2020年5月3日日曜日

み言『堕落とは何かというと、み言と実体と心情の因縁が離れていったのです。 ですから、皆さんがみ言を知って、み言を実践しなければなりません。 み言を実践するには、父母の心情を備えて動いていかなければなりません。 蕩減復帰をすることができる実体的な行動を経た者となって、初めて祝福してあげることができます。』地上生活と霊界より

第六章 我々と霊界入籍
第三節 霊界入籍

 四 入籍の条件
   堕落とは何かというと、み言と実体と心情の因縁が離れていったのです。
ですから、皆さんがみ言を知って、み言を実践しなければなりません。
み言を実践するには、父母の心情を備えて動いていかなければなりません。
蕩減復帰をすることができる実体的な行動を経た者となって、初めて祝福してあげることができます。
口先だけではいけません。
こうして、天の一族、言い換えれば、この国の生命体になるのです。
  我々の生命現象において、霊形体と生命体と生霊体があります。これらは霊界の反応的な現象なので、この世で霊形体、生命体、生霊体と同様の因縁を経るのです。
生霊体になればそこに入籍して、自分の位置を見つけて入るのが復帰の路程です。ですから今からは、皆さんが入籍するのです。
 もしそのようにつながって入籍される場合には、皆さんがいくら過って、いくら失敗をしたとしても、サタン世界で立てた法をもっては、処理できないようになります。アメリカ人たちを韓国の国法をもって処理することができますか。国籍が違うからできません。  そのような圏内に入れば、その圏内の法だけが適用されるようになります。ですから、サタン世界の法は、いったん越えさえすれば、いくらどのようにしても適用されないのです。
サタン世界の法が適用されないのですから、結局はこの世の法をもってしてはいけないということです。
ですから、地獄には行かないようになるのです。
  人は一度生まれたなら、一度は死ななければならないのです。
それは公式です。では、死んでからどこに行くのですか。
統一教会員は、霊人体があるということを知っています。その霊人体は、育たなければならないのです。
  これから、皆さんに問題となることとは何かというと、時が来れば、全体が自分の自叙伝を書かなければならないのです。
統一教会に入ってきて何をしたか、その記録の内容が何かというのです。ここにおいて、どこかの会社に就職して生活したといった内容は、何の条件にもならないのです。
かえって、統一教会に入って会社にいたという事実は、恥ずかしいことです。今に、そういう時が来ます。
  これから、入籍が始まります。南北が統一されれば、入籍をしなければなりません。宗族的メシヤという言葉が問題なのではありません。その内容と事実が問題なのです。そのようなすべてのみ言の内容が、今後自分が永遠の道を行くための蕩減条件になるのです。
あの世に行って、皆さんがその道を行くために、心で体恤しながらどれほど努力したか、努力だけでなく実績をどれほど残したかということが問題になるのです。
  救いの道というものは、今まで生きてきた、そのままの習慣的生活を通じて得ることができるものではありません。
完全に蕩減の道を行かなければならないのです。救いの摂理は、復帰摂理であり、復帰摂理は再創造摂理です。それゆえ、再創造されるためには、堕落する前と同様に、本然の位置、ゼロの位置に帰らなければならないのです。
 そこには、意識もなく、習慣もなく、金氏とか李氏とか、自分の姓もないのです。
そのようなゼロの位置に帰らなければなりません。天の創造本然の基準から見ると、造られたすべての万物は、ゼロから出発したのです。
  ところで、人間が堕落することによって、天国に行く途中、その道に反することが人間世界にあふれているのです。これを切ってしまわなければなりません。
それは言葉ではできません。すべての民族が、サタンの愛を中心として、サタンの生命、サタンの血統と因縁を結んで歩んできた歴史的文化背景の中で、習慣性、あるいは風習が混在しているために、これはそのままでは除去されないのです。
  聖書は、「死なんとする者は生きん」と言いました。歴史的な論理がそれで成立するのです。死のうとしてこそ生きるのです。
自分の生命を投入しなければならないのです。それで、このすべてを洗濯すべきです。
言い換えれば、蕩減して、復帰しなければならないのです。そのような過程が、絶対に必要なのです。
  堕落世界で所有していた習慣性とか、罪悪性が残っている限り、神様と関係を結ぶことはできないのです。(二一三│九七)

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