる生素(陽性)と肉身からくる生力要素(陰性)の二つの要素が授受作用をする中で成長する。
霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する。
それゆえに、霊人体と肉身との関係は、ちょうど実と木との関係と同じである。
生心の要求のままに肉心が呼応し、生心が指向する目的に従って、肉身が動くようになれば、肉身は霊人体から生霊要素を受けて善化され、それに従って、肉身は良い生力要素を霊人体に与えることができて、霊人体は善のための正常的な成長をするようになるのである。

生心の要求するものが何であるかを教えてくれるのが真理である。

それゆえに、人間が真理で生心が要求するものを悟り、そのとおりに実践することによって、人間の責任分担を完遂すれば、初めて生霊要素と生力要素とがお互いに善の目的のための授受作用をするようになる。

ところで、生霊要素と生力要素とは各々性相的なものと形状的なものとの関係をもっている。
霊人体はどこまでも、地上の肉身生活においてのみ完成できるのである。

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今日も、ブログ訪問ありがとうございます。
皆さんに感謝します。
たくさんの幸せを祈ります。
ありがとうございます。
神様と真の父母様に感謝します。


2016年4月19日火曜日

神様は私と共に生きようとされる。

神様と真の父母様に感謝します。

神様は私と共に生きようとされる。
神様は生きておられ、私と共に活動する。
よって、私にできないことは何もない。 
(85/02/25)

生きて働かれる天の心情と事情を知らず、
天の願いを知らないのが堕落である。
生きて働かれながら我々と因縁を結ばんとする天の心情!
未来の我々と共に栄光を亨受せんとする天の願い!
それらを失ったことが堕落なのである。 
(59/04/19)

2016年4月18日月曜日

神様・天の父母様を知ること。

天の父母様と真の父母様に感謝します。

神様は、自分と同じように、全てを創造した。
相以の創造である。

文鮮明先生のみ言より
 神様が、はっきりと分かれば、
創造原理が自然と出てくる。
「宇宙の根本は父子の関係であり、
万物は子女のための庭園である。
私の心と体はこのような関係になっていて、
神を中心とした相対基準を造成し、
四位基台を築くことができる。
それを永続的に維持していくには、
授受作用をしなければならない…」
このように自然と悟れるようになる。 
 65年 10月 7日 

「神様を知ること」を生活の標語として、どこにおいても神様を探し、発見する生活をしなさい。
 御旨の道 

神様の願いに叶う歩みが出来ますように!

天運・天福!感謝!
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ありがとうございます。
みなさんに感謝します。

2016年4月17日日曜日

真のお父様の日本語のみ言 (動画)1992年東日本千名集会でのみ言の一部分です。

真の父母様のみ言、動画です。

真の父母様御来日歓迎東日本千名集会でのみ言(2)
家庭連合の会員の方は、光言社のサイト(スマホ動画アプリ)で動画が見れます。

神様と真の父母様の導きがありますように。

ここからは、私の心のつぶやきです。
(私の思い!願い!)
私たちは、心の奥の深い所にある、神様の住む部屋に気が付き、綺麗に掃除して、いつも、神様が居ることが出来るようにしなければなりません。
邪心の住む部屋では、いけないのです。
良心が住む部屋でなければいけません。
私たちの良心が完成して、いつも神様と共にありますように!

尋ねて下さい。
神様に!
祈りながら…!
心情で感じて下さい。
真の愛の覚醒がありますように!
地上では、真のお母様を中心に、一つになりますように。
祈り、報告します。

今日は、ファンタジーの世界行きませんか?原相の世界?内なる神様の世界へ!

2014/04/15にFacebookに投稿した内容です。

私のブログに載せるみ言は、基本的に、原相の構造とシステム、神様の創造のプログラムを理解しやすくなるために、載せてます。今回は、わかりやすく解説しました。あなたは、わかりますか?

神様の真の愛を相続しょう

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ありがとうございます。

2016年4月16日土曜日

2014/04/15にFacebookに投稿した内容です。

神様・天の父母様と真の父母様に感謝します。

2014/04/15にFacebookに投稿した内容です。
昨日、Facebookをみていたら、「2年前に、こんな投稿をしてました。」と出て来ました。
その内容を、見て感じた事は、真のお母様を中心として、真の子女様全員が、早く、一つに成ることを願います。

そんな思いも込めて、Facebookの内容をシェアします。
 
 国進様のみ言思い出しながら投稿します。
(私の個人的意見、考えが、含まれてます)

『神様の真の愛を相続しよう!』
このみ言の時に、キリスト教は、
『神は愛なり』
このみ言で、伝道が爆発的に進んだと言ってました。
教会も、真の父母様や統一原理
統一教会を、わかりやすく、短くまとめ表現しないといけない。

『神様の真の愛を相続しよう!』
これは、世界の統一教会の
伝道スローガンに成っていると思います。

そして、真の父母様や統一原理
統一教会を、1分、3分、10分くらいで、わかりやすく表現出来る様にと言われたと思います。

それ以降に、統一教会や統一原理を紹介する短い動画が多く、YouTubeにアップされるようになったと思います。

今、伝道を頑張っている皆さんに多くの神様の祝福がありますように祈ります。

私も、頑張ります。

『人生の目的は、神を喜ばせること!
と同時に、神様の真の愛を相続することです。』
と考えてみました。

私たちは、
神様を喜ばせ、人々を喜ばせ、神様の真の愛を相続しよう!

第一章 創造原理
第三節創造目的
(一)被造世界を創造された目的より

『人間を中心とする被造世界が
存在する目的は、
神を喜ばせることであった。
また、すべての存在は
二重目的をもつ連体である。』

*人生の目的は、神を喜ばせること!

原理講論より
三大祝福のみ言に従って、
人間が神の国、
すなわち天国をつくって喜ぶとき、
神もそれを御覧になって、
一層喜ばれるということはいうまでもない。…
神が被造世界を創造なさった目的は、人間をはじめ、すべての被造物が、
神を中心として四位基台を完成し、
三大祝福のみ言を成就して、
天国をつくることにより、
善の目的が完成されたのをみて、
喜び、楽しまれるところにあったのである。

全体的な目的を離れて、
個体的な目的があるはずはなく、
個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。
したがって、森羅万象の被造物は、
このような二重目的によって
連帯しあっている一つの広大な
有機体なのである。
〈神様、真の父母様との関係は、縦的で、私を中心とするアベル・カイン(人間関係)は、横的で、主体と対象の関係だから、自分の周りの人も喜ばせること…〉

*人生の目的は、神を喜ばせること!と同時に、
(自分の周りの人も喜ばせること!)
そして、
神様の真の愛を相続することです。

この神様の真の愛を最初に相続された方が、人類の真の父母様です。

私たちは、
神様を喜ばせ、人々を喜ばせ、神様の真の愛を相続しよう!

皆さんに天の父母様と真の父母様の祝福がありますように祈ります。

このような感じで、2年前に投稿しました。

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天運・天福!ありがとうございます。
神様の真の愛を中心とした覚醒が出来ますように!
神様、よろしくお願いします。

ブログ!

2016年4月15日金曜日

み言の基本形を形で考える事で、み言の物差し、み言のゲージを作って下さい。授受作用は、神様の何を形にしたか?

み言を形で考える考え方は、一つの考え方です。
それよりも、今回言いたい事は、みなさん自身が、み言の物差し、み言のゲージを持つことが大切だと考えます。

統一原理、統一思想の基本は同じです。
表現方法は、違います。

み言の勉強会で、講師の方が、個人的考えを言っているのか、原理のみ言を言っているのか、判断できなければなりません。
これは、勉強会だけでなく、霊的集団の方が話す内容が、どうなのか、判断する事も出来ます。
私の話も、みなさんが、判断して下さい。
(ブログの内容を、ダメと判断しないで、ブログを読んでもらえる事を願います。)

人それぞれのみ言の勉強方法は、あると思います。
み言を学ぶテーマにより、真の父母様のみ言も、意識するみ言が変わると思います。

このブログで、みなさんの、知的好奇心をくすぐることが出来たら嬉しいです。

み言の考え方、見方を変えてます。

文章力を、上げるように意識していますが、まだです。
みなさんの、温かい心と、その心情で、何が言いたいか、感じてもらえれば嬉しいです。
わかりにくい点は、霊界からの暗号だ!と思っていただけると助かります。

前回の答え!
問題が、「授受作用は、神様の何を形で表したのでしょうか?」でした。

私は、「私なりには、二つの答えが出て来ました。」と言いましたが、一つにまとまるような気もします。

私が出した答えは、「真の愛」と「ために生きる実践です。」
「真の愛を中心にした、ために生きる実践」とまとめることも出来ると思いました。

あなたの答えは、…。

私の考え方は、四位基台が、神様の創造目的です。
四位基台の中心ポイントは、授受作用です。
授受作用が、正しく作用する事により、神様の創造目的が完成します。

神様の創造目的の中心ポイントは、真の愛とために生きる実践!と考えたからです。
(ために生きるだけでなく、ために生きる実践としたことは、私に、今足らないことは、実践する事だと感じたからです。)

必ず実践する事!
(頑張ります。)
私たちは、み言を学び、考える事は、大切な事です。

日本人は、討論や自分の意見を話したりするのが、苦手と聞きます。
私も、苦手ですが、今後、意見を聞いたり、討論する事にもなれて行きたいです。

自分の思いを伝えて、理解してもらうことは難しいです。

みなさんに、感謝します。
ありがとうございます。
神様と真の父母様に感謝します。
神様がいつも、共にいることを感謝します。
良心が、いつも神様と授受作用して、私を導いて下さい。
よろしくお願いします。

全てのみなさんが、神様の真の愛と心情を実感出来ますように。

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天運・天福!ありがとうございます。
知的覚醒!
情的覚醒!
意的覚醒!
心霊的覚醒!
神様の真の愛を中心とした覚醒が出来ますように!
神様、よろしくお願いします。
(神様の前に、…。心情一つに!)

16/02/29のブログです。
神様(天の父母様)を知ることが大切!

2016年4月14日木曜日

授受作用は、神様の何を形で表したのでしょうか?

神様、天の父母様と真の父母様に感謝します。

今回の問題の答えは、授受作用の予定でしたが、その問題が、浮かびませんでした。
どうするか?
私なりに考え?…
 このシリーズは、み言などを形で表すとどうなるかが、テーマなので、授受作用の形は、み言などの何を形にしたのか?
この事が浮かびました。
 みなさんと一緒に考える事も良いと思いこの問題になりました。
答えは、今回のブログでは、発表しません。

私なりには、二つの答えが出て来ました。

心情かな?
そんな考えも出ましたが、…。
少し違うなと感じました。

原理講論の授受作用より
『あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。
このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。」

この問題をとうして、個人的思いとしては、授受作用とは?
授受作用とは何かを、考える機会になれば良いと感じました。

授受作用で、これって正しいのと思うことないですか?

