2016年4月4日月曜日

神は心情を中心とした原因的存在であって、創造前の神の性相と形状の属性で あ る陽性と陰性は、ただ調和的な変化を起こす可能性としてのみ存在している だけ である。

神様と真の父母様に感謝します。

今日は、統一思想の(一)神相
(2)陽性と陰性の内容を、少し考えてみます。
 陽性と陰性も二性性相である。

陽性と陰性も神の二性性相である。
しかし、同じく二性性相である性相と形状とは次元が違っている。
性相と形状は神の直接的な属性であるが、陽性と陰性は神の間接的な属性であり、直接的には性相と形状の属性である。
すなわち陽性と陰性は、性相の属性 であると同時に形状の属性である。
言い換えれば、神の性相も陽性と陰性を属性として もっており、神の形状も陽性と陰性を属性としてもっているのである。
陽性と陰性の二性性相は、性相と形状の二性性相と同様に中和をなしている。
『原理講論』に「神は陽性と陰性の二性性相の中和的主体であられる」とあるのは、このことを意味しているのである。
この中和の概念も、性相と形状の中和と同様に、調和、統一を意味し、創造が構想される以前には一なる状態にあったのである。
この一なる状態が創造において陽的属性と陰的属性に分化したと見るのである。…
   しかし統一思想から見るとき、陽性と陰性は性相と形状の属性であるために、被造世界において、性相と形状は個体または実体を構成しているが、陽性と陰性は実体の属性 として現れているだけである。
    例えば太陽(個体)は性相と形状の統一体であって、太陽 の光の「明るさ」が陽である。
同様に月それ自体は性相と形状から成る個体(実体)であ って、月の反射光の明るさの「淡さ」が陰なのである。…

原相において、陽性と陰性をそれぞれ本陽性と本陰性ともいう(『原理講論』四六頁)。
 原相の「本性相と本形状」および「本陽性と本陰性」に似ているのが人間の「性相と形状」 と「陽性と陰性」である。
すでに述べたように、被造世界では性相と形状は共に実体の性格をもっており、陽性と陰性は実体としての性相と形状(またはその合性体である個体) の属性となっている。

原相における性相と形状および陽性と陰性の関係を正確に知るためには、人間における実体としての性相と形状、そしてその属性としての陽性と陰性の関係を調べてみればよい。…
性相(心)の知情意の機能にもそれぞれ属性として陽性と陰性 がある。
例えば知的機能には明晰、判明などの陽的な面と、模糊、混同などの陰的な面 があり、情的機能には愉快、喜びなどの陽的な面と不快、悲しみなどの陰的な面がある。 
意的機能にも積極的、創造的などの陽的な面と、消極的、保守的などの陰的な面がある。
 そして形状(肉身)においても陽的な面(隆起部、突出部)と陰的な面(陥没部、孔穴部) があるのは言うまでもない。

ここで明らかにしておきたいのは、ここに示したのは人間の場合にのみいえることであるということである。
神は心情を中心とした原因的存在であって、創造前の神の性相と形状の属性である陽性と陰性は、ただ調和的な変化を起こす可能性としてのみ存在しているだけである。
そして創造が始まれば、その可能性としての陽性と陰性が表面化されて、 知情意の機能に調和のある変化を起こし、形状にも調和的な変化をもたらすのである。
    統一思想より(陽性と陰性の一部です)

この中で、気になった点は、タイトルにした部分です。
また、原理講論の中で『それでは、性相と形状の二性性相と、陽性と陰性の二性性相とは、互いにいかなる関係をもっているのだろうか。本来、神の本性相と本形状は、各々本陽性と本陰性の相対的関係をもって現象化するので、神の本陽性と本陰性は、各々本性相と本形状の属性である。』が気になった部分です。

一人ひとり、関心のある所は違うと思います。
みなさんは、どのように考えましたか?

感想や質問、コメントなどあれば、書いて下さい。
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みなさんに感謝します。
神様と真の父母様の真の愛と心情・天運、天福に感謝します。
ありがとうございます。






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