第七章 我々と霊人との関係
第五節 再臨復活と霊人協助
三 霊界と先祖
自分の性格の足りないところを埋めるためには、証を聞けというのです。これを聞いて、自分のものとして吸収するのです。補強しなければならなりません。それゆえ、多くの人の体験談を聞かなければなりません。人が言ったことを批判してはいけないというのです。批判するのはサタン側になるか、天の側になるか、二つのうちの一つを決定するということを意味するのです。
批判した時は、サタン側になるか、天の側になるか、二つのうちに一つに分かれてしまうのです。それゆえに、批判することは、自分が発展するにおいてのがんなのです。サタン側になった者が、神側に行くことができず、神側になった者が、サタン側に行くことはできないのです。我々人間生活において行くところにには、直行は絶対できません。じぐざぐに行くのです。
先祖も善の先祖だけいるのではなく、悪い先祖たちも全部関係しています。自分自体が素性的に見るとき、善の先祖の素性をたくさんもっているときはこのように行きますが、悪の先祖の素性を受けた部分もあります。自分の人生においてそのような時が来ます。そういうときは、必ずこのようにするようになります。批判すれば大変なことになるのです。それゆえ、「判断するな」という言葉も、みなそのような道理から出てくる言葉です。(76・139,1975.2.2)
真の愛をもてば、神様が宴会をするその場にいつでも同参することができます。時間と空間を超越するために、霊界に数千の先祖たちがいても、一目でみな見るのです。これを管理して、超越するのは、真の愛の心をもった人だけが可能なのです。
神様の相続権を受け得る特権を得ることができる道は、愛の道にだけあるのです。真の愛をもった人が、自分の体をかすめて通り過ぎても、全部喜ぶのであって、反抗しないのです。全部が歓迎するのです。あの世がそのようになっているために、ここでそのような訓練を受けなければならないのです。
先生がこのようなことを教えてあげるのは、天の世界に行くことができる人、天の世界で呼吸することができ、拍子を合わせることができる人をつくるためです。それでこそ踊りを踊る場で、踊れるのです。そうでなくては、拍子が合わないのです。先生ももう霊界に行くべきではないですか。先生の後ろには、サタンがついて来れないのです。(147・116,1986.8.31)
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