・子供と授受作用をしていたら、喧嘩になりそうになった?

・友達と授受作用をしていたら、不平不満の話題で盛り上がった?

・悪の授受作用をしてしまった?

授受作用=話し合いではないですよね。

生活の中の会話に、み言や原理用語を使うことは良いことだと思いますが、使い方が、問題だと感じます。

私は、昔から、原理的生活(原理的…)をすると聞いていて、それを使ってました。
今でも、クセで、原理的生活(原理的…)と言ってしまいます。

これは、間違いですよね。

原理の生活または、原理生活をするが、正しい言い方ですよね。

韓国の先生が、日本人は、原理的と言う人が多いが、その言葉を使っていたら、いつまでも、原理の生活はできないと言われました。

原理的生活は、原理のような生活と言う意味になるからです。
原理の生活(原理生活)は、原理の生活をすると言うことで、原理を体得する事です。
(私も、原理的生活から、原理の生活に変えて、生活しています。意識転換しています。)

私たちは、天国人(天一国の民)に成ることが、目標だと思います。
天一国の民、神の子(神の人)に成ることだと思います。
そのために、真の父母様のみ言と統一原理、統一思想が必要であり、学ぶべき内容だと考えます。

ゴールを越えて行くことが出来ますように!

ゴールに着くことが目的ではないと思います。
(一人ひとりのゴールの考え方は、違うと思うので、…)

走る時も、ゴールまで走ると思えば、その手前で、力が抜けます。
ゴールを越えて先まで走ると思えば、手前で、力が抜ける事はありません。

私の場合は、過去の自分の堕落性、との闘いです。
(過去と言う言葉を入れてみました。…)
自分自身との闘いですよね。

課題は、それぞれに違うと思いますが、頑張りましょう。

神様がいつも、共にいることを感謝します。
ありがとうございます。
これからも、よろしくお願いします。

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天運・天福!ありがとうございます。

16/02/29のブログです。
神様(天の父母様)を知ることが大切!

2016年4月13日水曜日

四位基台の形を別名何と言うでしょうか?

神様と真の父母様に感謝します。
今回のブログで、四位基台の内容を書いた方が良いか、迷いましたが、この問題にしました。

この流れから行けば、次回の問題を皆さんは、予想できると思います。

あなたの予想が、当たり…
と私は予想しました。

(次回に、問題と答えが出ます。)

まずは、今回の問題『四位基台の形を別名何と言うでしょうか?』です。

ヒント!
四位基台は、四数の根本です。
この形を、三数的な表現をすると何と言うでしょう。

原理講論の内容は、
万有原力によって、神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。
このように分立された主体と対象が、再び万有原力により、相対基準を造成して授受作用をすれば、これらは再び、合性一体化して、神のまた一つの対象となる。
このように、神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を・・・作用と称する。
答えは、最後に!

「神自体内の二性性相が相対基準を造成して授受作用をするようになれば、その授受作用の力は繁殖作用を起こし、神を中心として二性性相の実体対象に分立される。」
この部分が、気になったのですが、…
私自身、統一原理を深く理解出来るように努力します。

ブログ訪問を感謝します。
皆さんに、神様と真の父母様の真の愛の導きがありますように。


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問題の答えは、正分合作用です。

皆さんの幸せを願い祈ります。
神様の知恵と勇気が私たちと共にありますように。
いつも私たちの心の中に、神様が共にいて下さい。
よろしくお願いします。
感謝します。

2016年4月12日火曜日

今回、テーマは、統一原理、創造原理の基本形を形で考えるの第 一回目となります。

今回のブログから、今までと違う内容も、書いていきます。
基本的に同じですが、考え方を変えて、違う角度から、原相の構造とシステム、プログラムを考えます。
(今までのように、み言を書くときもあります。)
神様と真の父母様の導きと真の愛に感謝します。

私が、考える、数字で、原相(統一原理の基本形)を考える考え方を、一人でも多くの方に理解して欲しいと思っています。
ですが、数字より、その事で、み言をより深く理解する事のほうが大切だと思います。

はじめに、数字を覚えるのではなく、統一原理の基本形を理解する事だと思います。
み言で、創造原理は、聞いていると思います。
(教会員でない方は、創造原理を知らないので、創造原理を勉強する事をすすめます。)

今回のブログシリーズのテーマは、創造原理の基本形を形で考えるです。

第一回目の今回は、神様の創造目的です。

神様の創造目的を完成した形で表すとどの様な形に成るのでしょうか?

答えは、わかると思いますが、答えは、後に書きます。

なぜ…? 形で考えるのか?
原相、神様の属性には、形の側面と性質、能力、ロゴスなどの機能的な側面があり、神様の創造で、統一原理は、設計図に例えられます。
この事は、統一原理(創造原理)を形として表す事も出来ると考えました。

ヒント!
創造目的を完成した善の根本的な…形?

原理講論には、『神の永遠なる創造目的となるのである』
『創造目的を完成した善の根本的な基台です。』

わかりましたか?

天運・天福に感謝します。
私の心(精神)が、神様を中心に 回り出す事が出来ますように、報告します。
私自身の心と体、神様と一体化できますように、神様の手となり、足となり、目となり、口となり、神様の願いをはたす事が出来ますように、導いて下さい。

答えは、『四位基台』です。

クリクリお願いします。
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(この内容は、私の個人的考えです。)

おすすめブログです。
1から4までの数字の簡単な考え方も書いてあります。
私のブログに載せるみ言は、基本的に、原相の構造とシステム、神様の創造のプログラムを理解しやすくなるために、載せてます。今回は、わかりやすく解説しました。あなたは、わかりますか?
皆さんの心に何か、届けば嬉しいです。
皆さんの幸せを祈ります。
ありがとうございます。

2016年4月11日月曜日

平和は、神様の真の愛と真理をすべての人類が共有し、個人から始まって家庭で、家庭から社会…、地球大家族社会を成すときにこそ、実現できる…「真の平和の根本原理その3」

神様と真の父母様に感謝します。
 真の愛で一つになった夫婦は地上・天上天国の出発地

夫婦の立場は神様の子女が合わさった立場であり、神様の家庭で兄弟が合わさった立場であり、夫婦が合わさった立場であり、父母が合わさった立場であることを知らなければなりません。
夫婦の立場は、四大心情圏を中心として見るとき、自分たちを完成させてくれた絶対的対象者なのです。
それゆえ夫は妻に理想的神様の息子を迎えさせる立場であり、天の兄を迎えさせる立場であり、天の夫を迎えさせる立場であり、天の父を迎えさせる立場なのです。
妻も夫にこれと同じ位置に立つようになるのです。
このような夫婦は、神様が体恤したように子女を生み、自分たちの育ってきた全体を子女を通じて実体的に体恤することによって、喜びを感じるようになるのです。
神様の愛は、絶対的なので、夫婦は別れられないのが天理原則です。
このような原則を失ってしまった堕落した人間世界を再び復帰して、本郷に帰らなければなりません。
そのようにすることによって、本「世界平和連合」が目的を達成することができるのです。
こうして家庭天国は国家天国へ、国家天国は世界天国へ、また天上天国へと完全解放し、平和の世界が展開されるでしょう。
結婚して、夫婦が真の愛で愛し合う場は、神様と人間の愛と生命と血統の根源となる王宮の場であり、理想のための地上天国、天上天国の出発地なのです。
このような真の愛によって結実した子女が、真の愛を中心として夫婦一体を完成し、神様に侍って生きる家庭となって、平和と理想の出発基地となるのであり、片側である男性と女性たちは一体となり、神様の相対として、神の理想愛を完成させるようになるのです。
すなわち真の愛を中心として、神様は人間を無限に価値ある者として完成させるので、神様も真の愛の完成を見ることができるのです。
そして、永遠の理想愛が宿る神様の創造理想である家庭理想を立て、理想世界を完成しようとするのです。
神様とアダム家庭を中心として見れば、神様は一代先祖、アダムは二代先祖、アダムの子女は三代先祖の立場を形成していたことでしょう。
神様はおじいさんの立場であり、アダムは父母の立場であり、アダムの子女は息子、娘の立場なのです。
三代が一つの家庭で定着するので、おじいさんは天上天国の神様を身代わりし、天上世界にいる王と女王の立場であり、父母は現在の地上天国を代表した家庭の王と王女の立場であり、子女は未来を代表する天上天国と地上天国を相続する王子、王女の立場なのです。
このようにアダム一族は、神様を中心とした王族となって生きたのち、永遠の世界へ移って生きるようになっていたのです。これが人間が成就しなければならない目的なのです。
家庭を中心として見るとき、祖父母は過去を代表した天の国の王と女王の立場にあるので、神様のように侍り、父母は現在の全世界の家庭を代表した王と女王のように侍り、子女は未来の王子、王女のように愛して生きたのち、永遠の天国に入るのです。そこにおいてのみ永遠の人間の欲望と自由、希望、幸福の完成を見るのです。

世界平和を成就する道

尊敬する各国の代表の皆様! 皆様は生涯の重要な時期を国家の発展と世界平和のために渾身の力を尽くして努力された方々です。
皆様のそのような献身的苦労によって、今日人類は過去よりずっと進歩した環境と与件で生きるようになりましたが、いまだに私たち人類すべてが待ち望む自由と平和の理想世界は実現しておらず、今この時間にも民族、人種、宗教間の藤と対立によって世界の至る所で多くの人が飢餓や苦痛を受け、死に続けているのです。
私は宗教指導者として早くから神様の召命を受け、人類を戦争と罪悪から救い、平和世界を定着させなければならないという一念で生涯を生きてきました。
きょう私が皆様に初めにお話ししたことは、このような私の召命から出てきた平和に対する所信と哲学的な頭翼思想の一端です。
世界平和は権力志向の政治的イデオロギーによってとか、その他の物理的力の論理では、決して実現できないというのが、神主義と頭翼思想の観点です。
平和は、神様の真の愛と真理をすべての人類が共有し、個人から始まって家庭で、家庭から社会、国家、世界が共に実践することによって兄弟姉妹であることを悟り、地球大家族社会を成すときにこそ、実現できるということをはっきりと悟らなければなりません。
このような観点から、「世界平和連合」の創設目的は、神様を中心とした個人の心身統一と夫婦を中心とした家庭から本当の平和の教育と実践が成されることによって、社会と国家、世界の平和を具現しようというところにあります。
私たちはみな家庭天国を完成し、ひいては世界平和の主役になることを願うものです。神様の祝福が皆様と共にあらんことを祈願いたします。
ありがとうございました。
ブログ訪問ありがとうございます。
天運・天福、真理の力と愛の光に感謝します。

すべてに感謝です。
神様と真の父母様ありがとうございます。

2016年4月10日日曜日

私のブログに載せるみ言は、基本的に、原相の構造とシステム、神様の創造のプログラムを理解しやすくなるために、載せてます。今回は、わかりやすく解説しました。あなたは、わかりますか?

