第一章人生の行くべき道
三 地上生活の価値
1.地上は愛の実を収める所
1.地上は愛の実を収める所
地上生活が絶対に重要です。地上がどれほど重要かということを知らなければなりません。キリスト教徒たちは「死んで天国に行く」と考えますが、妄想的です。地上で完成しなければならないのです。地上生活の重要さを知らなければなりません。地上生活の重要さに覚醒し、その重要さを忘れるなというのです。いつでも、千年、万年、霊界に行ってする生活に、それが反映されるのです。これはすべて種です。
ここで種を蒔いたものが天上世界で実として収められるので、完全な種をうまく蒔かなければならないということです。地上世界の重要さに、もう一度覚醒しなければなりません。(232・322.1992.7.10)
私たちは、神様の愛によって生まれ、その愛によって生きながら、息子、娘を生んで愛の目的地に到達し、永遠に神様と共に生きるために神様のもとに帰るのです。すなわち私たちの一生というものは、愛によって始まり、愛によって成熟して、愛の実として摘み取られるのです。人が死ぬというのは、愛の実を摘み取るということです。
私たちが父母の愛を受け、夫婦の愛を分かち合い、子女を愛したので、神様の愛が内的な愛の世界に蒔かれた、そのすべてを、私が一生をかけて実を結び、摘み取ってあの世に行くのです。ですから、私たちが愛で完全に一つになれば神様に似るようになります。夫婦が一つになって、このような3段階の愛を完全に成し、霊界に行くようになれば、永遠の主体である神様の前に、永遠に相対的な神様になるのです。真の愛を中心として夫婦が死ねば、そのようになるのです。ですから、神様によって始まり、神様によって締めくくるのです。(298・311.1999.1.17)
愛の実を摘み取って倉庫に送っていたならば、天国が成され、天国の家庭と天国の国と天国の民になっていたはずですが、これが中間で腐って落ちて、すべて腐るようになったので、地獄の家庭になり、地獄の民になってしまったのです。
そのようになったことを「堕落」と言います。落ちたというのです。私たちが堕落し、地獄に生きているというこの二つのことは、嫌でも認めなければなりません。愛の実を結んで天国の倉庫、天国に行かなければならないのに、堕落したがゆえに地獄の倉庫で腐っているというのです。(282・15.1997.2.16)
子女、兄弟、夫婦、父母がすべて一点に行って実が結ばれるのです。真の愛を中心として定着が始まるのです。子女の心情、兄弟の心情、夫婦の心情、父母の心情が真の愛を中心として連結されるのです。それが焦点なのです。神様と愛で一つになることによって霊肉が完成したので、ここで父母が出てきて息子、娘を生むのです。神様が創造当時に感じたことを再び感じるようにするために、私たちに贈り物としてくれたのが息子、娘です。(244・310.1993.3.1)
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