天の父母様と真の父母様に感謝します。
今回のブログ内容は、以前の予告と違う内容になります。(次回書きます。)
タイトルの内容について書きますので、みなさんに、関心を持ってもらえたら嬉しいです。

私のブログ内容は、基本的に、統一思想の原相論を中心、原相の内容、原相の構造とシステムを理解して欲しいと願い書いてます。
また、私の理解している内容を中心に、書くことで、新しく理解出来ることや、コメントなどで、理解不足に気が付く事があります。

神様の設計図やプログラムは、統一原理、統一思想ですので、原相の内容と構造、そのシステムは、統一原理、統一思想、そして、真の父母様のみ言です。
それ以外は、間違いの部分です。
(間違えにきずいたら、訂正します。)

原相の構造とシステム、神様の創造のプログラムと表現する事で、今までより、統一原理を詳しく理解出来たり、深く悟る事が出来ると信じています。
(教会員の中には、似たような話しをしている方がいるかも知れません、いれば、話を聞きたいです。)

私のブログに載せるみ言は、基本的に、原相の構造とシステム、神様の創造のプログラムを理解しやすくなるために、載せてますので、ブログのみ言、訓練の時、意識してもらえたら嬉しいです。

神様の被造世界(天宙)の創造は、基本的プログラムがあります。
それを理解する事で、見えてくる世界もあると考えます。

前回、前々回と書いたブログ(ブログの最後にタイトルが書いてあります、タップすると、リンクします。)
『真の平和の根本原理』ですが、この中に、キーワードとなるみ言が、たくさん出てきます。
(真の平和の根本原理は、平和経に載ってますが、ブログのみ言は、それ以前のみ言で、平和経の訳と少し違いがありますが、平和経を持っている方は、平和経P96~確認して下さい。)

『争う世界の始発点は、個々人である男と女の二人です。
ですから、全世界の複雑な問題も、争っている心身の統一と男女問題のこの二つさえ解決すれば、解決を見ることでしょう。』
『人間は堕落によって心身が分裂し、男女の紛争が起こり、神様を失ってしまいました。』

このみ言から、人間は堕落によって、神様の本来の状態ではない、システム異常になっている事がわかります。

『心が本来プラスの立場にありましたが、体がもう一つのプラス的立場に立ったため、強く反発することによって心の世界を引っ張り回すのです。』
神様の本来の状態(プログラム)は、心がプラスに、体がマイナスに、つくられました。
しかし、堕落する事により、体がもう一つのプラス的立場に立ったために、葛藤などの衝突があります。
ここでも、創造のプログラムにシステム異常が起きている事がわかると思います。

次のみ言は、神様の創造の目的、創造のプログラム、などが書いてあります。
『神様もお一人では寂しいのです。
神様も相対理想を中心として天地創造をされました。
なぜならば真の愛を見いだすためです。被造世界を見るとペア・システムになっています。』

『サタンの愛は自為的であり、神様の愛は他為的愛です。正反対です。』
このみ言葉は、堕落する事で、システム異常が何か書いてあります。
堕落する事で、『サタンの愛は自為的』、自己中心、個人主義に成った。
神様の愛は他為的愛、「ために生きる愛」です。

『神様と人間は真の愛を中心として主体、対象の関係でした。神様の心の中にある無形の子女、兄弟、夫婦、父母として、真の愛の実体完成を願い、アダムとエバ二人を創造したのです。』
このみ言葉は、神様の内に、無形の子女、兄弟、夫婦、父母の創造、原相の構造を理解するヒントになると思います。

『それゆえアダム・エバ夫婦は、神様が一番愛する実体対象である第二の先祖であり、第二の創造主の立場に立ったので、神様が第一創造主として感じる全体を相続し、子女、兄弟、夫婦、父母の立場を神様の代わりに喜びを感じるのです。第一創造主の立場を体恤するための子女の繁殖が第二創造主としての喜びなのです。ここで神様は第一創造主であり、アダム・エバは第二創造主、アダムとエバの子女は第三創造主の立場になります。第一、第二、第三創造主、すなわち神様、アダム、エバ、子女は四位基台を中心とした公式的な範疇となり、すべての人類が従わざるを得ない存在の根本原則となるのです。』

『私たちも神様のように実体の四大心情圏を体恤する者のみが、地上・天上天国どこでも一つになることができます。そのような理想的人間になるために、家庭を願うようになるのです。』
ここに書いたみ言以外にも、大切なみ言はあります。
(一人ひとり、感じるみ言は、違うと思いますが、今まで以上に、み言を深く理解する事が出来れば良いと感じます。)

原相の構造とシステム、神様の創造のプログラム、設計図(創造原理)の基本形を数字で、考えてみます。

初めに、原理講論の四位基台 のみ言より
『四位基台は四数の根本であり、またそれは、三対象目的を完成した結果であるので、三数の根本でもある。
四位基台は正分合作用によって、神、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となるのである。
四位基台は、その各位を中心として、各々三対象となるので、これらを総合すれば十二対象となる。
ゆえに、十二数の根本ともなるのである。また、四位基台は、創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。
したがって、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。』

基本形の数字は、1から4までの数字で考えます。
1数は、神様の数字です。
でも、『神様も相対理想を中心として天地創造をされました。』とお父様のみ言が有るように、1では、存在が出来ません。
神様は、0、1の神様と意識します。
神様は、1で表現される、形の側面と0で表現される、性質、性稟、能力などの機能的な側面があります。
1、前者を「神相」といい、0、後者を「神性』という。(統一思想の内容です。)
0、1は、性相と形状と考える事も出来ます。
この時は、属性としての、陽陰がありますから、0±、1±、と考える事も出来ます。

2数は、『被造世界を見るとペア・システムになっている』とみ言にあるように、2の意味合いは、広いです。
主体と対象、二重目的や二段構造など…

3数は、完成数、4数は、四位基台で表されるます。
3数の根本と4数の根本は、四位基台から、二つの数の根本が、また、12数の根本にもなっていきます。

なぜ数字を意識するか?
み言が、わかりにくいとき、数字に置き換えると、理解できる事があります。

原相の構造とシステム、創造のプログラム(創造原理)を理解することで、システム異常、堕落の状態、(堕落論の一部分)も説明出来ます。
この内容は、統一原理の一部分であり、原相を中心に考える生活原理です。
この内容は、統一原理の基本の部分を深く理解する事が出来ると考えています。
(個人的感想、考えです。)
ブログ訪問ありがとうございます。

皆さんに、読んで欲しいブログを紹介します。(以前読まれた方も、読んでください。)
タイトルが、ファンタジーとありますが、「神様の心情の世界」「神様の想い」を考えて読んでもらえば、新しく感じる世界があります。

今日は、ファンタジーの世界行きませんか?原相の世界?内なる神様の世界へ!
神様の真の愛を相続しょう

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ありがとうございます。

『真の平和の根本原理』を書いたブログです。
1【良心の命令に絶対服従するところでのみ、「本然の自己」を取り戻すことができるのです。『真の平和の根本原理・その1』

2【体が自分勝手に心を引っ張り回すのは、堕落した愛の力が堕落するときの良心の力より強いからです。 しかし良心が完成に到達し、神様と真の愛の関係を結んだなら、いかなることも問題になりません。 『真の平和の根本原理その2』

3【平和は、神様の真の愛と真理をすべての人類が共有し、個人から始まって家庭で、家庭から社会…、地球大家族社会を成すときにこそ、実現できる…「真の平和の根本原理その3」

天の父母様と真の父母様の導きがありますように!
天運・天福に感謝します。
(み言と神霊に導かれますように祈ります。)

真の愛の道は、感謝の道
アージュ!

2016年4月9日土曜日

体が自分勝手に心を引っ張り回すのは、堕落した愛の力が堕落するときの良心の力より強いからです。 しかし良心が完成に到達し、神様と真の愛の関係を結んだなら、いかなることも問題になりません。 『真の平和の根本原理その2』

神様は私たちの父母の中の父母であり、師の中の師であり、主人の中の主人なのです。
これが天地を中心とした三大主体思想です。
私たちの良心のみが主体思想を達成する対象の立場で絶対一体とならなければならないので、良心の位置は、私たちを生んでくれた親より、師より、いかなる国の王より優る立場に立たなければ、神様の愛の対象の立場に立てないのです。良心は教育が必要ありません。
神様の代わりに絶対に仕えなければなりません。
良心は私がすることを知らないことがありません。
全部知っています。
良心は体が悪いことをしようとするとき、いつも反対しますが、体が自分勝手に心を引っ張り回すのは、堕落した愛の力が堕落するときの良心の力より強いからです。
しかし良心が完成に到達し、神様と真の愛の関係を結んだなら、いかなることも問題になりません。
エデンの園においてアダム家庭は、神様が理想とされる真の愛の家庭でした。
見えない無形の存在全体を表すための創造だったのです。
神様と人間は真の愛を中心として主体、対象の関係でした。神様の心の中にある無形の子女、兄弟、夫婦、父母として、真の愛の実体完成を願い、アダムとエバ二人を創造したのです。
神様は実体として子女の真の愛の完成を願い、実体家庭の兄弟として、実体の夫婦として、実体の父母として、神様の真の愛の対象の完成を願われたからです。
父子関係の真の愛は縦的であり、夫婦の真の愛の関係は横的であり、兄弟の真の愛は前後の立場で、球形の真の愛の理想を願われたのです。
すなわち一つの中心点で統一は成されるのです。その点が球形体の中心点なのです。
いつ四大心情圏である子女、兄弟、夫婦、父母が一体を完成するのかといえば、神様を中心として人間が結婚し、初愛を結ぶ場がすべての完成の結実点であり、中心となるのです。
ですから結婚は天地人の合徳であり、縦横、左右、前後全体を完成するものです。
結婚は真の子女、兄弟、夫婦、父母理想の真の愛の完成地なのです。
それゆえアダム・エバ夫婦は、神様が一番愛する実体対象である第二の先祖であり、第二の創造主の立場に立ったので、神様が第一創造主として感じる全体を相続し、子女、兄弟、夫婦、父母の立場を神様の代わりに喜びを感じるのです。
第一創造主の立場を体恤するための子女の繁殖が第二創造主としての喜びなのです。
ここで神様は第一創造主であり、アダム・エバは第二創造主、アダムとエバの子女は第三創造主の立場になります。第一、第二、第三創造主、すなわち神様、アダム、エバ、子女は四位基台を中心とした公式的な範疇となり、すべての人類が従わざるを得ない存在の根本原則となるのです。
このようにアダムとエバを中心として見るとき、上下(父子関係)が連結されれば、左右(夫婦)、前後(兄弟)が連結され、家庭完成を見るのです。
この場は神様を求め個々人の心身が統一された場であり、男と女が統一され、神様を中心として安着することのできる神様とアダム・エバと子女が統一された基盤となることによって、平和と自由と幸福と希望が結集される基地となるのです。
アダム・エバをして有形実体の第二創造主の立場から実体的第三の創造主を刺激的に体恤させたのが、アダム・エバの子女繁殖なのです。
こうして代々子女、兄弟、夫婦、父母の四大心情圏を体恤させる基盤が家庭なのです。家庭はすべての真の愛を完成させる基地なのです。
そうして家庭は神人愛一体を成して、天地を所有することのできる完成の出発が可能なのです。
すなわち理想的子女、兄弟、夫婦、父母が出発した源泉地となるのです。
ここでのみ心身統一の男と女が出てくることができるのであり、また理想の男女一体を完成した夫婦を見ることができ、理想的父母の出発を見ることができるのです。
また真の家庭を中心として、子女、兄弟、夫婦、父母の完成を見ることのできるモデルが創造されるのです。
このような理想型を国家と世界を越え、天宙まで確定展開するのが、神様の創造理想なのです。したがって国家は家庭よりもっと大きい家庭型であり、世界は国家よりもっと大きい家庭型であり、天宙も世界よりもっと大きい家庭型になれるのです。

平和、幸福、自由の天宙の出発地

それゆえ家庭、国家、世界、天宙にも四大心情圏に代わる子女、兄弟、夫婦、父母型をもつことができるので、家庭より大きい国家には数多くの家庭が入るようになり、家庭は国家のために存在し、世界は数多くの国家が入っているので、国家も世界のために存在し、世界はもっと大きな天宙のために存在し、天宙はもっと大きな中心である神様のために存在しなければなりません。
ですから家庭で四大心情圏を完成した基準が、より大きく統一されれば、一体理想が実現し、その土台の上で平和と幸福と自由の天宙を迎えることができるのです。したがって心身統一と男女を中心とした家庭統一が重要なのです。
神様も成長してきたというのです。
無形の心の中に子女、兄弟、夫婦、父母を実体のアダム・エバを造り、大きくなる子女、兄弟、夫婦、父母を成して、第二の自己として体恤されることによって、真の愛の理想を完成した神様としての無限の喜びを感じられるのです。
私たち人間も神様のような喜びを感じるためのものなので、誰でもある人の子女、兄弟、夫婦、父母の立場にいるのです。
人間は誰でも四大心情圏を中心として家庭を形成するので、家庭は理想心情圏を体恤するための基地なのです。
私たちも神様のように実体の四大心情圏を体恤する者のみが、地上・天上天国どこでも一つになることができます。
そのような理想的人間になるために、家庭を願うようになるのです。
このように人間は心身統一と夫婦統一を絶対に要望するのです。
個人の心身統一ができなければ、すべての面に不合格者になります。そうすると自然に家庭統一できず、家庭で脱落、国家で脱落、世界と天宙と神様から脱落するので、神様を中心として必死に絶対に努力してこそ心身統一と家庭統一が可能なのです。
自分というものは、神様の代身者、第二の神様の立場にいることを知らなければなりません。
そうして人間は誰でもみな同じように本然の家庭を求めて、愛の住みかを復帰しなければなりません。

ありがとうございます。
みなさんに感謝します。
天運・天福、天の導きに感謝します。

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神様の真の愛を相続しょう。

2016年4月8日金曜日

良心の命令に絶対服従するところでのみ、「本然の自己」を取り戻すことができるのです。『真の平和の根本原理・その1』

神様と真の父母様に感謝します。
真の平和の根本原理』のみ言を3回に分けて気になった部分のみ言を載せます。
今回は、み言訓読ブログです。

世界的難題の解決点

全世界は争いと混乱と憎悪に満ちた罪悪世界となっています。
国家も社会も家庭も個人もそうです。
どうして世界がこのように悪くなったのかと言えば、人間個々人は歴史を通じて心と体が争ってきたからです。
この争いは歴史と共に始まり、今なお継承されているのです。
争う個人から自然に争う家庭、争う国家、争う世界となり、神様の一番嫌う悪なる地獄世界を形成しました。
争う世界の始発点は、個々人である男と女の二人です。
ですから、全世界の複雑な問題も、争っている心身の統一と男女問題のこの二つさえ解決すれば、解決を見ることでしょう。
それでは心身がなぜ分裂したのでしょうか。
男女がなぜ和動統一できなかったのでしょうか。
間違いがあったからです。
人間は堕落によって心身が分裂し、男女の紛争が起こり、神様を失ってしまいました。そして、サタンを中心とした悪なる世界になってしまいました。
したがって問題の解決点は、第一に神様を求めることであり、第二に悪なるサタンを追放することであり、第三に心身が統一された男女を探すことです。
エデンから神様はアダムとエバを追い出しました。堕落したアダムとエバは、サタンを中心として結婚し、子供を生みました。そうして人類始祖はサタンの血統を相続するようになったのです。
血統が汚されたというのです。
サタンとなった天使長は神様の姦夫の立場に立つようになりました。
天理原則によれば、愛の関係を結べば所有権が決定されるので、人間の先祖はサタンの所有となってしまったのです。
本来神様の真の愛を中心として心と体が一つになるはずでしたが、心に神様の真の愛が完成する前に、サタン側の偽りの愛が結ばれ、サタンが体に根を下ろしたのです。
そうして心が本来プラスの立場にありましたが、体がもう一つのプラス的立場に立ったため、強く反発することによって心の世界を引っ張り回すのです。
それで神様は宗教を通じて真の愛の力を心に与え、偽りの愛で一つになった体を絶対に屈服させようとされるのです。
心身が真の愛によって統一されてこそ、神様がいらっしゃるところに帰るのです。
堕落した先祖は、偽りの先祖となり、偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の偽りの個人、家庭、社会、国家、世界の地獄をつくったので、これを打破し、神様を中心とした真の父母の真の愛、真の生命、真の血統を復帰して、本然の世界へと回復するのが、宗教の道であり、救世主メシヤが来る目的なのです。

神様もお一人では寂しいのです。
神様も相対理想を中心として天地創造をされました。
なぜならば真の愛を見いだすためです。被造世界を見るとペア・システムになっています。
鉱物世界も植物世界も動物世界も人間世界も、みな主体と対象の関係になっているのは、人間の真の愛の理想のモデルを立てようとするところにあります。
真の愛ゆえに、女性は男性のために生まれたし、男性は女性のために生まれました。
世界の問題の解決は、真の愛を中心として心と体、男性と女性が一つになるために存在するところでのみ完成を見ることができるのです。真の愛は、相対のために存在するところでのみ得られるのです。
サタンの愛は自為的であり、神様の愛は他為的愛です。正反対です。
無形の神様は私たちの真の愛の理想の主体であり、私たちはその絶対的対象の立場にいるので、第二類型の神様の立場にいることを確信し、無形の神様と真の愛によって心身一体を成し、私たちの心を絶対に神様のように侍るところでのみ、堕落した体からサタン世界を追放することができるのです。
良心の命令に絶対服従するところでのみ、「本然の自己」を取り戻すことができるのです。

ありがとうございます。
みなさんに感謝します。
天運・天福がみなさんと共にありますように。

2016年4月7日木曜日

「原理内にあること」、「責任を負うこと」、「実績をあげること」は、一言で「自由とは原理内での自由である」と表現することができるのであり、結局、真の自由は法則性、必然性との統一においてのみ成立するという結論になる。

神様、天の父母様と真の父母様に感謝します。
こうして、ブログを書ける事に感謝します。
ブログ訪問のみなさんに、同じみ言でも、新しい発見やより深い内容を感じいていただければ嬉しいです。
神様の導きを感じ、共に、共感出来る内容があれば嬉しいです。

私は、原相を中心とした統一原理(創造原理)に、関心を持っています。
原相論の内容で、気になった所を書きます。

『統一思想は人類のすべての難問題を根本的に解決することによって、人類を永遠に救うために現れた思想である。
 神の属性に関する理論が原相論である。ここで「原相」とは、原因的存在である神の属性という意味である。
神の属性には形の側面と、性質、性稟、能力などの機能的な側面がある。
前者を「神相」といい、後者を「神性」という。
 神の神相と神性を共に、そして正確に理解することによってのみ、人生問題、社会問題、歴史問題、世界問題などの現実問題の根本的な解決が可能になる。
統一思想で扱う神の神相とは、二種類の二性性相(性相と形状、陽性と陰性)と個別相をいい、神の神性とは、心情、ロゴス、創造性をいう。』

 ロゴスそして自由と放縦
ロゴスと関連して自由と放縦の真の意味を明らかにする。
 今日、自由の名のもとになされている様々な秩序破壊行為と、これに伴う社会混乱に対する効果的な対策は何かということが問題になっているが、この問題を解くためには、まず自由と放縦の真の意味が明らかにされなければならない。
『原理講論』には「原理を離れた自由はない」、「責任のない自由はあり得ない」、「実績のない自由はない」と書かれている。
これを言い換えれば、自由の条件は「原理内にあること」、「責任を負うこと」、「実績をあげること」の三つになる。
ここで「原理を離れる」というのは、「原則すなわち法則を離れる」という意味であり、「責任を負う」とは、自身の責任分担の完遂を意味すると同時に、創造目的の完成を意味するのであり、「実績をあげる」とは、創造目的を完成し、善の結果をもたらすことを意味するのである。
ところで責任分担の完遂や、創造目的の完成や、善の結果をもたらすことは、すべて広い意味の原理的な行為であり、天道に従うことであり、法則(規範)に従うことなのである。
したがって自由に関する三つの要件、すなわち「原理内にあること」、「責任を負うこと」、「実績をあげること」は、一言で「自由とは原理内での自由である」と表現することができるのであり、結局、真の自由は法則性、必然性との統一においてのみ成立するという結論になる。
ここで法則とは、自然においては自然法則であり、人間生活においては価値法則(規範)である。
価値とか規範は秩序のもとにおいてのみ成立する。
それゆえ規範を無視するとか、秩序を破壊する行為は、本然の世界では決して自由ではないのである。
自由とは、厳密な意味では選択の自由であるが、その選択は理性によってなされる。
したがって、自由は理性から出発して実践に移るのである。
そのとき、自由を実践しようとする心が生まれるが、それが自由意志であり、その意志によって自由が実践されれば、その実践行為が自由行動になる。
これが『原理講論』にある自由意志、自由行動の概念の内容である。
かくして理性の自由による選択や、自由意志や、自由行動はみな恣意的なものであってはならず、必ず原理内で、すなわち法則(価値法則)の枠の中で、必然性との統一のもとでなされなければならない。
そのように自由は理性の自由であり、理性は法則との統一のもとでのみ作用するようになっている。
したがって本然の自由は理法すなわちロゴスの中でのみ成立することができ、ロゴスを離れては存立することはできない。
よく法則は自由を拘束するもののように考えられているが、それは法則と自由の原理的な意味を知らないことからくる錯覚なのである。
ところで、本然の法則や自由はみな愛の実現のためのものである。
すなわち愛の中での法則であり自由である。
真の愛は生命と喜びの源泉である。
したがって本然の世界では、喜びの中で、法則に従いながら自由に行動するのである。
それは、ロゴスが心情を土台として形成されるからである。
ロゴスを離れた恣意的な思考や恣意的な行動は似非自由であり、それはまさに放縦である。自由と放縦はその意味が全く異なる。自由は善の結果をもたらす建設的な概念であるが、放縦は悪の結果をもたらす破壊的な概念である。
そのように自由と放縦は厳密に区別されるものであるが、よく混同されたり、錯覚されている。
それは自由の真の根拠であるロゴスに関する理解がないからである。
ロゴスの意味を正しく理解すれば、自由の真の意味を知るようになり、したがって自由の名のもとでのあらゆる放縦が避けられ、ついには社会混乱の収拾も可能になるであろう。
このようにロゴスに関する理論も、現実問題解決のまた一つの基準になるのである。
(統一思想より)
ブログ訪問のみなさんありがとうございます。
ブログの内容も、ステップアップ出来るように頑張ります。
みなさんに神様の導きと祝福がありますように、祈ります。

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2016年4月6日水曜日

動物が人間と違うのは、動物には人間のような自我意識がないということである。性相と形状

神様と真の父母様に感謝します。
天の導きにより性相と形状の内容ですが、より深い内容を悟る事が出来ますように祈ります。
私たちが、言葉、知識として理解するのではなく、心情で、理解して、心情で悟り、心情をたかめて神様の心情も理解できますように祈ります。

(1) 性相と形状
神は性相と形状の二性性相をその属性としてもっているが、被造物の性相と形状と区別するために、神の性相と形状を本性相と本形状ともいう。
神と万物の関係は創造主と被造物の関係であるが、この関係を原因と結果の関係とも見ることができる。
したがって、本性相は被造物の無形的、機能的な側面の根本原因であり、本形状は被造物の有形的、質料的な側面の根本原因である。
神と人間との関係は父子の関係であり、相似の創造によって互いに似ているために、本性相は人間の心に相当し、本形状は人間の体に相当する。
ところで、この両者は分離されている別々の属性ではなくて、互いに相対的および相補的な関係で中和(調和)をなして、一つに統一されている。
『原理講論』に「神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体である」とあるのは、そのことを意味するのである。
したがって正確にいえば、神相は本性相と本形状が中和をなした状態なのである。
本体論の観点から見るとき、このような神相観は唯心論でも唯物論でもなく、唯一論または統一論である。
なぜなら唯心論は本性相だけが宇宙の根本と見る立場に相当し、唯物論は本形状だけが宇宙の根本と見る立場に相当するからである。
次に、性相と形状のそれぞれの内容について詳細に説明することにする。

1 性相(本性相)
本性相と被造物
神の性相は人間に例えると心に相当し(したがって性相は神の心である)、それがすべての被造物の無形的、機能的な側面の根本原因となっている。
すなわち人間の心、動物の本能、植物の生命、鉱物の物理化学的作用性の根本原因である。
言い換えれば、神の性相が次元を異にしながら、時間、空間の世界に展開したのが鉱物の物理化学的作用性、植物の生命、動物の本能、人間の心なのである。
創造が相似の創造であるからである。
したがってこれは、たとえ極めて低い次元であるとしても、鉱物のような無機物においても神の性相が宿っていることを意味し、植物においては、神の性相が生命の形態でより高い心的機能として現れ(最近、植物にも人間の心に反応する心的作用があることが実験を通じて知られている)、動物の段階においては、肉心(本能)の形態でさらに高い心的機能として現れることを意味する。
最近の学者たちの研究によれば、動物にも人間の場合と同様に知情意の機能、すなわち意識があることが明らかにされている(ただし動物が人間と違うのは、動物には人間のような自我意識がないということである)。
統一思想より

ありがとうございます。
全ての問題解決のカギは、統一原理を理解して、実践する事です。
自分自身で、行動の一歩踏み出して下さい。
統一原理を理解する事が、行動の第一歩です、あせらずに、頑張りましょう。
必ず、道はできる!
すでに、真の父母様が、歩まれているから、その道を、たどって行きます。
感謝の道!
一人ひとり、進む道は、違う。
一人ひとり、背負っている物が、違うから、同じ道でも、違うから、 人と比べないで下さい。
回り道と思うその道が、一番の近道かも…
神様と真の父母様を信じて頑張りましょう。
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2016年4月5日火曜日

統一原理の三大祝福(個性完成、家庭完成、主管性完成)において、個性完成(人 格完成)が家庭完成(夫婦の結合)より前に置かれた根拠は、まさにこの「陽性・ 陰性は性相・形状の属性である」という命題にあったのである。

天の父母様と真の父母様に感謝します。
「性相・形状の属性としての陽性・陰性と現実問題の解決」

陽性・陰性は性相・形状の属性であることが明らかにされたと思う。
ところで、このことがなぜ重要かといえば、それがまた現実問題解決の基準となるためである。
ここで現実問題とは男女間の問題、すなわち性道徳の退廃、夫婦間の不和、家庭破壊などの問題をいう。
    陽性・陰性が性相・形状の属性であるということは、性相・形状と陽性・陰性の関係が実体と属性との関係であることを意味する。
実体と属性において先次的に重要なのは実体である。
属性がよりどころとする根拠が実体であるからである。
実体がなくては属性は無意味である。
そのように性相・形状は陽性・陰性が「よりどころとする根拠」としての実体であり、性相・形状がなくては陽性・陰性は無意味なものになってしまうのである。
    人間において、性相・形状の問題とは、現実的には性相・形状の統一をいうのであって、 それは心と体の統一、生心と肉心の統一、すなわち人格の完成を意味する。
そして人間において、陽性と陰性の問題は現実的には男子と女子の結合を意味するのである。
ここで「人格の完成」と「男女間の結合」の関係が問題となるが、「陽性・陰性が性相・形状の 属性である」という命題に従うならば、男女は結婚する前にまず人格を完成しなければならないという論理が成立するのである。 
    
統一原理の三大祝福(個性完成、家庭完成、主管性完成)において、個性完成(人格完成)が家庭完成(夫婦の結合)より前に置かれた根拠は、まさにこの「陽性・陰性は性相・形状の属性である」という命題にあったのである。
『大学』の八条目の中の「修身、斉家、治国、平天下」において、修身を斉家より前に置いたのも、
『大学』の著者が無意識 のうちにこの命題を感知したためであると見なければならない。
    今日、男女関係に関連した各種の社会問題(性道徳の退廃、家庭の不和、離婚、家庭破壊など)が続出しているが、これらはすべて家庭完成の前に個性完成が成されなかったこと、すなわち斉家の前に修身が成されなかったことに由来しているのである。
    言い換えれば、今日、最も難しい現実問題の一つである男女問題は、男女共に家庭完成の前に(結婚前に)人格を完成することによって、つまり斉家する前に修身することによって、 初めて解決することができるのである。
このように「陽性・陰性が性相・形状の属性である」という命題は、現実問題の解決のまた一つの基準となっているのである。 
(統一思想より)

私がポイントだと感じました内容は、
『統一原理の三大祝福(個性完成、家庭完成、主管性完成)において、個性完成(人格完成)が家庭完成(夫婦の結合)より前に置かれた根拠は、まさにこの「陽性・陰性は性相・形状の属性である」という命題にあったのである。』
今日、最も難しい現実問題の一つである男女問題は、男女共に家庭完成の前に(結婚前に)人格を完成することによって、つまり斉家する前に修身することによって、 初めて解決することができるのである。』

まずは、個性完成をするために、自分自身が変わる事が大切でと感じます。
私から、すべてが変わる。
変われる時を迎えている。
すべてに勝利された、真の父母様が、いるから、私たちは、勝利できます。
信じて、小さい事から、変えていきましょう。
意識転換から、私たちは、勝利します。
すべて勝利します。共に頑張りましょう。
神様の導きに感謝します。

すべての人々に神様の祝福がありますように。



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ありがとうございます。
天運・天福に感謝します。
神様、天の父母様の真の愛と心情の導きを実感出来ますように祈ります。

2016年4月4日月曜日

神は心情を中心とした原因的存在であって、創造前の神の性相と形状の属性で あ る陽性と陰性は、ただ調和的な変化を起こす可能性としてのみ存在している だけ である。

神様と真の父母様に感謝します。

今日は、統一思想の(一)神相
(2)陽性と陰性の内容を、少し考えてみます。
 陽性と陰性も二性性相である。

陽性と陰性も神の二性性相である。
しかし、同じく二性性相である性相と形状とは次元が違っている。
性相と形状は神の直接的な属性であるが、陽性と陰性は神の間接的な属性であり、直接的には性相と形状の属性である。
すなわち陽性と陰性は、性相の属性 であると同時に形状の属性である。
言い換えれば、神の性相も陽性と陰性を属性として もっており、神の形状も陽性と陰性を属性としてもっているのである。
陽性と陰性の二性性相は、性相と形状の二性性相と同様に中和をなしている。
『原理講論』に「神は陽性と陰性の二性性相の中和的主体であられる」とあるのは、このことを意味しているのである。
この中和の概念も、性相と形状の中和と同様に、調和、統一を意味し、創造が構想される以前には一なる状態にあったのである。
この一なる状態が創造において陽的属性と陰的属性に分化したと見るのである。…
   しかし統一思想から見るとき、陽性と陰性は性相と形状の属性であるために、被造世界において、性相と形状は個体または実体を構成しているが、陽性と陰性は実体の属性 として現れているだけである。
    例えば太陽(個体)は性相と形状の統一体であって、太陽 の光の「明るさ」が陽である。
同様に月それ自体は性相と形状から成る個体(実体)であ って、月の反射光の明るさの「淡さ」が陰なのである。…

原相において、陽性と陰性をそれぞれ本陽性と本陰性ともいう(『原理講論』四六頁)。
 原相の「本性相と本形状」および「本陽性と本陰性」に似ているのが人間の「性相と形状」 と「陽性と陰性」である。
すでに述べたように、被造世界では性相と形状は共に実体の性格をもっており、陽性と陰性は実体としての性相と形状(またはその合性体である個体) の属性となっている。

原相における性相と形状および陽性と陰性の関係を正確に知るためには、人間における実体としての性相と形状、そしてその属性としての陽性と陰性の関係を調べてみればよい。…
性相(心)の知情意の機能にもそれぞれ属性として陽性と陰性 がある。
例えば知的機能には明晰、判明などの陽的な面と、模糊、混同などの陰的な面 があり、情的機能には愉快、喜びなどの陽的な面と不快、悲しみなどの陰的な面がある。 
意的機能にも積極的、創造的などの陽的な面と、消極的、保守的などの陰的な面がある。
 そして形状(肉身)においても陽的な面(隆起部、突出部)と陰的な面(陥没部、孔穴部) があるのは言うまでもない。

ここで明らかにしておきたいのは、ここに示したのは人間の場合にのみいえることであるということである。
神は心情を中心とした原因的存在であって、創造前の神の性相と形状の属性である陽性と陰性は、ただ調和的な変化を起こす可能性としてのみ存在しているだけである。
そして創造が始まれば、その可能性としての陽性と陰性が表面化されて、 知情意の機能に調和のある変化を起こし、形状にも調和的な変化をもたらすのである。
    統一思想より(陽性と陰性の一部です)

この中で、気になった点は、タイトルにした部分です。
また、原理講論の中で『それでは、性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係をもっているのだろうか。本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。』が気になった部分です。

一人ひとり、関心のある所は違うと思います。
みなさんは、どのように考えましたか?

感想や質問、コメントなどあれば、書いて下さい。
全てに答えられませんが、できるだけ答えます。
(コメントは、すべてを公開しません。また、非公開希望の方は、非公開希望と書いて下さい。)

みなさんに感謝します。
神様と真の父母様の真の愛と心情・天運、天福に感謝します。
ありがとうございます。






2016年4月3日日曜日

平和経の中に真のお母様のみ言が、載ってます。「平和の根源は神様」を訓読し て、気になったみ言を書きます。「私たちの始祖であるアダムとエバの堕落によ り、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。」など…

神様・天の父母様と真の父母様の真の愛と心情の導きに感謝します。

私が、真のお母様のみ言を訓読して感じたみ言のポイントは、『堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。』
『私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。
したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。』と言うみ言が、印象に残りポイントだと感じました。
みなさんは、どのように感じるでしょうか?
(このブログ内のみ言は、全文では、ありません。)
 
平和経のp153~
12,平和の根源は神様
2002/8/10  (真のお母様)

『私は、夫である文鮮明総裁と共に、神様のメッセージを伝えることに生涯を捧げてきました。そして、その予言的なメッセージの数々は、時代と環境の現実的な制約を超え、事実であり、真理であることが証明されてきました。
私は、きょうもこのように天のメッセージをもって皆様の前に出ました。信じるか信じないかは皆様に任せられていますが、私は悲壮な覚悟でこのメッセージを、終末期を迎えた今日の人類に、神様に代わってお伝えします。「平和の根源は神様」と題してお話しします。』
『本来、人間はエデンの園で、神様を中心として、永遠の自由と理想と平和を享受しながら暮らすように造られました。
しかし、私たちの始祖であるアダムとエバの堕落により、そのような本然の世界が成し遂げられませんでした。
堕落したその日から、この地上には苦痛と悲しみと悲運の歴史が始まりました。
真の愛と真の理念をもって生きるべき人間が、真の理念をもつことができず。真の愛が何であるか分からなくなってしまいました。
幸福な環境で暮らすべき人間が、幸福の園を失ってしまったのです。
自由と平和を謳歌し、ひいては、創造主の前に心情で一つになった幸福のすべての要素をもって、栄光をお返しすべき人間とならなければなりませんでしたが、そのような人間になることができなかったのです。
サタンは、私たちの真の父母を蹂躙し、私たちの真の家庭と真の兄弟を蹂躙し、真の氏族、民族、国家、世界を蹂躙したのです。
それだけでしょうか。今まで、六千年の長い歳月の間、神様を苦難と逆境に追い込んだ張本人です。
このように、堕落はこの地上に罪悪の歴史を出発させ、その日からこの地は、平和の地どころか苦痛の地となり、罪悪がこの地上に植えつけられたその日から、人間が身を置く所々に、平和ではなく闘いの歴史路程を経てくるようになったのです。
個人的には心と体の葛藤として闘いが継続され、家庭においては家庭的な闘いがあり、またこの闘いは民族的な闘い、あるいは世界的な闘いへと拡大され、今日、世界のどこを見ても、争いのない所がないという歴史を綴ってきたことを私たちは知らなければなりません。
   これらはすべて人間堕落の結果なのです。…』

『それでは、何が人間をこのように悲惨な堕落の道に追いやったのでしょうか。一言で言うと、堕落とは、自己中心的自覚から始まりました。』
『全知全能の神様は、どのような作戦によって地獄のようなこの世界を平和の世界へと変えるのでしょうか。…
…仮に心情の基準を立てることができないままその世界を取り戻したとしても、それはいつか再び整理しなければなりません。いくら良い理想をもったとしても、あるいは全世界を一つにして理想的な平和世界を樹立したとしても、個々人がその世界を考え、その世界に応じ、その世界の動きによってその世界と一つになる心情の基準をもつことができなければ、いくらそれが願っていた理想世界だとしても、その世界は、自分自身とは何の関係もなくなるのです。』
『堕落が人類歴史の破綻、苦悩と失敗の歴史、戦争の歴史をもたらしたので、これを一掃してすべての根本問題を解くためには、神様のために生き、人類のために生き、すべてのもののために生きる真の愛の生活から、その根源を探し出さなければなりません。
そうでなければ、平和の根源は発見できず、平和の根源を発見できなければ平和の世界も見いだすことはできないのです。』

『私たち自身の中に堕落性が残っている限り、いくら理想を掲げ、平和を叫んでみても、そこにはいつも闘争と混乱の歴史が乱舞するでしょう。
したがって、この堕落性を根絶することなくしては、平和の道を模索できないという結論を下すようになるのです。
    世界平和の基準は、歴史時代の終末点にあるのではなく、闘っている自分の心と体を統一させるところにあるのです。…
私たち自体の中に根を下ろした堕落性を抜いてしまい、心身一体一念の境地に到達するには、私たちに真の父母が必要です。
選択の余地もなく偽りの父母から受け継いだサタンの偽りの血統を除去してくれる真の父母に会わなければなりません。
真の父母に会って真の愛の真理を受け継ぎ、ために生きる真の愛を実践する人生を生きなければなりません。』

『本然の人間は、心と体が神様の真の愛に感応しながら一体となって生きるようになっています。しかし、今日この地上の多くの人々は、心とは何であるかを知らないまま生きています。
心自体が、神様の愛を中心として安息するための、自分の人格形成の基盤だということを知らずに生きているのです。
心の中には、神様も迎え入れることのできる余裕があります。
どのような人でも正しい心をもつようになれば、万民を一度に平和の王宮に移したいと思うのです。
私たちの心と体が闘うことなく真の統一の起源を形成できる可能性をもっているのは、人間が神様に似た子女だからです。
    絶対者である神様は、自体内に矛盾や葛藤はありません。
神様は、男性性相と女性性相の中和的存在でありながながらも、男性格主体としていらっしゃるお方です。人間が心と体の二重構造になっているのと比較することができます。
神様は、自体内に、絶対的でかつ完全な統一を形成して存在していらっしゃいます。したがって、そのような万有の大王であられる神様に似た子女として創造された人間も、心と体の完全統一を形成できるというのは、理論的にも可能な説明です。
ところが人間は、堕落によって心と体が調和統一の基準を失ってしまい、葛藤と矛盾の泥沼で苦しみながら生きてきました。』
『皆様。「信じる者は、幸いである」という言葉があります。この天の真理を伝えている文総裁夫婦こそが、正にその真の父母なのです。今、人類に平和を約束できる思想体系は、文総裁の説く真の父母思想しかありません。共産主義も民主主義も失敗しました。
残るのはただ「ために生きる哲学」、すなわち永遠の生命と、真の愛を基盤にした「天父主義」だけであり、神様の対象である自分が、神様より高い価値をもった存在であると誇れる自分自身を発見することです。
ここにおいてのみ、永遠の平和世界、すなわち永生の地上・天上天国が連結されるのです。』

『霊界のメッセージと忠告…』が最後に語られています。

ブログ訪問ありがとうございます。
お母様のみ言をとうして、新しく感じた世界、深く理解できた内容に感謝します。
み言は、私のみ言を求める意識によって、理解できる内容も変わると言われています。(感謝します。)

天の導きに感謝します。

天運・天福ありがとうございます。
真の愛と心情の本体であり、エネルギーの本体である神様に感謝の波動を送ります。



2016年4月2日土曜日

人類の父母である。天のお父様・天のお母様(天の父母様)を天のお祖父様・天のお祖母様と呼んでみました。ちなみに、天の父母様と夜の神様・昼の神様は、同じ唯一絶対永遠の神様です。

天の父母様と真の父母様に感謝します。

天の父母様とは、唯一神(God)のことです。

天の父、親なる神様、いろいろな呼び方があります。
夜の神様、昼の神様も呼び方が違うだけで、神様に変わりはないと、考えます。
人に例えれば、好きな男女がいれば、恋人と言い、結婚したら、夫婦になります。
子供ができれば、父母になります。子供は、親を、お父さん、お母さんと呼びます。
また、会社の社長、課長、部長ならそれぞれの呼び方で呼ばれます。

神様も、人間を中心に見たときに、天の父母様となり、被造世界(天宙)全体から見たら、夜の神様・昼の神様になると私は、考えます。
神様の呼び方を考える時、特に夜昼の神様を考える時に、お父様が、原理と御言の内容を深く理解する時に、理解し易いように、付けて下さった名前だと思います。

お父様の御言は、語るべき内容は、全て話したと言われています。
それを、全て理解する者がまだいないこと、お父様の御言を理解して、実践する事が大切なので、早く御言を理解出来る事を願います。

今回なぜ、私が、天のお祖父様・天のお祖母様と呼んでみたか?
それは、霊的四位基台を創る為です。
    四位基台を意識していなかったので、意識して、神様・真の父母様・私(私夫婦)、原理講論に、『四位基台は正分合作用によって、神、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となるのである。』とあり、神様の位置は、祖父母にあたりますので、天のお祖父様・天のお祖母様と呼んでみました。

物事を意識する事で、私の内に、イメージが湧き、それが、具体的に成っていけば良いと思います。

今日は、こんな事を感じました。
私自身も、日々成長出来るように、さまざまな事に関心を持っていきたいです。
私の表現力や説明力なども付けていきたいと考えています。
ブログ訪問ありがとうございます。
みなさんに、天の父母様と真の父母様の心情と真の愛の導きで、
神様の真の愛を相続できますように祈ります。
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ありがとうございます。
みなさんに感謝します。




2016年4月1日金曜日

創造の法則と復帰の法則

天の父母様と真の父母様の真の愛と心情の導きに感謝します。
統一原理を広く、深く理解することは、大切な事です。
自分自身を見つめる事にもなると思います。
(変化を求め、早く結果を求める思いがあります。)
私たちは、成長するのに、それぞれの段階と期間があります。
人それぞれ、違うので、比較したりせずに、お互い頑張りましょう!

  創造の法則と復帰の法則を意識した時が有りますか?

この事を考える事により、今までと違った考え方をする、ヒントになるかもしれないです。

統一思想の第八章 歴史論 : 
二 創造の法則
人類歴史は再創造歴史であると同時に復帰歴史でもあります。
したがって歴史の変遷には創造の法則と復帰の法則が作用したのです。
創造の法則には、
①相対性の法則、②授受作用の法則、③相克の法則、④中心主管の法則、⑤三段階完成の法則、⑥六数期間の法則、⑦責任分担の法則があります。

三 復帰の法則
ここに創造の法則とは異なる別の法則が歴史に作用することになりました。
それが一連の復帰の法則です。
①蕩減の法則、②分立の法則、③四数復帰の法則、④条件的摂理の法則、⑤偽と真の先後の法則、⑥縦の横的展開の法則、⑦同時性摂理の法則があります。
(各法則の細かい説明は、今回は、載せてません。統一思想に書いてあります。)
統一思想・御言図書館サイトより確認が出来ます。

全てに感謝します。
ありがとうございます。
神様と真の父母様の祝福と天運・天福を…!
私たちに、新しい意識と神様の知恵を与えて下さい。
よろしくお願い申し上げます。

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2016年3月31日木曜日

神様の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であると表現することも で きるのです。

天の父母様と真の父母様の導きと真の愛に感謝します。

心情とはで、私が気になった事とみ言を、はじめに、紹介します。
『愛には必ず対象が必要です。特に神様の愛は抑えがたい衝動であるため、その愛の対象が絶対的に必要だったのです。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかったのです。』
私たちも、対象が必要で、全てにおいて、対象を、無意識のうちに探しているのではと思います。
勿論、本然の姿ではないので、対象が見つかっても、葛藤があったりしますが、本然の姿に近い形での対象を求めていると思います。
意識する事は大切です。
無意識でなく、意識して対象圏をつくりましょう。
(私も、意識して、努力します。)

『神様は愛の対象として人間と万物を創造されたのです。人間は神様の直接的な愛の対象として、万物は神様の間接的な愛の対象として創造されたのです。万物が神様の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であることを意味します。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神様の愛の対象でありますが、結果から見るとき、人間と万物は神様の喜びの対象なのです。』
このみ言を読んで、神様の対象に人間と万物を創造した、対象の主体に人間、対象の対象に万物を創造しました。
神様は、天宙を創造しました。無形実体世界と有形実体世界主体と対象の関係ですよね。
(神様の創造の対象の主体の無形実体世界と対象の対象有形実体世界)
無形実体世界は、神様の直接主管圏であり、有形実体世界は、神様の間接主管圏(人間をとうして万物を主管するため)
喜びにも、直接的な喜びと間接的喜びがあります。
間接的喜びは、人が喜んでいるのを見て喜ぶことです。
私が感じた事です。
感謝します。

ここから、統一思想の内容です。
全てのみなさんに神様の真の愛と心情が伝わりますように祈ります。

 神様は心情である
 神様は心情すなわち愛を通して喜ぼうとする情的な衝動をもっておられますが、そのような神様の衝動は人間の衝動とは比較にならないほど抑えがたいものだったのです。
人間は相似の法則に従って、そのような神様の心情を受け継いだので、たとえ堕落して愛を喪失したとしても、喜ぼうとする衝動はそのまま残っているのです。ゆえに、情的な衝動を抑えるのは難しいのです。
 ところで神様において、喜ぼうとする情的な衝動は、愛そうとする衝動によって支えられています。真の喜びは真の愛を通じなければ得られないためです。
したがって、愛そうとする衝動は喜ぼうとする衝動よりも強いのです。愛の衝動は愛さずにはいられない欲望を意味します。そして愛さずにはいられないということは、愛の対象をもたずにはいられないということを意味します。
 そのような愛の衝動によって喜ぼうとする衝動が誘発されます。したがって愛の衝動が一次的なものであり、喜ぼうとする衝動は実は愛そうとする衝動が表面化したものにすぎないのです。
 ゆえに神様の心情は、「限りなく愛そうとする情的な衝動」であると表現することもできるのです。
愛には必ず対象が必要です。特に神様の愛は抑えがたい衝動であるため、その愛の対象が絶対的に必要だったのです。したがって創造は必然的、不可避的であり、決して偶発的なものではなかったのです。

 宇宙創造と心情
 このように心情が動機となり、神様は愛の対象として人間と万物を創造されたのです。人間は神様の直接的な愛の対象として、万物は神様の間接的な愛の対象として創造されたのです。万物が神様の間接的な対象であるということは、直接的には万物は人間の愛の対象であることを意味します。そして創造の動機から見るとき、人間と万物は神様の愛の対象でありますが、結果から見るとき、人間と万物は神様の喜びの対象なのです。
 このように心情を動機として宇宙創造の理論(心情動機説)は創造説が正しいか生成説が正しかという一つの現実問題を解決することになるのです。そして生成説(プロティノスの流出説、ヘーゲルの絶対精神の自己展開説、ガモフのビッグバン説、儒教の天生万物説など)では、現実への罪悪や混乱などの否定的側面までも自然発生によるものとされて、その解決の道がふさがれているのですが、正しい創造説では、そのような否定的側面を根本的に除去することができるのです。

 心情と文化
 次に、「心情は神様の性相の核心である」という命題から心情と文化の関係について説明します。神様の性相は内的性相と内的形状から成っていますが、内的性相は内的形状よりもより内的なのです。そして心情は内的性相よりもさらに内的なのです。このような関係は、創造本然の人間の性相においても同じです。
 これは心情が人間の知的活動、情的活動、意的活動の原動力となることを意味します。すなわち心情は情的な衝動力であり、その衝動力が知的機能、情的機能、意的機能を絶えず刺激することによって現れる活動がまさに知的活動、情的活動、意的活動なのです。
 人間の知的活動によって、哲学、科学をはじめとする様々な学問分野が発達するようになり、情的活動によって、絵画、音楽、彫刻、建築などの芸術分野が発達するようになり、意的活動によって、宗教、倫理、道徳、教育などの規範分野が発達するようになります。
 創造本然の人間によって構成される社会においては、知情意の活動の原動力が心情であり愛であるがゆえに、学問も芸術も規範も、すべて心情が動機となり、愛の実現がその目標となります。ところで学問分野、規範分野の総和、すなわち人間の知情意の活動の成果の総和が文化なのです。したがって創造本然の文化は心情を動機とし、愛の実現を目標として成立するのであり、そのような文化は永遠に続くようになります。そのような文化を統一思想では心情文化、愛の文化、または中和文化と呼びます。
 しかしながら人間始祖の堕落によって、人類の文化は様々な否定的な側面をもつ非原理的な文化となり、興亡を繰り返しながら今日に至っています。これは人間の性相の核心である心情が利己心によって遮られ、心情の衝動力が利己心のための衝動力になってしまったからです。
 そのように混乱を重ねる今日の文化を正す道は、利己心を追放し、性相の核心の位置に心情の衝動力を再び活性化させることによって、すべての文化の領域を心情を動機として、愛の実現を目標とするように転換させることなのです。すなわち心情文化、愛の文化を創建することなのです。このことは「心情は神様の性相の核心である」という命題が、今日の危機から文化をいかに救うかというまた一つの現実問題解決の基準になることを意味するのです。

 心情と原力
 最後に心情と原力について説明されています。宇宙万物はいったん創造されたのちにも、絶えず神様から一定の力を受けています。被造物はこの力を受けて個体間においても力を授受しています。前者は縦的な力であり、後者は横的な力です。統一思想では前者を原力といい、後者を万有原力といいます。
 ところでこの原力も、実は原相内の授受作用、すなわち性相と形状の授受作用によって形成された新生体なのです。具体的に言えば、性相内の心情の衝動力と形状内の前エネルギー(Pre-Energy)との授受作用によって形成された新しい力が原力(Prime Force)なのです。その力が、万物に作用して、横的な万有原力(Universal Prime Force)として現れて、万物相互間の授受作用を起こすのです。したがって万有原力は神様の原力の延長なのです。
 万有原力が心情の衝動力と前エネルギーによって形成された原力の延長であるということは、宇宙内の万物相互間には、物理学的な力のみならず愛の力も作用していることを意味するのです。したがって人間が互いに愛し合うのは、そうしても、しんたくも良いというような、恣意的なものではなく、人間ならば誰でも従わなければならない天道なのです。
 このように「心情と原力の関係」に関する理論も、また一つの現実問題の解決の基準となることがお分かりになると思います。すなわち「人間は必ず他人を愛する必要があるのか」、「時によっては闘争(暴力)が必要な時もあるのではないか」、「敵を愛すべきか、打ち倒すべきか」というような現実問題に対する解答がこの理論の中にあることがお分かりでしょう。
統一思想より
ありがとうございます。
みなさんに神様の祝福がありますように。
感謝します。

2016年3月30日水曜日

心情とは何か?「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。統一思想より

神様と真の父母様の真の愛と心情の導きに感謝します。

私たちが歩む道は、どこから、続いているのでしょうか?
私たちの、歩みの、出発点はどこか?何なのか?
 考えながら、あなたは、何を思いますか?

人それぞれの、人生ではありますが。…
少し考える時間も、良いと思います。

心情を考える事は大切だと思い、心情について二日間に分けて、統一思想の内容を書きます。

(1)心情
 心情とは何か
 心情は神様の性相の最も核心となる部分であって、「愛を通じて喜ぼうとする情的な衝動」です。心情のそのような概念を正しく理解する助けとなるように、人間の場合を例として説明してみます。
 人間は誰でも生まれながらにして喜びを追求するようになっています。喜ぼうとしない人は一人もいないでしょう。人間は誰でも幸福を求めていますが、それがまさにその証拠なのです。そのように人間はいつも、喜びを得ようとする衝動、喜びたいという衝動をもって生きています。それにもかかわらず、今日まで大部分の人々が真の喜び、永遠の喜びを得ることができないでいることも事実なのです。
 それは人間がたいてい、金銭や権力、地位や学識の中に喜びを探そうとするからなのです。それでは真の喜び、永遠の喜びはいかにして得られるのでしょうか。それは愛(真の愛)の生活を通じてのみ得られるのです。愛の生活とは、他人のために生きる愛他的な奉仕生活、すなわち他人に温情を施して喜ばせようとする生活をいいます。

 心情は情的衝動である
 ここで「情的な衝動」について説明します。情的な衝動とは内部からわきあがる抑えがたい願望または欲望を意味します。普通の願望や欲望は意志で抑えることができますが、情的な衝動は人間の意志では抑えられないのです。
 私たちは喜ぼうとする衝動(欲望)が抑えがたいということを、日常の体験を通じてよく知っています。人間が金をもうけよう、地位を得よう、学識を広めよう、権力を得ようとするのも喜ぼうとすると衝動のためであり、甚だしくは犯罪行為までも、方向が間違っているだけで、その動機はやはり喜ぼうとする衝動にあるのです。
 このように喜ぼうとする衝動(欲望)は抑えがたいものです。欲望は達成されてこそ満たされます。しかるに大部分の人間にとって、喜ぼうとする欲望が満たされないでいるのは、喜びは愛を通じてしか得られないということが分かっていないからなのです。そして喜びが愛を通じてしか得られないのは、その喜びの根拠が神様にあるためなのです。
 統一思想より
神様(天の父母様)と真の父母様に感謝します。

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皆さんに、天の父母様と真の父母様の祝福がありますように。
天運・天福ありがとうございます。
神様の知恵を相続して、知情意、全てが喜びの内で感謝の生活が出来ますように。
よろしくお願いします。
ありがとうございます。

2016年3月29日火曜日

神様と二人だけの秘密 を持ってください。ブログタイトルは、「私は、自分人生を歩みながら、過去の人々の人生の一部分を歩んでいる。」

天の父母様と真の父母様に感謝します。
私の人生は、私が決めている!

その様に、思いたいのですが、よくよく考えてみれば、私に、協助している、先祖や私と同じような考えをしていた、霊界にいる人々が、私に、私の判断に、影響を与えています。
もちろん、最終的に判断しているのは、私自身です。

私は、霊界の協助を受けている事は、み言で聞いていましたが、生活の中でどれだけ意識しているのか…、意識していなかった事にきずき、今回ブログにしました。

私たちは、様々な思いがわいてきます。
良い思いだけでなく、悪い思いもわいてきます。
堕落性をなくす努力と堕落性をきずかせてくれた、自分の思いに、感謝します。

この感謝は、堕落性に感謝して堕落性のままに、生きて下さいと言う意味ではありません。

人生の目的は何か?
人それぞれにあると思います。

(人生の目的を詳しい知りたい方は、良い所を知っています。
様々な問題解決のヒントを詳しいく教えてくれる所です。それが、世界平和統一家庭連合・旧統一教会です。まずは、お電話を…。)

今回のブログは、人生の目的についてのブログではないので、そちらに、関心のある方は、家庭連合で、話を聞いて下さい。詳しいく理解出来ます。

ここから、ブログタイトルを意識しての内容を書いていきます。(よろしくお願いします。)

世の中、上手くいく人、上手くいかない人がいます。
先祖の功労があるとか、ないとか。
それだけでなく、過去の人々(私に協助している人)の人生が、影響しています。

神様が、創造した人間ですから、神様の創造目的があります。
簡単に言えば、神様の息子・娘に成り神様の国(天一国)をつくり生活する。

霊界にいる全ての人(霊人体)の目的も、神様の息子・娘となり、神様の国をつくり、そこで、生活をする事です。

霊界では、霊人体の成長と完成には、時間がかかります。(無限に近い時間かも知れないです。)
 霊人体は、早く霊人体の完成、霊人体のいる所より、少しでも、良いところに行きたいので、私たちに、協助しているのです。

私に、協助している人の越えられなかった、人間関係や仕事関係のことなどが、似たような形で、私が、体験して、人間関係などを、良くする事で、私に、協助している霊人体も良くなります。
 複雑な環境が与えられるのは、私が、神様の子供に成り、神様の国(天一国)をつくり、そこで生活するためと共に、私に協助している霊人体の完成のためです。

悪い事が起きるのは、悪い事をした悪霊人体は、悪い事を私たちにして、私たちが、それを感謝する事により、悪い霊人体も、良く成り、良い霊人体に成って行きます。

その事を思えば、知恵の王様である神様は、反対に配置している可能性は大きいです。
神様の事情を理解している人は、謙虚だと思います。
その事を知らない人は、傲慢です。

教会内でも位置は、神様が与えたもので有ります。
教会員で、教会を批判する人がいます。
(私は、謙遜傲慢なタイプの人間なので、この思いは、わかります。)
でも、批判して、何が変わるのか?
相手が、変わるかも知れません。
教会員であれば、内的に変わろうとすると思います。
批判する事で、批判された人が感謝すれば、批判した人も、救われています。
その事を、知っている、教会員であれば、相手を、批判出来ないのです。
(人を判断して、自分の背後の霊を良くしょうと思っている?)
そんなことは、ないと思いますが…。

自分の越えるべき問題は、自分で超えなければ、いけないのです。
誰かが、変わりにしてくれるかも知れませんが、そうしたら、神様の心情は、わからないのです。

神様の心情を理解するために、苦労するのです。
苦労する事は、悪いことではないと思います。

苦労する事をとうして神様の心情がわかります。(個人的感想です。神様の心情がわからない人もいます。)

神様が認める苦労をする事をススメます。
その事をとうして神様だけが知る内容があります。

2016年3月28日月曜日

神様を中心とした完成人間の位置と完成人間の価値

神様・天の父母様と真の父母様に感謝します。
完成人間の位置は、神様と親子 の関係ですが、唯一なる神様、真の父母様そして、子女としての、全人類です。

唯一なる神様は、天の父母様で、真の父母様は、天地人真の父母様です、子女は、アベルの子女(真の子女様)とカインの子女(堕落圏内の全人類)です。
カインの子女は、また、二つに分けられます。
カインの子女のアベル圏内に、統一原理を学び、真の父母様を父母と信じる人々(中心は、統一教会員)カインの子女のカイン圏は、まだ、真の父母様を知らない人々と言えます。

今の子女様の問題などを考える時に、アベルの子女とカインの子女の関係を理解しないと、問題がわからないと思います。

子女様は、堕落の血統と関係ありませんが、サタンの讒訴条件は、あります。
それは、真の父母様と真の家庭を支える善の基台と成るべき、カインの子女のアベル圏にいる教会員の摂理の失敗です。

失敗は、本来、失敗した本人が償うものですが、サタンは、本人以上に、アベルの子女である真の子女を讒訴します。
(真の父母様は、完成しているので、真の家庭を讒訴します。)

真のお母様は、カインの子女である教会員に、自分の責任分担を勝利しなさいと言われているのは、カインの子女が、自己責任を勝利すれば、アベルの子女である真の子女様への、サタンの讒訴条件が、無くなるからです。

位置的に、アベルの子女である真の子女様、次に、カインの子女です。

完成人間は、神様を中心として、自分の位置は、自然にわかるように成っていると言われています。

完成してない人間も、霊界に行けば、自己の位置は、自分で決めると言われています。
悪いことをすると、地獄に行くと言われているが、正確には、自分で決めているのです。
不平不満ばかり言っている人は、その様な、人のいるところに集まります。
他の所では、自分が、不平不満ばかり言っている事が、周りに分かってしまうからです。
不平不満の所に行けば、自分が不平不満を言っても、みんな言っているので、いやすい場所なのです。

完成人間の価値ですが、原理講論の内容を紹介します。
『2.  第七章 キリスト論
我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。
そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。
これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になって(マタイ五・48)、神のような神性をもつはずの価値的な存在である。
神が永遠なるお方であるので、その実体対象として創造された人間も、やはり、完成すれば、永遠なるものとして存在せざるを得ない。その上、完成した人間は、唯一無二の存在であり、全被造世界の主人であるがゆえに、彼なしには、天宙の存在価値も、完全になることはできないのである。
したがって、人間は、天宙的な価値の存在である。イエスは、正に、このような価値をもっておられる方である。しかし、イエスがもっておられる価値がいくら大きいといっても、既に列挙したように、創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。このようにイエスは、あくまでも創造目的を完成した人間として来られた方であることを、我々は否定できないのである。
原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである。
また原理が、イエスに対して、彼は創造目的を完成した一人の人間であると主張したとしても、彼の価値を決して少しも下げるものではない。
ただ、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引きあげるだけである。』

完成人間の価値は、全て同等である事が分かると思います。

ブログ訪問ありがとうございました。
私の考え方を中心に、ブログを書いてます。
この内容だけでなく、統一原理を学び、判断して下さい。
全ての人が、統一原理に関心を持ち、統一原理を学ぶ事を願います。
その後の判断は、自分自身で決めて下さった。
導かれる事を願います。

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神様と真の父母様感謝します。
天運・天福、天の祝福がありますように!
感謝します。

2016年3月27日日曜日

火の粉を払えさんの「お母様は、神になられた」と宣言すべきとありましたが…。少したりないと思います。

火の粉を払えさんのブログに、私のブログ、話題にして下さった事に感謝します。
ブログの表現や知識的なレベルの低さは認めます。

多少感情的表現に成るかも知れませんが、バカな弟が騒いでいる…。そんなレベルでブログを読んでいただければ嬉しいです。

統一原理についてですが、統一原理は、知的、頭が良いだけでは、原理を深く、広く、理解出来ません。
原理を深く、広く、理解するためには、神様のこと、特に神様の心情と事情を理解する事が大切です。

知的にだけ、統一原理を理解して、不平不満を言っている方もいると思います。
それで、霊界の天国(天一国)には入れないと思います。

教会員で無くても、一般の生活の内で、神様の心情と通じる苦労をしているなら、天一国に入国の手続きさえ取れば、古い教会員より早く天一国に入国出来るかもしれないです。
(これから、み言を学ぶ人の方が、早く天一国に入国出来るかも…。)

このブログは、この事を言いたかたのではないので、本題に戻します。
(全ての考え方は、私の個人的な考え方です。その事は、理解してください。)

「お母様は、神様になられた。」
これだけでなく、「お母様と責任分担完成した、天一国の民は、神様になる!」と宣言すべきです。

真の父母様は、人間の責任分担を果たして、完成人間に成りました。
完成人間は、神様の直接主管圏内です。
これは、神様と真の父母様が、一体と成っていることを言います。
別の言い方をすれば、神様の体と成った真の父母様です。

また、真の父母様だけでなく、全ての人間は、天一国の民と成り責任分担を完成した人は、神様の体となり、神様と一体と成ります。

今、地上には、真のお母様以外、人間の責任分担を完成した人は、いないので、今の時点では、真のお母様だけが、神様の体となっています。

人間が、自身の責任分担を完成して、神様の体と成ったら、全ての人が、同じ人に成るわけではありません。
人間には、人間一人ひとり、個性がありますから、神様の体と成っても、一人ひとり全て違います。
真のお父様の考え方と真のお母様の考え方が違っても、良いのです。
お父様とお母様の個性が違うのだから、語られる、み言も、違ってきて当たり前です。
真のお父様と真のお母様は、完成しました。
完成人間が、堕落する事は、ありません。

今回のブログは、(今回も)話がまとまりませんでした。
意見などあれば、コメントやブログで書いてください。
よろしくお願いします。
答えられる内容には、答えます。
このブログ訪問の方全員に、神様の祝福がありますように。
感謝します。

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